オーケストラ部を引退してからは、部活に当てていた時間は、図書室で受験勉強をする時間に当てている。 自宅に帰って勉強をするのも良いのだが、図書室で勉強をすれば、部活が終わった恋人と一緒に帰ることが出来るから。 特に、学校から帰る際にふたりで過ごす息抜きの時間が今は堪らなく幸せで愛しい。 一緒に過ごせるのは1時間にも満たない時間ではあるが、それが受験勉強を支えてくれる何よりものひとときになっている。 大地は図書室でみっちりと勉強をする。 星奏学院の大学には医学部がないから、外部進学するためには綿密に勉強をしなければならない。 星奏は私立大学の中ではかなりのハイレベルであるから、内部から進学を望む者も多い。内部推薦希望者がクラスの半数にのぼるから、みんな推薦に向けた勉強ぐらいしかしない。 大地のように本格的な受験勉強をする生徒が少いせいで、図書室は使いやすかった。 窓から差し込む陽射が弱くなり、大地はふと時計を見た。 オーケストラ部の練習が間も無く終了する時間だ。 大地は勉強道具を片付けると、部室へと向かった。 ようやく充実した部活動時間が終わり、かなでは後片付けをしていた。 「小日向ちゃん、榊先輩がお迎えに来てくれるんだよねー」 友人にからかうように言われて、かなではつい真っ赤になってしまう。 「あ、う、うん」 何だか恥ずかしいけれども嬉しい。かなでは素直に頷いた。 「過保護だよな、あいつ。かなでのことになると」 響也が半ば呆れ返るように言うものだから、恥ずかしさが全身に回ってきた。 顔がほてってしまうが、不快というわけではない。 かなでは、響也をちらりと見た後、カバンを持って勢いよく立ち上がった。 「じゃあ響也、また寮でね」 「ああ。過保護なオオカミさんにヨロシクな」 「もう…。大地先輩は紳士だよー」 確かに大地の言動は甘くて軽い。だがそれは表向きだけであって、その裏には本質を見抜く深さがあるのを解っている。 だから、軽く受け流す。 部室から出ると、ちょうど大地がこちらに向かって歩いてくるところだった。 「ひなちゃん、お疲れ様」 「大地先輩こそ、お疲れ様です」 かなでがにっこりと笑うと、大地はにこやかにフッと優しい笑みを浮かべてくれた。 「じゃあ行こうか」 「はいっ!」 学校の中であるにも拘わらず、大地は堂々と手を繋いでくれる。 こうしてハッキリとした態度を示してくれるのが、かなでにとっては嬉しい限りだ。 誰にでも隠し立てすることもなく、こうして堂々としてくれることが、何よりも嬉しい。 「今日は何処か行きたいところはあるかい?」 「ハーブティーを切らしてしまったので、元町通りに買いにいきたいです」 「付き合うよ。俺もモモのおやつを買いに行きたいからね。元町通りでのんびりショッピングをしよう」 「はい」 こうして、学校の帰り道にふたりで過ごすことが、何よりも嬉しい。 些細な日常であったとしても、大地と一緒にいられたことが、掛け替えのない時間と想いを生んでいる。 先ずはペットショップでモモのおやつを選ぶ。 「モモちゃん、このミルキーガムを喜ぶかもしれませんね」 「遊び盛りだからね。大胆にかじってコロコロするのが好きみたいだよ。君みたいだね」 くすくすと笑いながら言う大地に、かなではわざと頬を膨らませる。 「コロコロするほど子供じゃありません」 「ごめん、ごめん。モモも君と一緒にコロコロしたいと思っているみたいだから」 「モモちゃんは、私のこと嫌いかも。最近、嫉妬されているような気がするんです。ふたりで榊先輩を取り合いかな?」 かなでが、豆柴のおもちゃの縫いぐるみを指で押しながら言うと、大地はほんのりと困ったような笑みを浮かべた。 「モモは君が好きだよ。俺と同じでね」 さらりとストレートに甘い言葉を投げられて、かなでは嬉しさと恥ずかしさで、頬をほんのりと紅潮させた。 モモのおやつを買った後、近くにある輸入紅茶と菓子を扱った店に入る。 かなではお気に入りのカモミールのハーブティを買った後で、店の中をのんびりと眺める。 「このダークチョコレート、美味しそうだね。