火原編
ホワイトデーだなんて、バレンタインデーに比べるとあまり重要ではないと思っていた。 お返しなんてただ面倒臭いだけ。 だが、いざ、ホワイトデーできちんと返さなければならない立場に立たされたら、重要なイベントのように思えてくる。 それは、恋をする相手の素晴らしい笑顔を見てみたいから。 それだけのために、色々と考えてしまう。それがまた、ドキドキしたり、甘い気分になったりして楽しかったりもする。 「ねぇ兄貴、ホワイトデーのお返しってさ、どんなものが喜ばれるかな?」 考えあぐねた結果、和樹は、自分よりも恋愛スキルが遥かに高い兄陽樹に、ストレートにぶつけてみた。 「ホワイトデーって…、ああ、あの髪の長いコからチョコレート貰ったか!」 いきなり腕で首を締められてしまい、和樹は窒息しそうになってしまう。 陽樹はあくまで嬉しそうに、和樹に戯れ付いて来た。 「彼女は、どんなものが好きなのかなって…。普通科なら、ホワイトデー近くに、クッキー作るらしいんだけれど、おれは音楽科だし、3年だし、学校の手作りはなしだから、何をあげようかと…」 何を言って良いのか解らないぐらいに、和樹はオタオタとしてしまう。 ホワイトデーのことをほんの少し相談するだけで、ドキドキしてしまう。 恋はどうしてこんなにも熱くなってしまうのだろうか。それはもう、熊のようにうろうろしてしまいたくなるぐらいに。 「…兄貴、真剣に考えてよ…」 思わず泣き言を言ってしまい、陽樹は苦笑いをした。 「あのな、女の子は好きな相手からだったら、どんなプレゼントだって、嬉しいに決まってる。俺がどうこうアドバイスするより、お前が自分で考えたものをプレゼントするのが一番だ」 「そっか…、そうだよね」 陽樹の正論に、和樹は何度も頷いた。 「…それにお前は一番の武器があんだろ? トランペットだよ。トランペットでスコーンとラブソングを奏でてやったらいいじゃん」 さらりとした陽樹の一言に、和樹はこころがふわりと舞い上がるのを感じた。 トランペットでラブソング。言葉よりも何よりも最も気持ちを伝えることが出来るもののような気がした。 「そっか! それは頂きだよ! サンキュ兄貴」 「後さ、曲だけだったらサムいだろうから、なんかテキトーに買っとけ」 陽樹はそう言い捨てると、重い腰をゆったりと上げた。 「しっかりな。お前にしては、かなり進化だな」 陽樹に肩をしっかりと叩かれると、沢山の勇気が集まってくるのが不思議だ。 本当に勇気百倍で、このまま何でも出来てしまいそうな気がする。 陽樹を見送った後、和樹は早速、香穂子のためだけに吹くラブソングの選定に入った。余り時間はないから、迷っている時間はない。 「ロマンティックなヤツで、トランペットにあうのは、やっぱジャズとかが良いんだよね」 兄のCDセレクションのなかから、和樹は適当にジャズCDを一枚取り出して、じっと眺めた。 「…うーん」 たまたま手に取ったのは、ナット・“キング”・コールのCD。 ロマンティックなジャズとしては、かなり定番なものが入っている。 「時間ないしな…、ホントは火原和樹ワンマンショーぐらいに、香穂ちゃんには聞かせたいんだけれどねー」 練習する時間は、比較的ある。 大学も決まり、卒業出来た身の上ならば時間を作るのは、さほど難しい話ではない。 「じゃあ、欲張って、3曲ぐらいいっちゃおうかなー。これはタイトルからしてラヴいよね、でこれは大人な感じがするし、これはメロディが良い感じだからねー」 コンクールのために選曲をするのめ楽しかったが、こうして大好きなひとのために選曲をするのは、もっと楽しかった。 「決まりだね! よしっ!」 和樹はメモに曲のタイトルを控えると、早速、横浜の大型楽器店へと向かった。 それからは、まるで取り付かれたように練習をしている。 やはりきちんと練習出来る環境が一番整っているのは学校なので、こそこそと練習することが多くなってきた。 和樹の余りにもの熱心さに、金澤が呆れ返ったほどだ。 「お前さん、コンクールの時も、授業の時も、それだけ熱心に練習をしていたら、優勝間違なしだったのにな」 苦笑いをする金澤に、和樹は誤魔化すように笑った。 