*甘えの法則*


 大地が卒業してしまった。

 校庭にも、そして屋上にも、部室にも、かなでの大好きなひとはいない。

 いつも一緒にいるのが当たり前だったから、いないことになかなか慣れない。

 こんなにも甘えて頼りにしていたのかと思うと、情けない気持ちにさえなった。

 四月からは最上級生になるのだから、早目に気持ちは切り換えなければならない。

 しっかりしなければならない。

 かなでは、自分の気持ちを奮い立たせて、何とか頑張ろうと思う。それにこんなにも恋人が依存体質ならば、大地も呆れてしまうだろうと想うから。

 これからはなるべく自分で頑張っていかなければならない。

 今までは、大地がそばにいてくれるのに甘えてしまい、ずっと頼りっぱなしだったから。

 かなでは自分でなるべくやろうて心掛けて、頑張ることにした。

 

 オーケストラ部の運営も先輩として一生懸命頑張らなければならないし、既に夏の全国大会二連覇に向けて、前を向いて頑張らなければならない。

 今年は更に厳しい。

 誰もが打倒星奏に向けて頑張っているのだから。

 かなでは、今までのように困った時の大地頼りを止めて、自分でしっかり何でも出来るように頑張りたかった。

 ずっと依存しているなんて、思われたくはなかった。

 

 大学も受かり、進学するための準備を始めた。

 これからは医師になるために目標に向かって努力をしなければならない。

 律のように故障からヴァイオリンを弾けなくなるような音楽家を少しでもなくしたい。

 音楽は、大地に人生の目指す意味を教えてくれた。

 何となく家を継ぐために医師を目指していて、レールを敷かれた人生を行くのも悪くないと思っていた。

 だが、音楽が、人生を歩む意味を教えてくれた。

 医師になる大きな目的が出来たのだ。

 かなでに何かが起こった時にもサポートをしてあげられるかもしれない。

 大地にはこれが一番大きなことだった。

 かなでを支えて、支えられて、これからの道を歩んでいけば良い。

 この年で人生の目的を見つけることが出来るなんて、自分はかなりラッキーなのではないかと、大地は思わずにはいられなかった。

 

 遠慮をしているのか、最近、かなでから余り相談がない。

 何でも自分でやろうと自覚しているところはとても素晴らしいと思うのだが、やはり少しは頼って欲しい。

 ヴァイオリンを更に高みに持っていくために努力をしている愛しいかなでに、大地はほんの少しでも良いからサポートをしたかった。

 なのにかなでは最近は何も言ってこない。

 すっかり毎朝の日課になってしまったモモの散歩も、他愛のないことばかりを話すだけだ。

 以前ならばオケ部のことばかりが話題に上がっていたというのに、今やサッパリだ。

 気遣ってくれる気持ちは嬉しい。

 だが、かなでに頼りにされていないような気分になり、切なかった。

 大地は余りにオケ部やヴァイオリンの話題が出ないものだから、思い切って訊いてみた。

「最近、オケ部の様子はどうなのかな?」

「今年の全国大会は二連覇がかかっていますから、今から大変です。だけどみんな前向きに一生懸命取り組んでいます」

 かなでは明るく振る舞ったが、なかなか苦労している。

 実力や人間関係が絡み合って、複雑な条件になることもあるのだから。

「ひなちゃんも響也も、今年はヴァイオリン部門にソロとして出るんだから、そちらに集中しても良いんじゃないかな。何かあれば、俺も力になるから」

「有り難うございます。だけどなるべく、頑張りたいんです。大地先輩や律がやってくれていたことだから、私たちにも頑張れると思って」

 かなでは、いつまでも甘えてばかりはいられない気持ちを、言外に滲ませる。

「ひなちゃん、本当に無理しないように。俺はソロに出ることはなかったから、割と細かい仕事に意識を向けることは出来たけれど、君の条件はなかなか大変だからね。できる限りは相談に乗るから」

