*毎日が待ち遠しい*


 恋人として、大地を支えたい。

 必要だと思われる時にそばにいたい。

 だが、外科医とヴァイオリニスト。

 なかなか接点が合わない。

 それでもそばにいたいとかなでは思う。

 いつも癒してあげたい。

 大地が望む限りはずっと。

 過酷な整形外科医という仕事であるからこそ、いつもそばにいて支えてあげたかった。

 不意に携帯電話が鳴り響く。

 大地だ。

 仕事が終わったのだろうか。

 こんなにも遅くまで働いている大地に、かなでは胸が痛くなる。

 体調は大丈夫だろうか。

 気分は悪くないだろうか。

 そんなことばかりをつい気にしてしまう。

 大地が笑顔でずっと元気で仕事が出来るように。

 そう祈りながら、かなでは電話に出た。

「もしもし?」

 

 ようやく仕事を終えて、大地は大きな溜め息を吐いた。

 充実はしているし、ずっと希望していた仕事でもあるから、少しも嫌ではない。

 だが、仕事の後に来る、このどうしようもない疲労感は、ずっと愛する者とコンタクトを取っている暇がなかったからだろう。

 まだまだ休みの面で我が儘が言える時期じゃない。

 まだまだ沢山の修業をしなければならない身だ。

 だからこうして恋人を疎かにしている。

 恐らくは普通の恋人ならば、呆れられているかもしれない。

 だが、相手も特殊な仕事をしていて、その上理解があるから、いつも文句も言わずに包み込んでくれる。

 感謝をしてもしきれないというのは、このことを言うのではないかと、大地は思った。

 かなでに逢いたい。

 ヒマな時は、いつでも恋人のことを考えてしまっている。

 それぐらいに惚れているということだろう。

 “中毒”なんて言葉では表すことが出来ないぐらいに、かなでを愛してしまっている。

 かなでの声を聴きたい。

 もう深夜に差し掛かろうとしている時間だ。

 まだ起きているだろうか。

 それともかなでもまた仕事をしているのだろうか。

 かなでは人気ヴァイオリニストだから、かなりの忙しさだ。

 今やクラシックだけではなく、その表現力で様々なジャンルの音楽を奏でている。

 恋人のスケジュールが全く分からないなんて困ったものかもしれない。

 大地はそれでも声が聴きたくて、携帯電話を手に取った。

 あの声が聴きたい。

 そばでヴァイオリンが聴きたい。

 かなでの出したCDから、音を落として通勤の時には聴いてはいるが、やはり所詮は生のヴァイオリンじゃない。

 かなでのそばにいて、間近でヴァイオリンが聴きたかった。

 かなでのヴァイオリンを聴いているだけで、総ての力が漲ってくるような気がした。

 まるで恋をしたばかりの中学生のような初々しい気分になりながら、大地はかなでに電話をかける。

 かなでへの想いが恋なのだということに気付いた時、甘くて苦しくて、見つめているだけで抱き締めたくなった。

 その感情は、今でも少しも変わってはいない。

 むしろ酷くなっているかもしれない。

 かなでに電話をするだけで、こんなにも緊張してしまうのだから。

 何度かコールをした後、受話器の向こうから愛らしい声が聞こえてきた。

「もしもし?」

「俺、大地だ」

「お仕事ご苦労様」

「かなでこそ、ご苦労様」

「お互いに今日も頑張ったね」

 かなでと何気ない会話をしているだけで、大地はほんわかと温かな気持ちになるのを感じた。

 

 大地の声を聞いているだけで、安心する。

 甘い安心は、かなでにとっては今やなくてはならない感情のひとつになっている。

「かなで、今日の仕事は楽しかった?」

「うん。難しい部分もあったけれど充実していたよ。今日はCM用の音をレコーディングしたの。恋をする音楽がテーマだったから、大地のことを思い出したよ。そばにいてくれるって思ってヴァイオリンを弾いたら、直ぐにOKを貰えたの。リテイクがなかったんだよ! 嬉しかった」

