公瑾×花
この世界に根を下ろしてから、もう十年も経つなんて、花は信じられなかった。 ほんの最近のような気がしてならないからだ。 この世界の人間として暮らし始めてからの時間は、幸せに彩られた珠玉の時間だった。 何も解らない花を、愛するひとが導いてくれた時間でもあった。 愛するひとには本当に感謝をしている。 あのひとがいなければ、花は今、こうしていられないだろうから。 あのひとが愛してくれたことを唯一の光として、花は頑張ってきたのだ。 愛するひとの愛を盾に、そして自身の愛を剣にして、この世界を渡ってきたのだ。 今や花にとっては、生まれた世界以上にかけがえのない場所になっていた。 花は、お茶をのんびりと淹れ終えると、愛する夫を探しに庭に出た。 公瑾はと言えば、子供たちと一緒に、庭を散策して、様々なことを教えていた。 いつも穏やかだが、剣のように冷徹な大都督の雰囲気は一切ない。ここにいるのは、慈愛が溢れた父親だ。 息子ふたりと娘ひとり。 周家は子宝にも恵まれて、この先も安泰だと言われている。 賢くも責任感の強い長男、理知的な長女、そしておおらかな次男。 子供たちは面白いように、ふたりの性質を受け継いでいる。 それが花には嬉しい。 バラエティに飛んでいて、楽しいのかもしれない。 「あなたはどのような性格になるのかしらね」 花は幸せな気分になりながら、くすりと笑ってお腹の子供に語りかけた。 花のお腹にはめでたくも四人目の子供を身籠もっている。 花はふと笑みを浮かべながら、何度となくお腹を撫でた。 花がお茶を淹れ終えると、公瑾たちが広間に戻ってくる。 「お茶がはいりましたよ」 「有り難うございます、花」 「お母様、有り難うございます」 公瑾のミニチュアのような長男に、花はつい目を細めてしまう。 本当に可愛くて、このまま抱き締めたくなる。 「お母様、ありがとー」 下のふたりは、兄のようにはなかなかいかなくて、舌足らずにいう。それがまた可愛い。 「みんな、お茶菓子も用意したので食べてね」 花は公瑾と子供たちの前にお茶とお菓子を出す。 流石に妊娠をしているので、お茶を飲まなかったが、花はその代わりにカフェイン成分が極めて少ないものを飲んだ。 親子でこうして静かにお茶を楽しむことが出来るのが嬉しい。 花はこな幸せでのんびりとした時間が、掛け替えのないものだと思った。 「これが終わったら、少しで構わないですから勉強をしなさい」 公瑾は勿論、子供たちに釘をさすことも忘れてはいない。 子供たちのことを考えてくれているからだろう。 特に長男は、名門に生まれた責務を果たさなければならないところだ。 周家は名門であるプライドが高く、花も三人の子供たちを産むまでは、なかなか妻として認めて貰えず、公瑾は親類にいつも正妻を娶るようにと言われてばかりいた。 しかし、公瑾は頑としてそれを突っ撥ねてくれたのだ。 妻は花一人だと、ずっと宣言してくれていたのだ。 花が子供たちを産み、立派に育てている様子を見て、ようやく妻として認められたのだ。 子供たちはゆっくりとティータイムを楽しみながら、父親や母親に沢山話をした。 こうして家族のスキンシップを楽しめるのが、花にとっては何よりも幸せだった。 公瑾と視線を合わせて、お互いに微笑みあう。 子供たちの成長が確認出来て、お互いに嬉しいという合図でもある。 それが花にとっては、楽しみのひとつになっていた。 夜になれば、房でふたりきりになる。 この時だけは、花は“恋する女の子”に戻って、愛する公瑾にたっぷりと甘えるのだ。 子供たちが出来て、成長しても、花は自分の中にある女の子の部分をいつも大切にしている。 花は公瑾とふたりきりになると、たっぷりと甘える。 普段は冷たく厳しい公瑾だが、こうしてふたりきりになると甘やかせてくれるのだ。 ただ寄り添っているだけで嬉しいのだ。 「公瑾さん、琵琶を聞かせて頂いて良いですか…?」 「ええ。どうぞ。もし駄目だと言っても、あなたよりもお腹の子供が聴きたいとおっしゃるでしょうからね」 「はい」 子供も儲けて、長年連れ添っているせいか、公瑾は花の事などお見通しだ。だからこそ、花もまた、その裏を読んで、素直に公瑾には頼むのだ。 「有り難うございます」 花がにっこりと微笑むと、公瑾は渋々な表情をして琵琶を用意する。 それは照れ臭さの裏返しなのだということは、花は充分過ぎるぐらいに解っている。 公瑾は琵琶を持つと、花に寄り添う。 お腹の子供には、こうして琵琶を聞かせてくれる。今までの子供たちも全部そのようにして、琵琶を聴かせていたのだ。 公瑾の琵琶に合わせて、花は子守歌を静かに歌う。 すると公瑾が爪弾く琵琶は、更に大きな愛情が滲んでくる。 ふたりで、両親がどれほど愛しいと思っているかを、子供に伝えるのだ。 温かな気分で伝えると、子供が元気で素直に健康で産まれてくると、公瑾も花も信じているのだ。 琵琶を奏で終わると、公瑾は花のお腹をそっと抱き締める。 「解ってくれているでしょうね…。きっと…」 「私もそう思います…」 柔らかくそして何処か力が秘められた抱擁を感じる。 これほどまでに子供も花も愛されているのだと、感じずにはいられなくなる。 公瑾のさらりとした髪に指を差し入れながら梳き、花は平穏を感じる。 「公瑾さん、こうしていると、本当に幸せな気分です」 「私もですよ…」 公瑾は花への愛情を惜しげもなく滲ませて囁く。 「あなたは本当にお可愛い…」 「公瑾さんだって…」 花はくすりと笑いながら、公瑾を撫でた。 「これまでもそうだったように、私たちはこれからもそうなのでしょうね…」 「はい。今までの十年間がそうだったのですから、これからもそうであるのは確実です」 「十年ですか…。早いですね」 公瑾はしみじみと言うと、天井を見上げる。 「はい。あっという間でした」 「私はあなたがいなければ、恐らくは子供たちを残すこともないままに死んでいたでしょうね…。この十年、あなたがいたから生きる張合いが生まれました。これからもずっとそうだと、私は思っていますよ。永遠にあなたは、私にとっては生きる意味ですから…」 公瑾は花の手を強く結んでくる。花はそれが嬉しくてしょうがない。 「私もです」 「…花、少しお待ちいただけますか?」 公瑾は静かに言うと、起き上がって奥の家具から大切そうに何かを出している。 「花…」 かしこまって公瑾に名前を呼ばれて、花は姿勢を質した。 「今までの十年間有り難うございます。そして、これからもずっとずっと一緒にいましょう」 公瑾は静かなのに何よりもたぎっている情熱を花に見せつけながら、そっと掌に何かを乗せた。 花が掌を開いてみると、そこには美しい天然石で作られたイヤリングが置かれていた。 花は嬉しくて思わず目を見開くと、そのまま涙ぐんでしまう。 「…花…」 「有り難うございます。ずっと大事にしますね」 花はイヤリングを大切に撫で付けた後、公瑾にしっかりと抱き着く。 そのままふたりは唇を重ね合わせると、甘さと激しさが滲んだ情熱を交換しあう。 十年、いやこれから何年経ったとしてもなくならないだろう情熱を、お互いに交換しあう。 こんなにも幸せな贈り物はないと思いながら、ふたりは抱き合って、いつまでも幸せな時間を共有していた。 |