*June Bride*


 もうすぐ大好きな向日葵の季節だ。

 それだけでかなではウキウキしてしまう。

 だが、その前に、梅雨の時期を乗り越えなければならない。

 梅雨は楽器の調子もあまりよくないから、あまり好きじゃない。

 この時期が一番憂鬱だ。

 今年はコンクールの二連覇もかかっているから、かなりハードスケジュールで、練習にかかっている。

 たまにオケ部のOBである大地が練習を見に来てくれるのが、楽しみのひとつになっているが。

 医学部に進学した大地はかなり多忙で、余り逢えない。

 だが、何とか時間を作ってくれて、練習を見に来てきてくれるのが嬉しかった。

 

 今日も練習を見て貰った後で、ふたりでのんびりと帰る。

 寮までは近いから、結局は遠回りをして帰るのだ。

 大地とふたりでデートを兼ねた帰宅だ。

 練習の後、かなでは急いで片付けをする。

 少しでも長く大好きなひとと一緒にいたかった。

 髪を梳かしたり、ほんのりと色付くリップも忘れてはならない。

 かなでは帰り支度をした後、大地の待つ校門へと向かった。

「大地先輩」

「ひなちゃん」

 大地とふたりで校門をくぐるとすぐに、お互いに手を繋ぎあった。

「今日はご苦労様。随分と技術が上がってきたね。この調子で頑張れよ。相手も打倒星奏で来るから、気は抜けないけれどね」

「そうですね。気持ちを引き締めて頑張ります」

「うん。安堵して手を抜いたらそれで負けだからね」

「はい、頑張ります」

 大地がシビアでかなり厳しいことは、かなでもよく解っている。

 だからこそ、気は抜かずに、更なる上を目指すのだ。

 音楽に頂点なんてない。

 納得する音楽を奏でられるなんてなかなかない。

 それでもかなでは、音楽の楽しさだけは忘れずにやっている。

 憧れのヴァイオリニストである日野香穂子が、いつも音楽の楽しさを忘れないで奏でていると、インタビューで読んだからだ。

 憧れのヴァイオリニストであり、かなでの先輩でもある日野香穂子が心掛けていることを、真似をしたかった。

「大地先輩、練習は大変ですがその分、とても楽しく出来ますから。ヴァイオリンを弾いていると本当に楽しいんです。だから、まだまだ頑張りますね」

「うん。ひなちゃんなら、もっともっと素晴らしいヴァイオリニストになれるだろうから」

「有り難う…」

「本当にそう思っているよ」

 大地は優しさと確信が秘められた笑みを浮かべると、頷いてくれる。

 こうして大地に励まされると、かなでにとっては百万人力ぐらいになるのだ。

「ひなちゃん、のんびりと歩いて行こうか。コーヒーでも飲もうか」

「はい」

 大地と付き合うようになってから、かなではコーヒーが大好きになった。

 コーヒーはかなり奥深いからだ。

 色々な種類のコーヒー豆があること、更にコーヒーの淹れ方も色々とあることを知った。

「アイスコーヒーが良いかもしれないね。ここのところはかなり蒸し暑いから」

「そうですね。私もアイスコーヒーが良いです。湿気が多いと、楽器には余り良くないから、この時期はとても憂鬱なんですよ…」

「確かにそうだね。俺もヴィオラのメンテナンスに困るよ」

「早く梅雨があけると良いです。そうすると大好きな向日葵の季節ですから」

 かなでは、太陽に向かって真直ぐと伸びる向日葵を思い出して、とても幸せな気分になれた。

「向日葵か…。確か、ひなちゃんの待ち受けは向日葵だね」

「はい。だから早く向日葵が見たいなあって思いまして。七月にならないかな」

 かなではすっかり七月になったような気分になっていた。

 ふと、教会の鐘が聞こえる。

「…六月でも、女の子が好きなことがあるよ」

「え…?」

 かなでが不思議な気分で大地を見ると、くすりと笑われた。

「気付かない? ほら、ジューンブライドだよ」