コーヒーに合いそうだ」 大地はチョコレートを手に取ってじっくりと眺めながら、その成分を見ている。 「カカオ80パーセントか…。美味しそうだ」 「コーヒーとも相性が良さそうですね。私は、ショートブレッドのミニタイプをおやつにします」 かなではショートブレッドを手にすると、つい笑顔になってしまう。 「じゃあおやつを買ったら、港の見える丘公園まで歩こうか。夕陽が綺麗だろうから」 「はい!」 ふたりで目的のものを買って、弾むような気分で急な坂道を昇っていく。 大地としっかりと手を繋いでいるから、登るのは平気だ。 「最初はこの坂道も大変だと思っていましたけれど、今は大好きになりました。坂の上から見る港や夕陽がとても綺麗で、私のお気に入りになりましたから」 夕陽が綺麗で大好きだということもあるが、何よりもこうして大地と一緒に坂を登ることが出来るから、好きになったのだ。 「俺は小さい頃からこの坂を登っていたから、これが当たり前だと思っていたけれど、確かに他から来たひとには、かなりキツい坂道だろうなって思うよ」 「特に途中で振り返って眺めるのが大好きなんですよ。達成感がありますよね」 「そうだね」 かなでが立ち止まって今登ってきた坂道を振り返ると、大地も同じように振り返ってくれる。 暫く、ふたりで坂道を照らす夕陽を見つめる。 シルバー色のマリンタワーに反射するオレンジ色の夕陽が美しくて、ついうっとりと見つめてしまう。 切なくて甘い感動が、かなでの心を満たしてくれた。 「…坂の上から見る、横浜の夕焼けが大好きなんです。泣きたくなるぐらいに綺麗でキラキラしていて…。明日からまた頑張ろうって思えます」 「そうだね…。俺にとっては横浜の夕焼けなんて日常だったから、特別なものだとは思ったことはなかった」 大地はフッと目を細めて眩しそうに笑うと、かなでを見つめた。 「君と横浜の夕陽を見ることで、特別だと思えるようになった。それもとっておきのものに…」 「大地先輩…」 横浜港に沈む夕陽に照らされた大地は、なんて美しいのだろうかと思う。 黄昏色に輝く大地を、息苦しくなるぐらいにドキドキしながら見つめた。 「ひなちゃん、公園に行こうか」 「はい」 かなでは大地に頷くと、しっかりとその手を握り締めて、港の見える丘公園へと向かう。 ふたりで、ベイブリッジと東京側がよく見える場所に腰を下ろした。 横浜は何処もロマンティック。 それはきっと大地が魔法をかけてくれているからだろう。 大地はダークチョコレートの封を切り、ひとかけらをかなでにくれる。 「どうぞ、ひなちゃん」 「有り難う」 かなではダークチョコレートを口に含む。 スウィートなチョコレートに比べると、やはり苦みがある。 深みのある味は美味しいとは思うが、やはりミルクチョコレートのほうが好きだ。 「ひなちゃんにはちょっと苦かったかな?」 「深みがあって美味しいと思いますが、やっぱりミルクチョコレートのほうが好きです…」 素直に言うかなでに、大地は笑う。 「ねえひなちゃん、ダークチョコレートを甘くする方法があるんだけれど、知っている?」 「…え…?」 かなでが大地を見ると、不意に艶めいた笑みを浮かべてくる。 「試してみたい…?」 「試してみたいですけれど」 かなでが頷いて微笑むと、大地は今までにないほどに大人の艶を滲ませてきた。 大地はそのままダークチョコレートをひとかけら口に含むと、かなでに顔を近付けてくる。 そのまま、ゆっくりと唇が重なり、ダークチョコレートが口移しに運ばれる。 チョコレートのビターな味が、キスによって甘い甘いスウィートな味になっていく。 チョコレートとキスが絡んで、最高に甘い味になる。 うっとりとした世界に引き込まれるような感覚を覚えた。 唇が離されても、めくるめく甘い味は消えない。 「甘くなっただろう?」 大地の言葉に、かなでは真っ赤になりながら頷く。 ビターチョコレートが甘いスウィートなチョコレートになってロマンティックな恋の味になる。 かなでは幸せなビタースウィートなチョコレートに、恋の神様が宿っているのではないかと思っていた。 |