*公園にて*


 大好きなひとはとてもモテる。

 本当にモテモテで、地元の元町商店街を歩こうものなら、かなり声を掛けられる。

 総て女性。

 元町商店街に部の買い物を一緒に行くと、大概はオマケをしてくれる。

 少ない部費には有り難いことではあるから、いつも買い出し部隊には大地がいる。

 そのあたりも部長の律は考えているのだろう。

 だが、かなでは少し複雑な気分だ。

 オマケをして貰ったり、まけてもらったりするのはとても嬉しいが、どれも女性ばかり。しかも誰もが瞳をハート型にしているのだ。

 気持ちは分からなくもない。

 誰にでも優しくて、社交的で、容姿も整っている上に、そこはかとなく色気もある。

 あのまなざしで優しく見つめられるだけで、誰もが恋をしてしまうかもしれない。

 本当に複雑な気分だ。

 苦々しいと言っても良いのかもしれない。

 大地は本当に女性を虜にするのに長けている。

 とはいえ、無意識のレベルなのだろう。

 かなでも最初はなんて軟派なひとだと思った。

 軽くて誰にでも優しい。

 だが、一緒にいるうちに、大地が誰にでも優しいのは、誰にも深入りしない裏返しだということに気付いた。

 誰にでも優しい。

 だが特別に優しくしている相手はいない。

 何処か遠いところから人を見て、接しているようにしか、かなでは思えなかった。

 優しくてとても素敵なひと。

 だが、自分の深い場所は限られたひとでないと見せない。

 特に異性には見せない。

 律にしか本当の自分を見せないのではないかと、かなでは思った。

 かなでは、大好きなひとをちらりと見つめる。

 見守ってくれているが、同時に厳しくかなでを見ているひとでもある。

 ファーストヴァイオリンは務まらない。

 大地はシビアにかなでの実力を見ているのだろう。

 だが、かなでは敢えて大地の言う通りにはしたくなはなかった。

 大地の言う通りにすれば、敵前逃亡と同じだからだ。

 折角、ヴァイオリンを頑張ろうと思うようになった。

 ヴァイオリンで闘ってみようと思うようになった。

 だからこそこんなに早く闘いからは下りたくはないのだ。

 かなでは前を向いて進みたかった。

 出来ることならば、目標に向かって走りたい。

 たとえ世界で一番好きな男性が言ったことであったとしても、受け入れられない。

 かなでは、これだけは譲れないと思った。

 そして、出来ることならば、大好きなひとに認めて貰いたい。

 それぐらいに上手くヴァイオリンを弾けるようになりたかった。

 学院に来るまで、惰性でヴァイオリンを弾いていた。

 心が籠っていなかった。

 だから何時まで経っても全く上達しなかった。

 ヴァイオリンの練習に全くと言って言い程に、心を込めていなかったからだろう。

 かなではそう思う。

 だが、今は違う。

 ヴァイオリンに心を込めて立ち向かっている。

 今までサボっていたことを取り戻すのはかなり大変だが、それでも取り戻したい。

 かなではただヴァイオリンを一生懸命に練習をする。

 地味な音だと言われたら、華やぎを加えたら良い。

 だが華やぎなんてどうして加えるかなんてーかなでには全く分らなかった。

 かなではヴァイオリンに集中しながら、回りが見えなくなるぐらいに弾いていた。

 大地はまだ認めてはくれない。

 それでも少しずつ良くなっていくと信じて、ただ前を向いて頑張っていた。

 練習時間が足りない。

 アンサンブルの合同練習の後、かなでは近くの元町公園でヴァイオリンを練習する。

 何曲が練習を終えた後、拍手が聞こえた。

「よく頑張っていますね」

 にっこりと微笑む女性を見て、かなでは何処かで見たことがあると思った。

 よく見ると、ヴァイオリニストの日野香穂子だった。

「日野香穂子さんっ!?」

