孟徳×花
この世界に根を下ろしてから、もう十年も経つなんて、花は信じられなかった。 ほんの最近のような気がしてならないからだ。 この世界の人間として暮らし始めてからの時間は、幸せに彩られた珠玉の時間だった。 何も解らない花を、愛するひとが導いてくれた時間でもあった。 愛するひとには本当に感謝をしている。 あのひとがいなければ、花は今、こうしていられないだろうから。 あのひとが愛してくれたことを唯一の光として、花は頑張ってきたのだ。 愛するひとの愛を盾に、そして自身の愛を剣にして、この世界を渡ってきたのだ。 今や花にとっては、生まれた世界以上にかけがえのない場所になっていた。 孟徳は久し振りの休みなのに、子供たちとの時間をたっぷり過ごしてくれている。 子供は現在四人。 お腹の中にもいるから、五人の子供たちがいる。 花と結ばれてから、孟徳は誰とも契を結ばなくなった。 誰もが認める愛妻家になっているのだ。これは誰にも想像が出来なかったと、元譲も言っている程だ。 「母様、一緒に散歩に行きましょう。父様も如何ですか?」 「オレはついでなの?」 孟徳は苦笑いを浮かべながら子供たちを見つめる。 「母様、お手手!」 末っ子が花に手を伸ばそうとすると、孟徳が花の手を握り締めて来た。 「ダメ。花はオレと手を繋ぐの」 「狡いー、父様っ!」 子供が言うのも聞かずに、孟徳は平然としている。まるで小さな子供のようで、花は思わず微笑んでしまう。 「いいんだ。母様は父様と結婚しているから、こうして母様と手を一番に繋いで良いのは父様なんだ」 子供相手に、子供と同じような屁理屈を並び立てる孟徳を、花は可愛いと思いながら見つめている。 「私たちも母様と手を繋ぎたい」 「お前たちは父様がいない時は繋いでも良いけれど、父様がいる時は父様が優先だ」 孟徳はキッパリと言い切ってしまうと、花を更に引き寄せた。 我が子相手でも、花のことに関しては大人気なく容赦がないのだ。 いつもは厳しく冷酷な丞相だと言われているのに、家庭ではこんなにも可愛い。 花は、子供たちと孟徳のやり取りを聞きながら、ついニンマリと微笑んでしまう。 「母様ー、父様は狡いです」 長男が孟徳の論理に意義を申し立てる。 「狡くない。だいたい、普段はお前たちのほうが、母様と一緒にいる時間が長いだろう? それに比べて父様は、いつもはむさくるしいのとうるさいのと一緒に仕事をしているんだ。可哀相だとは思わないのか? お前たちはっ!」 政になると冷静で感情的になることはない孟徳だが、こと花がからむとそうはならないのだ。 「だから、休みの日は父様が優先だ。解ったか」 孟徳が物凄い勢いで言うものだから、子供たちはこれ以上何も言えなくなる。 花も、孟徳から子供たちから愛されていると感じられて、嬉しさがひしひしと滲んできた。 結局、子供たちは孟徳に上手く丸め込まれてしまい、完全に花争奪戦からは撤退をしてしまった。 「だけど、父様。いつも母様ととても仲が良いけれど、どれくらい長く一緒にいるの?」 長女が素朴な疑問とばかりに呟く。 「そうだな…、かれこれ…、…十年か…」 「十年…!」 自分達が生きてきた時間よりもずっと長く一緒にいる両親に、子供たちはびっくりする。 子供たちにとっては、十年という時間は、とてつもなく長いものなのだ。 「ひゃー長いね」 「うん、長い」 「お前たち、そんなにも長くないよ」 孟徳は苦笑いをすると、子供たちを見る。 「そんなに長い間一緒だったら、私たちに少しぐらい母様を譲ってくれても良いでしょう?」 「参ったな…。だけど! 父様は、一生、母様のそばにいても足りない」 孟徳が平然と宣うものだから、花は嬉しいのやら恥ずかしいのやら、複雑な心境だった。 