*十年愛*

吉羅×香穂子


 十年。

 言葉にしても、振り返っても本当にあっという間だ。

 この十年間、香穂子は孤独を感じたことがない。

 それは愛するひとがいつもサポートをし続けてくれたからだろう。

 辛い時も苦しい時も、いつも香穂子のそばにいて、ベストなアドバイスをくれ、時には包み込んでくれた。

 あのひとがいてくれたからこそ、香穂子は、ヴァイオリニストとしての華々しい道を歩くことが出来るのだ。

 それは心から感謝をしている。

 感謝せずにはいられないぐらいだ。

 いつも影になり、日向になりしてくれていたあのひとがいたから、香穂子は堂々と明るい道を歩くことが出来るのだ。

 十代で出会ってから十年。

 人生の中の春の日々をいつも一緒に過ごしてくれた大切なひと。

 香穂子にとっては、これからどれほど時間が経過をしても、この時間は掛け替えのないものとして残るだろう。

 

 今日は久々のお休みだ。

 吉羅とふたり揃って休みだなんて珍しいから、香穂子はベッドの中でのんびりと愛するひとにくっついていた。

 いつもより寝坊が出来ると言っても、ふたりきりではないから、時間は限られているのだが。

 香穂子がじっと吉羅にくっついていると、抱き寄せてくれる。

 なんて幸せな甘い行為だろうか。

 香穂子はうっとりとその時間を楽しんでいた。

 お腹が大きくなっているから、なかなかぴったりと付けられないが、それでも近くにいるだけで幸せだった。

 ふたりが出会ったのは、学院の移転騒動の最中、所謂、“敵同士”の関係だった。

 十年前なんて、まさかこのような関係になるなんて、ふたりとも想像出来なかった。

 だが、あれから直ぐに恋仲となり、ゆっくりと愛を温めて結ばれた。

 あれから十年も経ってしまうなんて、香穂子には信じられない。

 香穂子はふと時計を見た。

 いくら息子が寝坊するからと言っても、そろそろ起きて来る。

 香穂子が躰を起こすと、吉羅はゆっくりと目を開けて見つめてきた。

「もうそんな時間なのかね?」

「はい。朝ご飯の準備をしなければならない時間ですね。あきちゃんが起きて来ますから」

「…そうか。お母さんの作るご飯を何よりも楽しみにしているだろうからね」

「そうですね」

 香穂子は、我が子を思い浮かべてくすりと笑った。

 吉羅と香穂子の間に生まれた息子は、間も無く3歳になる。可愛い盛りだ。

 そして、香穂子のお腹の中には、二人目の子供がいるのだ。

 香穂子はお腹を守るようにしてベッドから下りると、手早く身支度をする。

 今日は息子の大好きな胚芽パンのサンドウィッチを作ってやるのだ。

 香穂子はキッチンに経つと、手早く朝食の準備をしにいった。

 香穂子が準備をしている間、吉羅が息子の面倒をきちんと見てくれるのが助かる。

 吉羅はいつものように、カジュアルとはいえきちんと身支度を整えて、息子を起こしにいってくれる。

 学院のクールな理事長が、かいがいしく息子の面倒を見る姿を見たら、誰もが驚くことだろう。

 いつも多忙なのに、香穂子のサポートをしっかりしてくれる吉羅には、言い尽くせない程に感謝をしていた。

 吉羅には茶粥を、息子と自分にはサンドウィッチを作って、朝食は完成だ。

 食卓に並べていると、愛するふたりがダイニングにやってきた。

 吉羅の横にちょこんと座る息子の姿を見ているだけで、本当にミニチュアのようで可愛いと、香穂子はつい目を細めてしまう。

 本当に可愛いと思う。

 香穂子は幸せな気分になりながら、息子と愛するひとを見つめた。

「ママ、しゃんどおいちい」

「有り難うあきちゃん」

 香穂子が声を掛けると、息子は益々、嬉しそうに笑った。

 吉羅は大好物の茶粥を静かに食べながら、落ち着いた笑みを浮かべている。

 その柔らかな表情が堪らなく素敵だと、香穂子は思う。

 息子の世話をさり気なくする吉羅に感謝をしながら、香穂子はふたりをいつまでも見つめていたいぐらいに幸せだった。

 