「有り難うございます。なるべく頑張りたいんです。もう3年だし、いつまでも下級生の気分ではいられないです。もう大地先輩もいないし、甘えてはいられないです。後輩のためにも頑張らなくてはなりませんから」

 かなでがキッパリと言うと、大地は少し困ったような心配顔になった。

 少し逡巡した後、軽く頷いてくれた。

「余り無理はするなよ」

「解ってます」

 かなでが笑顔で頷いても、大地は納得いかないようだ。

 なるべく頼らないようにしなければ、これからはもっと大変なことになってしまうから。

 かなではその一心で頑張ることにした。

「解った。出来る限り、無理はしないようにね。何かあったら必ず俺に言うんだ」

「はい、有り難うございます」

 大地は本当に心配してくれている。

 何かあった時にかなでが頼れる数少ない人間であることを、自覚してくれているからだろう。

「ひなちゃん、無理しないように」

 頬にそっと手を置かれて、かなでははにかみながらそっと頷いた。

 

 かなでには甘え過ぎることなく、自分で歩いていって欲しい。

 その気持ちがきちんと伝わっているのは嬉しいが、全く頼られないと逆に寂しくなってしまう。

 全く複雑な恋心だ。

 かなでには誰よりも頼って貰いたいと、ずっと思っているからだ。

 頼られたい。

 だが余り頼らせてもダメだ。

 大地は複雑な責めぎあいに苦慮してしまう。

 かなでは、これからもっと厳しい世界に向かう。

 それを乗り越えるには、なるべく自分で乗り越える習慣を身に着けなければならない。

 だからかなでの試みは良いことであるのに、それが猛烈に寂しくもあった。

 

 オーケストラ部の新学年準備で、かなでは奔走していた。

 また、理事長の計らいで、プロからもヴァイオリンレッスンも受けさせて貰えることになっている。その準備もあり、かなり忙しかった。

 春休みも帰省が出来るか分からないぐらいだ。

 季節も変わり目ということもあり、かなでは忙し過ぎて、風邪を引いていることさえも気付かなかった。

 

「無理をするからだよ。今日は大人しく寝ているんだね」

 ニアに言われて、かなでは観念するしかなかった。

「うん…」

 今朝は楽しみにしていたモモの散歩も行けなくて、かなではしょんぼりとした気分だった。

 当然、大地もかなでが風邪を引いてしまったことを知っている。

 恐らくは怒られると覚悟はしていた。

 ノックが響く。

 大地だ。

「ひなちゃん、良いかな。お邪魔をして」

「はい、どうぞ」

 かなでが返事をすると、大地が部屋に入ってきた。

 大地の顔を見たらホッとしたが、直ぐに怒っているのが解った。

「どうして無理をするんだ、君は。大変だったら、俺を頼って良いんだ」

 大地は厳しい口調で言うと、かなでを睨み付ける。

 こんなに厳しい大地は初めてで泣きそうになる。

「…何でも大地先輩に頼ったらダメだから…。ひとりでしっかりやらなきゃ…」

 鼻を啜って顔を上げた途端に、いきなり抱き締められた。

「ひなちゃん、もっと俺を頼ってくれて良いんだ。むしろ頼られたいって思ってる。確かに依存し過ぎるのはいけないことだと思っているけれど、本当に大変だと思ったら、頼ってくれて構わないんだ。ひなちゃん…」

「大地先輩…」

 大地の言葉が胸に染みて、かなでは泣けてくる。

「ひなちゃん!?」

「…有り難うございます…。とても嬉しくて…。頼ります。大地先輩に。本当に大変な時はせめて相談しますから…」

「…ひなちゃん…。うん、頼ってくれ、俺を」

「はい」

 かなでが泣き笑いの表情を浮かべると、大地はフッと優しく笑ってその胸に柔らかく抱き締めてくれる。

 本当に助けが欲しい時に、助けてくれるひとがいる。

 かなではそれが嬉しくて、胸がいっぱいになる。

 素直に、本当に苦しい時は手を伸ばそう。

 きちんと受け止めてくれるひとがいるから。



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