 かなではそうかと納得して笑顔になる。

 確かにジューンブライドはロマンティックで、女の子が一度は憧れる。

「そうですね。ジューンブライドは確かに憧れます」

 かなでがうっとりと微笑みながら頷くと、大地は教会を指差した、

「ほら、ちょうどジューンブライドが出て来たよ」

「本当だ…」

 山手カトリック教会から、幸せそうなカップルが出て来る。

 ロマンティックに素敵な花婿と花嫁に、かなではつい自分と大地を投影してしまう。

 いつか。

 いつか大地とふたりで、結婚式が出来たなら。

 とても幸せでロマンスが溢れることだろう。

 かなではうっとりと見つめていた。

「ひなちゃん、花嫁と花婿を熱く見つめすぎだよ」

 大地に苦笑い混じりの指摘をされて、かなでは慌てて視線を大地に向ける。

「…つい、見ちゃいました」

「確かに、ジューンブライドは素敵だろうからね」

「はい。六月に結婚をすれば幸せになれるなんて、そんなジンクスならば信じてみたいですよね」

「確かにね。やはりひなちゃんはヴァイオリニストだからロマンティストだ」

 大地はかなでに優しく微笑みかけてくる。

「ロマンティストだからこそ、甘い恋の曲が大好きなのかもしれませんね」

「確かにそうだね。ひなちゃんは、やはり恋の曲が一番似合っている。それはロマンティストだからかもしれないね」

 大地はかなでの手をギュッと握り締めながら、嬉しそうに言った。

 ロマンティックな六月の結婚式。

 いつか…。

 今、となりにいるひとのジューンブライドになれたらと、かなでは思った。

「ね、ひなちゃん、この今日教会が気に入った?」

「はい。とても雰囲気が良くて、ここならいつか結婚式をしたら良いだろうなあって…」

「うん。ひなちゃん、覚えておくよ。この教会だって…」

「え…?」

 ときめく余りに心臓が跳ね上がる。

 かなでがドキドキしながら頬を赤らめて大地を見ると、フッと甘い微笑みを浮かべてくれた。

 大地に西日があたり、スポットライトのように照らして輝いて見える。

 かなでは胸の奥が甘さで満たされるような幸せを感じる。

 こんなにも幸せな記憶は他にないように思えた。

 ふたりは、新郎新婦の幸せな姿を堪能した後、頷きあう。

「じゃあコーヒー、飲みに行こうか」

「はい」

 かなでは手をしっかりと握り締めると、大地に笑顔を向けた。

「いつか…ね」

「いつか…」

 しっかりと約束するには、ふたりともまだ早いことは解っている。

 だからこそ、このことを記憶に止どめることだけにしておこう。

 少なくとも今は。

 それが一番良い。

 そしていつか、この記憶がロマンティックな約束になれば良いと、かなでは思わずにはいられなかった。

 

 ふたりで行きつけのコーヒーショップに入る。

 アイスコーヒーを頼んで、ふたりはのんびりと味わった。

「やっぱりこの時期はアイスコーヒーかな。コンクールの頃もよく飲んだよね」

「そうですね。アイスコーヒーが気分転換をさせてくれましたから」

「うん。俺たちにはアイスコーヒーは思い出の飲み物になるかな」

「…そうですね。きっとそうなります」

「…だったらパーティのプチプレゼントはコーヒー豆だな…」

 大地がひとりごちると、花はドキリとする。

 わざと「え…?」と、聞き返してみた。

「何でもないよ。いつかね」

 大地はクールに誤魔化したが、かなでは笑顔で頷く。

 いつか開くだろう六月の結婚式パーティ。

 その時のプレゼントのコーヒーを今から選ぶのが、かなでは楽しみでしかたがない。

 六月が好きになったよ。

 かなではロマンティックにそう心の中で呟いた。



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