 かなでは今にもひっくり返ってしまう気分だった。

 こんなところで、憧れのヴァイオリニストに出会えるとは、思ってもみなかった。

 これには驚いてしまう。

「一生懸命頑張っているわね。あなたのヴァイオリンを聴くのが楽しみになりそうよ」

 香穂子はにっこりと笑っている。

 日野香穂子は星奏学院の卒業生であり、温かな音色が聴く者を癒す、癒しのヴァイオリニストと呼ばれている。

 かなでもデビューアルバムを持っているが、何度も聞き込んだ。

 ヴァイオリンの練習で挫けた時にも、日野香穂子の音色を聴けば、それだけで癒されたのだ。

「どうしたのかしら? 何か悩んでいるのかしら?」

 香穂子が優しく見つめながら訊いてくれる。

 本当に優しそうな女性だ。

 日野香穂子に訊いてみれば、何かヒントが得られるかもしれない。

「日野さん、日野さんは音色に華がないと言われたことはりますか? 後、技術的に足りたいと言われたことは…? あ、あの、日野さんだったらそんなことはないですよね?」

 香穂子はかなでの話を優しい目をしながら訊いてくれていた。

「華はね、滲むものよ。あなたの大好きなひとを思い浮べてヴァイオリンを弾いてご覧なさい? きっと素晴らしいものが弾ける筈だから。これは本当よ。私もよく言われるもの。後、技術的なものだけれど、私なんかはまだまだよ。だけど、ヴァイオリンは技術的なことだけではないわ。勿論、とても大切なことだとは思うんだけれど、それだけでは良い演奏にはならない。難しいけれど、表現力と技術力のバランスが上手く取れた時に、初めて良い演奏が出来るようになるのよ…」

 日野香穂子の話はとても納得がゆく。

 彼女が一流のヴァイオリニストだからだろう。

 かなでは、深く頷く。

 香穂子が言うように、先ずは大好きな大地を思い浮べて弾いてみよう。

 そうすれば上手くいくのかもしれない。

「日野さん、有り難うございます…。早速、試してみますね」

「ええ、やってみて?」

「はい」

 かなではヴァイオリンに集中するために目を閉じる。

 大好きな大地の優しさを思い浮べながら、ヴァイオリンを奏でた。

 いつもよりもかなり温かな音色で弾けるような気がする。

 音に心が籠ってくる。

 それはかなで自身も感じられた。

 本当に温かな気分でヴァイオリンが弾ける。

 かなではとても華やかな気持ちでヴァイオリンを奏でることが出来た。

 ヴァイオリンを奏で終わり、拍手を貰う。

 嬉しくてかなでが目を開けると、そこには日野香穂子ではなく、大地がいた。

「ブラボー、ひなちゃん」

 大地は頷きながら拍手をしてくれている。

 いつものような軟派な影は何処にも見られなかった。

「有り難うございます」

「本当に素晴らしかったよ、ひなちゃん」

 大地に純粋に褒めて貰える。

 それだけでかなでは嬉しかった。

「大地先輩…、日野香穂子さんは?」

「ああ、先ほど帰っていったよ。ひなちゃんの演奏をかなり褒めていたよ」

「ホントに!?」

 日野香穂子に褒められるなんて、かなでは嬉しくてしょうがない。

「ひなちゃん…頑張っているね。ヴァイオリンを聴いていると分かる。君はやっぱり凄いよ。だが、もっと頑張らなければならないね」

 褒めてくれるが同時にしっかりと釘を刺されてしまった。

「だけど、君なら夢を現実に変える力があるかもしれない。…もう少し、見せてくれないかな? 夢と君を…」

 大地は眩しいような甘くて真摯な微笑みをくれる。

「はい」

 かなでは返事をすると、大地だけを見つめた。

 まだまだかもしれない。

 だが、大好きな男性に、今までよりもずっとずっと近付けたような気がした。



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