*制服のAngel*


 熱かった夏も終わり、3年生たちは正式にオーケストラ部から引退してしまった。

 部室に行っても、気さくに優しく笑い掛けてくれる大好きなひとはいない。

 オーケストラ部も新しいメンバーで、また新たな目標に向けて頑張ろうとしている。

 かなでもヴァイオリン技術や解釈に更に磨きをかけるために、授業に部活動にと、頑張る日々が始まった。

 大変だけど、今は見守ってくれるひとがそばにいるから大丈夫。

何があっても前を向いてゆける。がんばれる。

 

 振り返れば、いつも大好きなひとが見守ってくれているから。

 だから頑張れる。

 

 

 かなでが学院に来てからもうすぐ二か月半になろうとしている。

 そろそろ初めての衣替えがあり、かなでは緊張しながら、冬服を取りに行くことにした。

 大好きなひとに冬服姿が楽しみだなんて言われたものだから、余計に意識をしてしまう。

 元町通りにある学院指定の学生服取り扱い店に向かうつもりだ。

 クラブが終わり、図書室で受験勉強をしていた大地と落合う。

 かなでが制服を取りに行くと言ったら、着いていきたいと言ってきたからだ。

 部室を出たところで、大地が待っていてくれた。

「ひなちゃん、お疲れ様」

「大地先輩こそ、受験勉強お疲れ様です」

 大地に笑顔を向けると、とびきりの甘い笑顔が返って来る。

 耳の下のパルスが痛くなるぐらいの甘い笑みに、かなでは思わずうっとりと見とれてしまった。

「じゃあ行こうか」

「はい」

 大地は誰の目も気にせずに、しっかりと手を握り締めてくる。

 こうして力強く手を握り締められると、本当に安心する。

 同時にときめいてどうしようもないぐらいに、熱くなる。

「ひなちゃんの冬服姿が楽しみだ。きっと可愛いんだろうね」

 大地にストレートに言われてしまうと照れてしまう。

 ごく自然にさらりと甘い言葉が囁けるなんて、ある意味得意技ではないかと、かなでは思う。

 自分以外の女子にも同じような言葉を無意識に言うものだから、面白くないこともあるのは事実だ。

 ほんのり嫉妬とほんのり嬉しさを滲ませて、かなでは大地を見る。

「有り難うございます。だけど、他の女子にも言ってませんか?」

 わざとからかうように言うと、大地は困ってしまったように苦笑いを浮かべる。

「言ってないよ、最近は特にね。ひなちゃんの冬服が楽しみなのは事実だよ」

 大地の言葉は甘さと本音がふりかけられていて、かなでは頬をほんのりと染め上げた。

「響也は、あのスカーフが嫌だって今から戦々恐々としているみたいですよ」

「だろうね。響也なら、どうせ着崩して制服を着るだろうけれど。スカーフなんてしないんじゃないかな」

「かもしれませんね」

 ふたりで顔を見合わせて笑った後、大地はふと手を強く握り締めてきた。

「大地先輩?」

「俺が見たいのは、あくまでひなちゃんの制服姿だけだから。響也じゃない」

 ストレートにハチミツのような言葉を投げ掛けられると、ドキドキする余りに顔まで熱くなる。

 かなでも、初めての制服姿は大地に見て貰いたかったから、こうして着いてきて貰ったのだ。

 照れもかなりあるが、やはり大地には初めに見て貰いたかった。

 ふたりで急な坂道をゆっくりと降りていく。

 坂の上からは茜色の光に染め上げられたマリンタワーが見える。

 ノスタルジックでロマンティックな瞬間だ。

「随分と陽が短くなってきましたね。マリンタワーが茜色に染まって綺麗です」

「そうか…。俺にはいつもの当たり前の風景にしか見えなかったけれど、こうしてひなちゃんと一緒に見ると、特別な景色に見えてくるから不思議だ…」

 大地の言葉には、今までのような軽さはなく、しみじみと深みを帯びた夕焼け色のように、ストンとかなでの心に下りてきた。

 甘くて切ない、泣きそうなぐらいにロマンティックな風景。

「こんな綺麗な夕焼けが見られるなんて、横浜に来て良かったです」

 素直な笑みを浮かべながら言うと、大地はとびきりに眩しそうな笑みをくれた。

「それだけ?」

「勿論、大地先輩に出会えたことも、ヴァイオリンと本当の意味で出会えたことも、仲間と出会えたことも、全部良かったです。私、学院に来て良かった!」

 総ての運命を変えてくれた場所だから、生涯、決して忘れることはない場所だ。

「…ひなちゃん…」

