ひと月のうちに満月が二回あるのはとても珍しいらしい。 二度目の満月のことをブルームーンと呼んで、願い事が叶う象徴になっている。 そんなことを聞いたからか、かなでは月に願い事をしたくなった。 願い事は、ヴァイオリンが更に上手くなること、大地ともっと甘い関係になること。 そのふたつだわ ごく普通の高校生が願うこととそんなに変わらない。 かなでは、ブルームーンに強く願うことにした。 ふと携帯電話が鳴り響き、かなでは慌てて電話に出た。 「はい! かなでです」 「ひなちゃん、こんばんは、榊だ」 「こんばんは大地先輩」 「ひなちゃん、明日は満月なんだけれど、一緒に桜を見に行かないか? 満月の夜に桜を眺めるというのは、とても美しいことだからね」 「是非! 是非、行きたいです!」 大地とロマンティックなお花見が出来るなんて、こんなにも幸せなことは他にないのではないか思う。 「じゃあ明後日、夜桜見物に行こう。とっておきのコースを案内するよ」 「有り難うございます! 楽しみにしていますね」 香穂子は笑顔を浮かべると、とても幸せな気分になれた。 大地との電話を切った後で、幸せが滲んで来るのが解る。 本当に楽しみでしょうがなかった。 お花見だから、少しでも良いからお洒落をしようと、かなではとっておきのホワイトのワンピースを着た。 だがあくまでも“お花見”だから、きちんと感は出さないようにする。 かなではほんのりと桜色に染まるグロスを唇に塗って、大地との待ち合わせ場所に向かう。 夜桜見物なんて初めてだから、ちょっとドキドキする。 何だか楽しそうだ。 かなではにんまりとしながら、待ち合わせ場所で待っていた。 「あれ? 小日向さん。どうしたの?」 声を掛けられて顔を上げると、そこには岡本がいた。 岡本には以前、告白されたことがあるのだ。 「あ、あの、待ち合わせを」 そこまで言ったところで、大地が素早く現われた。直ぐに手をギュッと握り締められて、かなでの胸の鼓動は甘く騒ぐ。 「岡本、久し振りだな。ひなちゃんは俺と約束があるんだ。またな」 大地はしらっとした態度で言うと、かなでに笑みをくれた。 「お待たせしたね。夜桜を見に行こうか」 「はい!」 大地はどんな夜桜スポットに連れていってくれるのだろうか。 かなでは楽しみにしながら、つい笑顔を向けた。 「先ずは定番のスポットに行こうか」 「はい」 定番と呼んでいるだけあって、かなりのひとで混雑していた。 屋台も沢山出ており、かなり賑やかだ。 かなでは笑顔で楽しむ。 「本当に桜が綺麗で、みんなが集まるだけのことはあります! 屋台も楽しそうで、美味しそう!」 「気に入ってくれて良かった。屋台で何か食べようか」 大地は笑みを浮かべながら、かなでを甘く優しいまなざしで見つめてくれる。 こんなにも素敵な笑みを浮かべられたら、幸せ過ぎてうっとりとしてしまう。 「ひなちゃん、俺の手をしっかりと握っていて。君は小さいから、人込みに紛れると分りにくいからね」 大地に半分からかうように言われて、かなではつい頬を膨らませて拗ねた。 「子供扱いしないで下さいね」 「ごめん、ごめん。あれで機嫌を治してくれないか?」 大地が指差した先には、サンマーメンの屋台が出ていた。 「サンマーメン!!!」 横浜に来てから、一番好きになった料理のひとつだ。 天音の七海の店で食べたサンマーメンが美味しくて、それ以来ハマってしまっている。 かなではにんまりと笑うと、大地を見上げる。 「サンマーメンを食べに行きましょう!」 「ああ」 かなではサンマーメンの屋台に突進すると、直ぐに注文をする。 やはり、夜桜見物はかなり躰が冷えてしまうから、サンマーメンのような温かなものがちょうど良いのだ。 