5年目の粉雪


 あなたに恋をしていると気付いたのは、5年前。
 雪の日にあなたが寒そうにしている捨て犬をマフラーにくるんで、拾い上げたのを見たときから。
 本当はもっと昔から好きだったかも知れない。
 その頃から、ずっと夢見ていました。
 いつか白い衣装を身に纏って、あなたの隣にいることを。
 それが叶いそうにないと思ったのはごく最近。
 希望は指から擦り抜けていった。
 傍にいるから、気持ちに気付いてくれると思っていた…。傍にいるから、何も言わなくていいと思っていた。
 それが間違いだと気付いたのは、違う誰かさんが傍に来てしまったこと。
 自分だけで恋心のお手玉をしていただけ。
 ホントは、正しいキャッチボールが必要なんだよ…。

「おい、何、ぼーっとしてるんだよ?」
 教室の窓ごしに、海をぼんやりと眺めていると、将臣にノートで頭を軽く叩かれた。
「何にも。ただ波を数えていただけだよ」
「ったく、訳が解らねぇやつだな。おら、数学の宿題。お前のことだから、どーせやってねぇだろ?」
「有り難う、気持ちだけ貰っておくよ。大丈夫、ちゃあんとやってあるから」
 望美はニッコリと笑うと、宿題をやっているノートを将臣に見せた。試行錯誤の痕はあるが、望美なりにしっかりと頑張った証だ。
「珍しいな。雪でも降るんじゃねぇのか?」
 将臣は望美の頑張りを認めてくれていたようだが、その眼差しはどこか厳しい。
「雪なら大歓迎だよ。寒くなってきたし、粉雪って綺麗だからね」
「ったく、減らず口だな」
 まるで兄が妹の成長を見守るように、将臣は望美を見つめてくる。
 同じ年なのに、妹分から昇格することはなかった。望美は瞳の奥に、冷たい涙が滲むのを感じながら、将臣に真っ直ぐな瞳を向ける。
「そろそろね、自分で何でも出来るようにならなくっちゃって思って。いつまでも、幼なじみの特権だって言って、  将臣くんばっかに頼ってちゃダメかなって思ってさ」
 望美はさらりと微笑みながら言ったが、それが将臣には気に入らないようだった。
「…お前にはモーニングコールちゅうか、たたき起こして貰ってるから、ギブアンドテイクでちょうどいいんだよ」
 将臣の声が低くなり、明らかに怒っているのが解る。望美はそれを何とか受け入れる。
「私さ、このままだと何にも出来ないような気がして不安なんだよ。何でも自分で出来るようになろうって思っているんだ。だから、協力して欲しいんだ。このままモーニングコールはやるし。将臣くんがいないと何も出来ない自分が、嫌なんだよ。将臣くんにステキなカノジョが出来たのを期にさ、独り立ちを頑張ってみようと思って」
 あくまできっかけだと、望美は強調し、厭味にならないように努めたつもりだった。
 将臣は少し考えこむような表情をしている。
「…解った。俺は、自分のカノジョがいても、お前は大切な存在だから、いつもと同じように接していたつもりだったんだが…。それをきっかけにしたいと言うなら、仕方がないな…」
 困ったように気難しい顔をする将臣に、望美はかすかに胸が痛むのを感じた。本当はそんな顔をさせたいわけではないのに。
「うん、有り難う」
 望美が礼を言ったところで、チャイムが教室に鳴り響く。
 タイムリミット。
 ふたりは互いに授業を受ける準備をした。

 なるべく自分でやることに決めてからは、何に対しても頑張れるようになってきた。
 高い場所に収納してある本なら、いつも将臣に取って貰っていた。だが、なるべく自分ですると決めた以上は、背伸びをしてでも本を取るようにする。
背伸びをするとやはりふらふらしてしまう。
「おいっ!」
 将臣の声が聞こえたと同時に、望美は目的の本を取ることが出来た。
「取れたっ!」
 嬉しさの余り、躰のバランスを失ってしまいこけそうになったが、何故か支えられている。
 懐かしい温もりと力強さ。
 顔を上げると、そこには将臣がいた。
「ったく…危なっかしいな」
 悪態をつく将臣にも、望美は素直になれる。
 当たり前だと今まで思っていたことも、当たり前ではなかったことに気付く。
 だからちゃんと感謝を示そうと、望美は笑顔で礼を言う。
「有り難う、将臣くん。助かったよ」
「ああ」
 望美はきちんと礼を言うと、本をレジまで持っていく。
 それをぼんやりと将臣は見つめていた。

 学校の当番でも、今まで手伝って貰っていたことを、なるべくなら自分で出来るようにと、ひとりで勇んでいく。
 大量の教材を運んでいるところで、ばったり将臣に会った。
「運んでやるよ」
「大丈夫、大丈夫。こうやって運んだら、ちゃんと運べるからね。これからはひとりでやらなくっちゃ」
 望美は心配させないように、わざとすたすたと歩いていく。
「甘えられる時は甘えればいいじゃねぇか」
 将臣が怒っているのは解っている。だが望美は意地をはる。
 一度決めた以上は、それを通したいからだ。
「幼なじみから、そろそろ卒業しなきゃね。将臣くんもそう言っていたじゃない? だから今は練習なんだ。じゃあ後でね」
 将臣の鋭い形相から逃げるように、望美は足速にいく。
 背後に将臣が怒っているのに、気付きながらも。