「俺もそのヴァイオリンを聴きたかったな…」

 大地はそこにいて、かなでが恋の音色を奏でるのを聴きたかった。

 温かくて、甘くて、まるで薔薇色のお菓子を食べているような雰囲気だっただろう。

 恋愛の曲は、かなでの音色を更に麗しく聴かせてくれる。

 大地の大好きな音色には間違いはなかった。

「本当にそのヴァイオリンをそばで聴きたかったよ…」

「そばにいてくれたよ、大地は」

「え…?」

 かなでは優しく甘い笑みをくすりと浮かべる。

 声だけでも、その華やいだ甘い表情を想像することが出来た。

 大地はもっともっとその表情を見てみたいと思った。

 電話では繋がっているというのに、近くに感じながらも、もっとそばにいたいとすら思う。

「私がヴァイオリンを演奏している間、ずっと大地はそばにいたんだよ。あなたがそばにいて包み込んでくれているから、私はヴァイオリンを奏でられたんだ。いつでも、どこでも、私はあなたを感じているよ」

 かなでは優しくてとても幸せそうに呟く。

 そうしていつもそばに感じてくれているのが、大地には嬉しかった。

 かなでのそばにいたい。

 その気持ちを感じてくれているのが、大地には嬉しい事だった。

「…だけど…、やっぱりそばにいて欲しいってわがままを言いたくなることもあるけれどね」

 さらりと愛らしく本音を言うかなでが可愛い。

 大地は携帯電話の前で、ついフッと笑った。

「かなでのヴァイオリンを聴きたいよ。生でね」

「だったら弾きに行くよ」

 かなではストレートに言ってくれる。

「今から」

 かなでの言葉が嬉しかった。

 

 逢いたいのは、そばにいたいのは、お互いに同じ事なのだ。

 かなでは大地のそばにいたくて、裸足のままでそのまま駆け出したくなる。

 逢いたい。

 電話なんかではなくて、直接、大地の声が聴きたい。

 大地に抱き締められたい。

 まなざしで包み込まれたい。

 かなでは携帯電話を片手に出掛ける準備を始めた。

 今ならばまだ大丈夫だ。

「今から大地のところに行っても良いかな? ヴァイオリンを持って」

「危ないよ」

「大丈夫だよ。車で行くし」

「だったら俺がそっちに行く。仕事が終わったばかりだから。明日は非番だし」

「本当に!?」

 大地の申し出が飛び上がるぐらいに嬉しくて、かなではつい声を裏返した。

「ああ。じゃあ、今直ぐ行くから、待っていて」

「うん」

 大地が携帯電話を切る。

 ツーツーという音を聴きながら、かなでは幸せな気分でにんまりと笑った。

 もうすぐ大地がやってくる。

 部屋は片付けてあるが、何をしたら良いだろう。

 したいことが山程あって、かなではどうして良いのかが分からない。

 とりあえずは落ち着こう。

 大地が仕事帰りだから、消化に優しくて、だけど充実をした簡単食事を作る。

 かなでは幸せな気分で大地の食事を作った。

 野菜がたっぷりのポトフを作る。

 大地がもうすぐやってくる。

 それだけでウキウキして嬉しい。

 大地が毎日帰ってきたら、同じように幸せな気分になれるのだろうか。

 かなではふとその気持ちを毎日味わえたら良いのにと思った。

 

 大地はかなでの住まいへと足早に向かう。

 かなでが出迎えてくれると思うだけで、本当に幸せな気分だ。

 いつもならば家に帰る時は、こんなにもときめかないというのに。

 大地は毎日このような幸せな気分で家に帰れたら良いのにと思わずにはいられない。

 そうするにはひとつしかない。

 大地は、かなでの住むマンションに到着し、インターフォンを押す。

 出て来たかなでをいきなり抱き締めた。

「かなで、毎日、こうしようか?」



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