「父様って、やっぱり母様が一番なんだね…」 子供たちは呆れるような溜め息を吐くと、ふたりをじっと見た。 「まあしょうがないか」 長男が子供のくせに、しょうがないとばかりに生意気な溜め息を吐くものだから、花は苦笑いを浮かべるしかなかった。 夜も深まり、ふたりきりの時間になる。 孟徳は花との時間を何よりも大切にしてくれている。それを花は心から感謝していた。 「…昼間の話で、俺たちももう十年も一緒にいるんだと、つくづく思ったよ。十年も経っているんだなって、正直、驚いてしまったよ。短かったからね…」 「私も楽しくて幸せでしたから、あっという間でしたよ」 「そうだね」 十年。 孟徳が、花一筋になってくれてから、それだけの時間が経過したのだ。 今、孟徳が公式に妻として認めているのは、花だけだ。 紆余曲折はあったが、こうして一緒になれたのは幸せだ。 「花、君を妻にしてから、とても幸せだ。これからもずっとそうだろうね」 「私もですよ」 花は素直に認めると孟徳に笑顔を向ける。 「過保護なのは、たまにキズですけれどね」 「…花…。君を大事に思っているからだよ」 「解っていますよ、それは」 切なそうにする孟徳を、花はギュッと抱き締めた。 「花、お腹の子供はどうかな?」 「元気ですよ。父様に逢いたいって言っていますから」 花がくすりと笑いながら言うと、孟徳はお腹ごと子供を抱き締めた。 「また君争奪戦が始まるのか…。領土を保全するために闘うよりも大変だ」 孟徳は溜め息を吐きながらも、何処か嬉しそうにしていた。 「君の争奪戦は益々熱くなるね、これから」 「そうですね」 「花、子供はお腹の子で打ち止めにする気はないからね。自然に任せるけれども、これからも子供はどんどん増えていくんじゃないかな。俺は、もう君としか、子作りをする気は更々ないからね」 孟徳の子供を身籠もるのは、花自体はとても嬉しいし、幸せなことだ。 この腕に、自分と愛するひとの子供を抱くことが出来るのは、何よりも嬉しいことだ。 「わ、私が頑張れる限りは、何とか頑張りますね」 花が笑顔で答えると、孟徳はギュッと抱き締めて来た。 「うん…」 孟徳は、花を思い切り抱き締めた後で、躰のラインを優しくなぞってきた。 「花、感謝しているよ。いつも…。君とここまで人生を共にすることが出来て、嬉しい」 「孟徳さん…」 孟徳は花の唇に甘いキスを贈った後、立ち上がる。 「待っていて、花」 「はい」 孟徳は閏房にある木の箱から何かを取り出すと、それを丁寧に持ってくる。 「花、手を出して」 「はい」 花が素直に手を出すと、孟徳は掌にそっと何かを握らせる。 「はい、どうぞ。掌を開けてみて」 「はい」 花がそっと掌を開けると、そこには美しい天然石で作られたイヤリングが入っていた。 驚くほどに綺麗で、花はついうっとりと見つめてしまう。 「綺麗です」 「君は物を欲しがらないからね。俺からの贈り物だから、しっかりと受け取って」 「はい」 花はきらきらと光る天然石を愛でる。 「俺たちは出会ってから十年だからね。その記念の贈り物だって言わなければ、君は恐らくは受け取ってはくれないからね」 色々と気遣ってくれる孟徳に、花は有り難く貰うことにした。 イヤリングを孟徳が耳につけてくれて、花は揺れる涼やかな音を楽しんだ。 「有り難うございます。とても幸せな気持ちです」 花が素直に微笑むと、孟徳もまた同じように微笑んでくれた。 「これまでの有り難うと、これからの有り難うをこめている」 「有り難うございます」 孟徳は花に唇を近付けると、たっぶりに甘いキスをする。 いつまでも変わらない愛を誓うために。
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