「美味しそう」 大地の好物もサンマーメンなので、本当に気が合う。 かなでと大地は笑顔でサンマーメンを啜った。 腹拵えをしたから、これでのんびりと夜桜を楽しむことが出来る。 「ひなちゃん、デザートにベビーカステラがあるよ。食べながら歩こうか」 「はい」 こうして歩きながら花見を楽しむのも、花見の醍醐味だと思いながら、かなではのんびりと桜を眺めた。 こうしてライトアップされた桜を賑やかに見つめるのも、また楽しい。 昼間の賑やかさとはまた違った意味で楽しませてくれている。 「こうして賑やかな夜桜も良いですね。田舎ではもっと静かな花見でしたから」 「まあ、これはこれで良いのかもしれないけれどね」 大地は苦笑いをした後で、かなでの手をしっかりと握り、益々大人びた甘いまなざしを向けてきた。 「ひなちゃん、今からとっておきの場所に行こうか。静かに桜が見られる場所だよ」 「はい、行きたいです」 「じゃあ行こうか」 ふたりは喧騒からそっと抜け出して、とっておきの場所へと向かう。 何だか甘い逃避行のようで、かなではロマンティックでしょうがなかった。 山手の静かな住宅街に入って、暫く歩く。 流石に住宅街なだけあり、静まり返っている。 「ひなちゃん、あの桜だよ」 大地に示された方向に視線を向けた瞬間、かなでは息をすることを忘れてしまった。 幽玄、静謐。 そのような言葉しか思う浮かんで来ないぐらいに、静かな美しさを誇っていた。 「本当に綺麗です…」 かなでは息をするのを忘れてしまうほどに、魅入られる。 静かに佇むように咲く桜は、闇に栄えるように白い清らかさを放っている。 昼間の桜は可憐な愛らしい少女のようだとするならば、夜桜は凜とした大人の女性のたたずまいを持っていた。 その対比に、かなでは女性の一生のようだと思わずにはいられない。 可憐と妖艶。 このふたつを合わせ持ち、見事に使い分ける桜。 潔く咲いて散るのも、まさに見事な女に例えてしまう。 「…ひなちゃん?」 かなでが余りにも魅入られていたものだからか、大地が声を掛けてきた。 「…大地先輩…。桜って昼と夜では随分と印象が違うものなんだなあって思っていたんです。昼間は薄紅色の可憐な輝きに満ちているのに、夜になると白と思うぐらいに凜とした妖艶さを持っているなんて…。夜の闇に浮かんで咲くから白く見えるんでしょうか…?」 かなでの言葉に大地は静かに桜を見上げる。 「昼間はひとの喜びを吸い上げて見事なまでの桜色に染まり、夜は逆にひとの悲しみや切なさを吸い上げて白く染まるのかもしれないね…」 「そうですね」 なぜだか胸が甘く切なく痛んでしまう。桜を見ているだけで、泣きそうになった。 「ひなちゃん、桜の上を見上げてご覧?」 大地に言われた通りに、かなでが視線を上げると、そこには見事なまでの満月が神々しく輝いていた。 まるで桜が吸い上げた悲しみを癒すかのようだ。 余りにもの美しさに、かなでが言葉を失っていると、大地はフッと笑う。 「今晩はブルームーン。一月のうちに二度目の満月が起こるというとても珍しい現象なんだ。夢が叶うらしい。ひなちゃん、お願いをしようか?」 不意に大地に背後から抱き締められて、かなでは思わず甘く息を飲む。 願い事。 大地といつまでも一緒にいられること。 そしてヴァイオリンが更に上達することだ。 かなでがしっかりと願うと、大地も手を握り締めて願う。 ブルームーンと桜。 このように楽しむ花見もあるのだと、かなでは思う。 願い事の後、かなでは素晴らしい花見に連れていってくれた大地に礼を言う。 ふたりは見つめ合うとそのまま抱き合ってキスをする。 ブルームーンと桜のキスは願いを叶えてくれるから。 |