 食事が終わり、吉羅と息子は楽しそうに散歩に向かう。

 香穂子は、手を繋いで遊びにゆくふたりにのんびりと着いて行く。

 ふたりとお腹の中の子供がいれば、本当に幸せな気持ちで生きてゆける。

 香穂子はそう思わずにはいられなかった。

 ふたりがふと香穂子に向かって同時に振り返る。

 香穂子がふたりに手を振ると、息子が声を掛けてきた。

「ママー、ちょっと来て。とーしゃんと素敵なものをみちゅけたよっ」

 息子が手招きをするものだから、とっておきの素晴らしいものだと思い、香穂子は少し早足で向かう。

「あまり無理をしないように」

「はい」

 香穂子が身重であることを、吉羅はさり気なく気遣ってくれる。その優しさが香穂子には嬉しかった。

「あきちゃん、素敵なものって何かな?」

「これ!」

 息子が指差したのは芙蓉の花だった。とても綺麗な花だ。見つめているだけで和む。

「本当に綺麗だね。有り難う、あきちゃん」

 花を素敵なものだと言う息子を誇りに思いながら、香穂子は笑顔で頷いた。

「赤ちゃん産まれても、皆で散歩しよう?」

「もちろんだよ、あきちゃん」

 香穂子が優しく答えると、息子は満面に可愛い笑みを浮かべる。

 無邪気な息子に、香穂子はつい微笑んでしまった。吉羅も同じようで、家族にしか見せない暖かみに溢れた笑みを浮かべながら息子を見守った。

 今度は吉羅とふたりで息子と手を繋いで、のんびりと歩いてゆく。

 ほのぼのとした掛け替えのない幸せをくれた吉羅に感謝をしながら、香穂子はずっと笑顔を向けた。

 

 家に戻ると、息子は疲れ果てたのか、直ぐに昼寝をしてしまった。

 香穂子と吉羅は、その姿を見ながらくすりと微笑む。

 十年前の自分が、今のふたりの姿を見たら、驚くだろう。

 くすぐったい夢だったヴァイオリニストになり、まさかあの理事長と結婚して子供までいるなんて。

 想像以上の現実だ。

 香穂子は、理想以上の現実にうっとりとしてしまう。

「あれから十年ですね、暁彦さん」

「出会ってから十年だね。本当に速かったね…」

「はい」

 香穂子は頷くと、吉羅に甘えて寄り添う。

「女子高生だった君が、今やプロのヴァイオリニストで私の妻で母親だなんてね。出会った頃は想像も出来なかった」

「そうですね」

 香穂子もそれは同意する。

「だが、これ以上の現実はないのではないかと思うがね。私は」

「私もそう思いますから」

「ああ」

 吉羅は頷くと、香穂子をしっかりと抱き締めてきた。

「香穂子、いつも有り難う…。これからもずっと有り難うだ…」

「暁彦さん…。私もずっとずっと有り難うです。いつも支えて下さって、いつも私を励ましてくれるから、私は前を向いて頑張れることが出来るんですよ」

 香穂子は感謝の想いで、今にも泣きそうになった。

 吉羅はそれを支えてくれる。

「これからもずっと感謝し続けます。暁彦さんがいるから、私はいつも明るい気持ちでいられるんです」

「香穂子…」

 吉羅は香穂子をしっかりと抱き締めて、甘えてキスをくれる。キスをされるだけで、世界で一番幸せな女性になれる。

「香穂子、私たちが出会って十年…。早いね…。幸せな十年だったが、もっと幸せな十年になるよ」

「はい」

 吉羅は香穂子の抱擁を解くと、長方形のジュエリーボックスを持ってきた。

「持っていて欲しい」

 差し出されたジュエリーボックスを、香穂子が受け取ると、そこには、美しい吉羅の誕生石であるガーネットを使ったペンダントトップが入っていた。

「これからも宜しくを込めて」

「有り難うございます…」

 香穂子は今にも涙が出そうになりながら、一生懸命微笑む。

「有り難う」

「こちらこそ有り難うございます」

 ふたりはしっかりと抱き合うと、お互いの絆を再確認していた。





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