美人ヴァイオリニストのリサイタルチケットは、争奪戦。 そんな見出しを見ながら、大地は溜め息を吐いた。 美人ヴァイオリニストというのは、大地の恋人のことだ。 最近、先輩ヴァイオリニストの日野香穂子と大人のチョコレートのコマーシャルに出演し、人気は鰻登りと言っても良い。 月刊クラシックにも、大々的な見出しでインタビュー記事が出ている。 かなでは今、まさにサクセスの階段を昇っている。 容姿も愛らしくて、ヴァイオリンの実力もある。 人気が出ないほうがおかしいと思わずにはいられない。 かなでは最近、本当に綺麗になった。 高校生の頃は“可愛い”というフレーズが似合っていたのだが、今や“綺麗”といったほうが良いのかもしれない。 かなでが美人だと言われ始めてから、人気はかなりだ。 忙しくて、以前のように逢うことが出来ない。 それが大地には痛くてしょうがないことだった。 以前は大地が勉強に忙しくて逢えなかったのに、今度はかなでが忙しくて逢えない。 苦しくて切ない気持ちにならずにはいられなかった。 久し振りにかなでに逢える。 ふたりの休みがぴったりとあって、久し振りのデートだ。 久し振りに逢えるのは本当に嬉しくて、気持ちが弾んだ。 電話やメールでコミュニケーションは取っている。 だが、直接、かなでを抱き締めたい。 直接、かなでの顔が見たい。 直接、話がしたかった。 大地はかなでを待ちながら、ほんのりと甘い緊張を感じる。 かなでが来るまでの時間が、とても甘酸っぱい時間のように思えた。 「大地先輩!」 元気で可愛らしい声が聞こえて、大地はつい笑顔になった。 かなでだ。 本当に嬉しそうに笑っているのが分かる。 かなでもまた逢いたいと思ってくれていたのだと思うと、嬉しかった。 大地に久し振りに逢える。 それが嬉しくて、かなではついにっこりと笑った。 大地に可愛いと言われたい。 その為に一生懸命お洒落をした。 かなでにとっては、綺麗だと一番言われたいのは、大地なのだから。 かなでは夏らしいワンピースを身に着けて、待ち合わせ場所へと向かった。 大地と久しぶりに話せるのが嬉しい。 大地と久しぶりに逢えるのが、抱き締めて貰えるのが嬉しかった。 かなでは約束の場所に行くと、大地は既に待ってくれていた。 高校生の頃から大人びたひとではあったけれども、最近はとみに大人の魅力が出て来た。 見つめているだけでドキドキしてしまう。 大人として外科医としての責任が出て来ているせいか、本当に魅力的だ。 かなでは大地以上に素敵な男性なんて、この世界にはもういないのではないかと、思わずにはいられなかった。 「大地先輩!」 もう付き合って何年にもなるというのに、まだまだ“先輩”というフレーズが抜けない。 ついうっかり言ってしまうのだ。 大地は確かに先輩ではあるのだが、そろそろ卒業しなければならないと、かなでは思っていた。 「ひなちゃん」 大地のそばに行くなり、お互いに笑顔になる。 手をギュッと握り締め合う。 こうするだけで甘くて安心する。 ずっと望んでいた温もりが得られて、かなでは嬉しかった。 「ひなちゃん、先ずはドライブをしようか」 「はい」 大地と一緒にいられたら、本当は何処だって構わないのだ。 それがかなでの本音だった。 ふたりで色々と話をしたり、スキンシップをするだけで、充分に楽しかった。 「久し振りのドライブが嬉しい」 「それは良かった。何処に行きたい?」 「少し郊外の静かな所が良い。難しいかな?」 「解った。ふたりで探しに行こう。夜はレストランを予約しているから余り遅くはなれないけれど、それでも構わないかな?」 「勿論ですよ」 大地が素敵な場所を予約してくれている。 かなではそれを期待せずにはいられなかった。 結局は、葉山方面の穴場の海に出掛けて、かなでたちはそこでランチを楽しんだ。 逢えなかった時間を埋めるように、ふたりはお喋りに興じた。 「あれ、あのひと、チョコレートのコマーシャルの…」 ひそひそと言われているのは解ってはいたが、今はプライベートなので、静かにして貰いたかった。 大地とふたりきりの時間は、かなでにとっては一番大切な時間だったからだ。 「しかし、コマーシャルの威力は凄いね」 「そうだね。だけど日野さんと一緒で良かった。日野さん本当に綺麗なんだよ」 「うん。綺麗だね」 「大地先輩も日野さんみたいなひとが好み?」 かなではつい訊いてしまう。 日野香穂子のような大人びた美しさはまだまだだと思っているからだ。 「落ち着いた大人の綺麗なひとだとは思うけれど、本当にそれだけだよ。日野さんは結婚しているから、大人の魅力が出ていると思うんだけれどね」 「そうだよね。大人の落ち着いた男性と結婚されているし、お子さんもいらっしゃるから、それもあるかもしれない」 かなでは最もだと頷きながら、美味しく食事をする。 かなでは大地と一緒にいられるだけで本当に幸せだった。 かなでを見て、ひそひそと話しているひとが多い。 クラシック界の枠を超えた有名人だ。 なのにかなではそのようなことは少しも気にはしていないようだった。 「ひなちゃん…視線とか、気になる?」 「いいえ。今は大地先輩とふたりだけの時間ですから全く気にならないよ。…あ、あの、やっぱり、気になる?」 逆に大地が気にしているのではないだろうかと、心配する始末だ。 「ひなちゃんが気にしていないなら俺はそれで良いよ。俺は気にならないから」 「良かった!」 かなではホッとすると、躰から力を抜いて、笑顔を大地に向けた。 その笑顔が可愛すぎて大地はフッと優しい笑みを浮かべる。 それがかなでには嬉しいようで、微笑んだ。 「…有り難う。大地先輩」 かなでにとっては有名になるということは二の次なのだということを、大地は改めて思った。 昼食の後、海を見たりしてのんびりと過ごす。 かなでのリラックスした横顔は、なんて綺麗なのだろうかと思った。 だからこそずっとこの横顔を何時でも見つめていたいと思う。 じっと見つめていると、かなでが不思議そうに見つめ返してきた。 「どうしたの?」 「何でもないよ。ひなちゃん、行こうか」 「はい」 しっかりと手を繋いで、ふたりは車まで歩いてゆく。 こうしているだけで、本当に幸せだった。 夏の夕暮れをドライブで楽しんだ後、レストランに向かう。 大地としては、もうこんなに逢えない時間が続くのは堪らなかった。 「何だか素敵な雰囲気ですね。有り難うございます」 「どう致しまして。ゆっくりと食事を楽しもうか」 「はい!」 大地と食事をしながら、かなでは嬉しそうにニコニコしてくれる。 デートでかなでが文句を言ったことはない。 本当に素敵な女の子だと思った。 食事を堪能している間、大地は緊張してしまう。 そしてとうとうデザートタイムだ。 大地は深呼吸をすると、かなでにジュエリーボックスを取り出した。 「…ひなちゃん…、一緒になろうか?」 心臓が何処かへ行ってしまうのではないかと思いながらも、大地はプロポーズをする。 かなでは驚いたが、直ぐにジュエリーボックスを受け取った。 「はい…。宜しくお願いします」 かなでは今にも泣き出しそうなのに、何処か嬉しそうに微笑む。その表情がとても可愛い。 「…有り難う…」 大地はしっかりと言うと、かなでの左手薬指に指環をはめる。 幸せな時間の始まりだった。 |