ガタガタと馴染み深い、小豆色の電車に揺られるリズムが心地好い。 これから向かうのは、新しい旅立ちなのか、それとも終着駅なのかは解らない。 卒業式なのかも新しい入学式なのかも、お葬式なのかも、洗礼式なのかも、全く解らない。 ただ分かっていることは、いずれにせよひとつの節目だということだけ。 私とあのひととの節目だ。 あのひとではなく、私が一方的に思っているだけなのかもしれない。 十年か…。 そんなことを、ふと心の中で呟いてみた。 長くて短い時間だったと思いながら。 ずっとあのひとだけを見ていた。 見ていたというのは、心の目であるというところが大きいのではあるが。 十年も片思いをしていれば、もう充分ではないかと思う。 いい加減、スッパリキッパリしてしまえたらよいのに、なかなかそれが出来ない。 スッパリと切るには、想い出が多すぎるような気がした。 初めて逢ったのは、社会人になった頃。 相手は三才も年上で、しかもキャリアを確実に積んでいるエリートだった。 同じ部署に配属された最初の印象は、キッチリとした切れ者だった。 そのイメージは、一緒に仕事をするようになってから、スッパリと切れた。 意外にいい加減で図太くて、だけどやらなければやらないことはきちんとこなす、豪快で心が広いひと。 そんな印象にいつの間にかすりかわった。 女の子とは広く浅く付き合うが、いざ本気になると深く優しく付き合うひと。 その女の子のカテゴリーには、ついに私は入れて貰うことは出来なかったけれど。 私はそれでもあのひとのそばにいて、“戦友”として、様々な想いをシェアするのが嬉しかったんだよ。 同じものを目指して、同じものを作り出す。 それは仕事の戦友でないと共有出来ない。 恋人の立場では、到底、味わえない達成感をお互いに味わえた。 それ故に、あのひとのカノジョたちには、随分と嫉かれた。 仕事上だからと、あくまでクールに振る舞ってはいたけれども、それは違っていた。 カノジョたちが羨ましくてしょうがない自分が何処かにいて、いつも逆にカノジョたちに私が嫉妬をしていたのだ。 それを鋭い女の勘で、カノジョたちは見抜いていたのかもしれない。 好きで好きで堪らない、私の気持ちを。 女の子は敏感だから、きっとお見通しだったに違いないのだ。 気付かれていないと、強がりにも自分に言い聞かせていた。 だけど本当は気付いていたんだよ。 充分過ぎるぐらいに。 私は深々と深呼吸をして、目を閉じる。 大丈夫。 寝過ごしたりはしないから。 あのひととはこんなこともあったな。 仕事のプロジェクトが大詰めを迎えて、ふたりで毎日のように深夜まで掛かって頑張った。 プロジェクトのリーダーであるあのひとと、私でギリギリまで頑張って仕事をしなければならなかった。 誰もがハード過ぎて脱落してゆく日々。 あのひとが付き合っていた女の子も、脱落をしてしまっていた。 だけど私はあのひとを信じて、ただ着いていった。 きっと大丈夫だと、私には根拠のない自信があったから。 あのひととふたりで息をすることすら惜しいと思える時間の中で、ただひたすらに頑張った。 時折、お互いに淹れあったスタバの豆で作ったコーヒーが、唯一のエネルギーになっていた。 明け方、ようやく仕事が終わった時には、本当に嬉しかった。 ふたりで乾杯の代わりに飲んだ甘いコーヒーの味を、私は今でも忘れられない。 あの甘さと苦さは、生涯で一番美味しかった。 そのまま、今日しなければならない仕事をするために会社にいなければならなかったから、僅かしかない始業時間まではもう起きていようと思ったのに、私はつい居眠りを決め込んだ。 今までで一番素敵なまどろみ。 気持ちが良くて、私は素敵な夢の中にいた。 いつの間にか、私たち二人して眠ってしまったようだった。 