 あれから将臣が干渉したり、手を差し延べてくれることもなくなった。
 寂しいが自分が選んでしまったことなのだから、仕方がない。
 望美は寂しさを拭いたくて、駅前に広がる海岸に出た。
 海が冷たくなるこの時期は、サーファーの姿も余り見ない。そのせいかかえって好都合だ。
 ひとりになって、心を癒すことが出来る。
 望美はだっぷりとしたコートを着込んで、初冬の海を眺めた。
 鎌倉にしてはかなり寒い。空は鉛色をしていて、厚い雲が今にも哀しい声を上げそうだ。
 寂しい空は、まるで自分の心のように思えた。
 無理してバランスを崩しているみたいだ。
「…寒いな…」
 手袋までしているというのに、思わず両手を擦り合わせてしまう。
「先輩!」
 もうひとりの幼なじみである、望美にとっては弟分の譲がやって来た。
 トレーニング中なのだろう。袴姿だ。
「どうしたんです! こんなところにひとりでいるなんて、風邪を引きますよ!」
 心配性の譲は怒るように言っている。望美は安心させるように笑うと、譲をじっと見た。
「せ、先輩っ! 何ですか!?」
 焦っている譲は可愛いくて、望美はふふっと声を上げて笑う。
「最近、先輩がヘンだと、兄さんが苛々するように言っていましたよ…」
「頼らないように頑張ってるからだよ。私なりに」
「兄さんに頼らないようにするのは、良い心掛けだとは思いますが…」
 譲は困ったように望美を見ると、仕方がないとばかりに笑った。
「…譲くん、ひととひととの心の交流って、キャッチボールみたいだよね?」
 ひとりごとを言うような気分で、望美はしみじみと呟いた。
「何を突然言い出すかと思ったら…。確かにそういうところはあるでしょうが…」
 譲の困惑ぶりを無視するかのように、望美は言葉を続ける。
「自分の手の中で、いつまでもお手玉していたら、ボールは相手へ、いつまで経っても行かないじゃない? 気持ちもそれと同じかなあって。だけど、勇気を出していざボールを投げたら、意識し過ぎたり、力み過ぎたりして、大暴投になったりするでしょ? ちゃんと適切なボールを投げれば、少なくても相手は受け止めてくれる。投げ返す準備はしてくれる。気持ちもそんなものなんじゃないかなあって、最近は思うよ」
「…深いですね。確かにそうでしょうけれど…」
 譲が口ごもったところで、遠くで「有川くん!」と呼ぶ声が聞こえた。
「譲くん、行きなよ。ほら」
「はい、では…失礼します…」
 心配そうに名残惜しげだったが、それを振り切るかのように、譲は一礼をする。
「じゃあ失礼します。先輩も風邪を引かないようにしてください!」
「うん、有り難う!」走り去る譲を見送ると、また寒気がして望美は大きなくしゃみをする。
「おい、風邪かよ!? 馬鹿でも風邪は低いんだろ?」
 懐かしい声に顔を上げると、そこには将臣が立っている。
「寒いのかよ?」
「誰かが噂をしているだけ…はくしゅんっ!」
 今度は今までで一番のくしゃみが出てしまい躰ごと震える。
「んなとこで、ぼーと譲なんかと喋っているからだぜ」
 将臣は呆れたように言うと、望美の横に腰を下ろした。
「…何を話していたんだよ?」
「キャッチボールについて」
「キャッチボール!? 何だよそれ」
「将臣くんには内緒だよ」
 またくしゃみが出る。
 躰を震わせると、将臣は軽く舌打ちをした。
「寒いなら言えよ。俺のダウンかマフラーを貸してやる」
「いいよ。それだったら将臣くんが風邪を引いちゃうでしょ!? だったら私はいいよ」
 こうして寒い中、冷たい風に当たっているのは自分の勝手なのだから、望美は我が儘は言えなかった。
「ったく、どこまで強情を張るんだよ。しょうがねぇ女だな!」
 将臣が何をしたいのか、最初は全く解らなかった。
だが、ふわりと優しくも力強い温もりに背中から包まれ、望美は声すら出なくなる。
「こうしたら、温かいだろ?」
「か、カノジョに見られたらどうするのよ!?」
「見られねぇよ。サッパリいねぇから」
「どういうこと…」
 望美は胸が高まるのを感じながら、将臣を見上げる。
 将臣はといえばいつも通りに、クールにしているだけ。
「意味通りだ。それだけだ」
「それだけ?」
「ああ」
 将臣はさらりと言うと、首に描けていたマフラーを望美にもかける。
 たったひとつのマフラーをふたりで分け合うなんて、何て親密なのかと思う。
 雪に煙る中、江ノ島のシンボルである展望灯台が煙って見える。
 しっかりと手を絡み合わせれば、今まで頑なになった心が解けていった。 
 不意に頬が冷たくなり、何か白いものが舞い降りたのが解る。溶けたそれは、白く混じりけのない雪のひとひら。
「…雪」
「ああ」
 将臣は空を見上げた後、望美の頬に触れてくる。
「冷てぇな」
「だけど将臣君の指は温かいよ」
 将臣は照れたように笑うと、望美を強く抱きしめるかのように包み込む。
「-----甘えろよ? また」
「うん、たっぷり甘えさせて貰う」
「OK」
 今度は依存することなく、将臣に甘えてみたいと思う。
 望美はふたりの関係が、新たな一歩を踏み出したことを感じていた。
 



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