 大地の深みのあるテノールに、感きわまる想いが滲む。

 その瞬間、更に手を強く握り締められた。

 痛くて思わず小さく声を上げると、大地はしまったとばかりに直ぐに手を緩めた。

「ごめん、ひなちゃん」

「大丈夫です。それより急ぎましょう」

「そうだね」

「大地先輩と手を繋いでいたら、いつもは駆け下りるのが怖い坂も一気に下ってしまいそうです」

「そうだね。よし、行こうか」

「はい!」

 ふたりでしっかりと手を握り締めると、元町通りまで一気に下っていく。

 はしゃいだ気持ちが、直ぐに華やいだのは言うまでもなかった。

 

 制服店に行き、試着をする。

 最終確認をするためだ。

「じゃあ待っているから」

 試着室の外で待っている大地を意識しながら、かなではぎこちない手つきで制服に着替える。

 冬服姿を気に入って貰えるだろうか。

 可愛いって心から言って貰えるだろうか。

 そんなことばかりを考えてしまう。

 大地を意識する余りに、指先が震えて上手くいかない。

 手先が急に不器用になったような気がした。

 ようやく制服を着替え終えて、ドキドキしながらカーテンを開けた。

 

 かなでの冬服姿はとても似合っているだろうと想像しながら、大地は待つ。

 女の子の制服姿を見るなんて、今までは何ともないことだったのに、相手がかなでだと勝手が違ってくる。

 大地は妙にそわそわした気分になった。

 かなでの冬服姿を見たら、独り占めにしたくなるかもしれない。

 それこそ、ヴァイオリンの妖精のような彼女をその場で見とれてしまうかもしれない。

 大切にしたいたったひとりの女の子。

 だからこそ、こんなにも甘い緊張を生むのかもしれない。

 同じ学校にいて、文字通り同じ世界を沢山共有するのは、後半年だけであるのは解っているから、余計に冬服姿を見たいと思うのかもしれない。

 カーテンがゆっくりと開く。

 そこから現れたのは、まさに制服の天使だった。

 その愛らしさに息を飲む。

 照れくさそうにしているが、本当によく似合っている。

 きらきらと輝いていて、まるで音楽の天使のように見える。

 大地は思わず息をするのを忘れてしまうぐらいに、見惚れてしまった。

 はにかみながらこちらを見る仕草が余りにも可愛くて、このまま独り占めをして抱き締めたくなる。

 大地が何も言わずに、ただただ見つめているのを心配したのか、かなでが声を掛けてきた。

「大地先輩…?」

 声を掛けられて、大地は我に返る。

「…あ、ああ…、ひなちゃん、とてもよく似合っているよ」

「有り難うございます」

 恥ずかしそうにする笑顔が眩しい。まるで水面のように輝いていた。

「小日向さん、スカートもジャケットの丈も大丈夫のようですね」

 店のスタッフがチェックしている間、かなではくすぐったそうに笑っている。

 クルッと一回転した時には、まるで夢を見ているようで、思わず見惚れてしまった。

「ではチェックOKですね。着替えて頂いて大丈夫ですよ」

 スタッフの言葉に、大地は慌てて携帯電話を取り出した。

「ひなちゃん、記念撮影をしようか」

「恥ずかしいです。秋になればいつでも見られますよ」

「良いから」

「だったら、大地先輩も一緒に」

「解ったよ」

 大地は、どうしてもかなでの姿を写真に残しておきたくて、携帯電話で撮影をする。

 かなでは最初は恥ずかしそうにしていたが、笑顔で記念撮影に応じてくれた。

 ふたりで並んで写真を撮るのが、くすぐったいぐらいに幸せだった。

 

 かなでが着替えるのを待って、ふたりで手を繋いで急な坂道を昇る。

「下りる時も、昇る時も、こうして大地先輩と一緒にいたら楽しいです。ひとりでいる時は、大変だと思っていたんですけれど」

 かなでの小さな手が大地の手を握り締めてくる。

 本当に愛しい。大事な存在。

「これからもずっと、こうして手を繋いでこの坂を昇ろう」」

「はいっ!」

 ふたりでのんびりと坂道を上がりながら、菩提樹寮に向かう。

「衣替えの日はエスコートさせてくれないか? 一緒にみなとみらいに遊びに行こう」

「喜んで!」

 制服の天使の笑みに、大地はこの上ない幸せを感じていた。

  これからもずっと坂道のエスコートは自分だけの特権だと思いながら。



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