まどろみから目覚めると、私とあのひとは肩を寄せ合っていて、一枚の毛布をシェアしていた。 もう少し寝たふりをしたい。 優しくて安心する温もりに、私は笑みを零したのを思い出す。 あのひとは妹のように家族のように思っていただけなのかもしれないけれど、私には最高に素晴らしい時間だった。 とても大切な想い出だ。 仕事の後、ふたりでこっそりとお酒を飲んだのも、素敵な想い出。 あれはクリスマス。 クリスマスの夜、ふたりして打ち上げと格好をつけて飲んだ。 あのひとはイヴはカノジョと過ごしたから、それを取り戻す為に仕事をし、私は誰とも過ごす予定はなかったから、一緒に仕事をした。 クリスマスに黙々と仕事をするだけではつまらないからと、こっそり飲んだアルコール。 お互いに余りアルコールには強いほうじゃなかったから、ビール一本で私たちは微酔い気分だった。 「世間はクリスマスだからな、これぐらいはゆるされても良いだろう」 「そうですけれど、普通はクリスマスイヴに盛り上がって、クリスマスは仕事ですよ」 「そうかな?」 「そうですよ」 私が澄して言うと、あのひとは突然、抱き寄せてきた。 余りにものことに私の酔いは冷めてしまったけれど、あのひとは面白そうに笑っている。 ふざけているだけだと悟った。 私もふざけかえしてやろうと思った。 「恋人同士だとこういうことするよな」 「じゃあ恋人同士なら、こういうことも!」 私はわざと明るく言うと、ドキドキしながらあのひとの唇に自分の唇をゆっくりと近付けてゆく。 ほんの一瞬だけ、あのひとの唇に触れた。 そのひと時は永遠のようで、私は泣きそうになった。 大好きなひととキスした嬉しさと、酔った勢いを装う虚しさに。 あのひとは酔っ払っていて、私の悪業にはまったく気付かなかった。 私にとっても決して薔薇色の想い出にはならなかった。 そろそろ小豆色の電車は目的地に到着する。 車掌アナウンスが入り、私は立ち上がった。 駅を降りたったら直ぐに、瀟洒な教会がある。 私はそこに向かう。 参列者として。 教会に到着をすると、とても奇妙な雰囲気だった。 皆揃っている筈なのに、誰もいない。 あのひとと恋人の結婚式の筈なのに。 私は招待状を見直した。 だが、確かに今日の日付になっているのだ。 私は不思議に思いながら、あのひとが大好きなひとと一緒に歩く筈の、ヴァージンロードを歩いてみた。 すると突然、誰かが参列席から起き上がって、私は思わず飛び上がりそうになった。 「よお、相変わらず時間には正確だな。お前らしい」 あのひとがスーツ姿で立ち上がってこちらにやってくる。 タキシードではないけれど、相変わらずスーツがよく似合っていた。 片手には花嫁のブーケを持っている。 「に、逃げられたんですか?」 「まさか」 あのひとはそんなことはある筈ないとばかりにさらりと言ってのける。 あのひとらしい。 「だったらこの招待状は何なんですか?」 私が招待状を差し出して、怒ったように言うと、あのひとは苦笑いを浮かべた。 「結婚式なら、普通は新郎新婦が連名だろ? それは俺の名前だけだろ?」 よく見ると確かにそうだ。 訳が分からなくて、私は途方に暮れたようにあのひとを見た。 するといきなり、あのひとは私にブーケをつきつけた。 「…お前を一生俺のものにするために呼んだんだよ」 私は嬉しくてだけどどうして良いのかが分からなくて、ただ瞳を大きく見開く。 あのひとは苦笑いをすると、私をそのまま抱きしめる。 「十年一緒にいて、お前以外の女はいらなくなった」 「……!」 私は嬉し涙で顔をグチャグチャにしながら、ただあのひとに抱き着く。 十年という月日がゆっくりと溶けて優しい光になるのを感じた。
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