確かにコンクールでは、優勝を逃してしまった。だがそれを後悔したことなんてない。 あの時は、恋心に気付いたからこそ、ああしてとても良い成績をおさめられたのだ。 恋が原動力。 今や、音楽を奏でるのに、香穂子の存在は欠かせなくなっている。 「大学の準備で頑張ってるのか?」 「ま、そんなところ」 笑って誤魔化しても、金澤には総てまるっとお見通しなのだろう。 含み笑いが少し恥ずかしい。 「…まあいいさ、お前さんのガソリンは、日野香穂子だってことは、誰でも解ることだからな。どうせ、日野がらみなんだろ?」 流石金澤。 和樹は言葉を続けられなかった。ただ照れてしまい真っ赤になるだけだ。 「…まあ、理由は何であれ、ガンバルのは良いことだ。しっかりな」 金澤は思い切り和樹の背中を叩くと、笑いながら行ってしまった。 しょっぱい金澤からのエールに笑いながら、和樹は練習を開始した。 ホワイトデー。 香穂子たちも試験休みの最終日でもあるから、デートは可能だったりする。 港の見える丘公園にでも誘って、デートしたいところだ。 面と向かってホワイトデーのデートを申込むなんて、心臓が張り裂けそうになるぐらいに緊張してしまう。 香穂子に逢うためだけに、理由をつけては学校に行きまくってはいるものの、肝心の誘いの言葉がなかなか出なかった。 だったらメールでもと思ってはみるものの、ガチガチになって良い文章が思い浮かばなかった。 携帯電話を持ったままで、狭い部屋をぐるぐると歩き回るのが関の山だ。 相手と面と向かっていないのに、手のひらに汗をびっしょりと滲ませた。 携帯は汗まみれ。もう最悪だ。 和樹は何度もメールを打っては消してを繰り返した挙句に、シンプルな文面を作った。 三月十四日に、港の見える丘公園に行かない? 十時集合! これではまるでオーケストラ部の集合メールだ。 どんよりと落ち込んでいると、ほどなくしてシンプルなメールが返ってきた。 お誘い有り難うございます。 三月十四日が楽しみです。 メールを声を出して読まずにはいられなくなる。 嬉し過ぎて心臓が激しいビートを奏でる。 近所迷惑かもしれないが、思わず飛び上がって喜びたくなった。 これで、もっともっと練習に励める。 このどうしようもないほどに抑えきられない気持ちを、トランペットの音色に託したかった。 デートの前日、近くのスウィートショップに立ち寄ると、色とりどりの可愛いコットンキャンディーが、ラッピングして販売されていた。 ホワイトデーにいかがですか? そんなコメントとともに、白いウサギの編みぐるみが付いてセットが飾ってあった。 香穂子にぴったりなふわふわとしたプレゼントに、和樹は迷うことなく購入を決めた。 何かを買う時にこんなにも緊張したのは、初めてなのかもしれない。 ホワイトデーのプレゼントなので、綺麗にラッピングして貰えるのも嬉しかった。 プレゼントを持ち帰りながら、不意に和樹は気付いた。 プレゼントは相手のためではあるけれども、本当は贈ったひとの笑顔を何よりも自分が欲しいからかもしれない。 ホワイトデー当日は、ウサギの編みぐるみと同じように目が充血していた。 昨日興奮して眠れませんでしたと、自ら告白をしているようで嫌だ。 今できる自分らしいお洒落をして、和樹は公園へと向かった。 「火原先輩!」 甘くて弾む声が聞こえて、真っ直ぐに走って行く。 今日の香穂子も眩しいぐらいに可愛い。 春の陽射しにぴったりな、パステルイエローの春ニットに白いプリーツスカート。 和樹の男心を充分過ぎるほどに刺激をしてくる。 可愛くて、可愛い過ぎて、全身の血液がぐつぐつと沸騰してしまうほどだ。 「あのさ、聴いて貰いたい曲がいくつかあるんだけれど、いいかな」 唇がからからで上手く演奏出来ないかもしれない。 だがここは気合いを入れて演奏がしたかった。 「楽しみです!火原先輩のトランペットをずっと聞きたかったんですよ!」 香穂子が本当に嬉しいそうに楽しそうに笑うものだから、こちらまで嬉しくなった。香穂子の笑顔は春の陽射しのようだ。 「じゃあ聴いてね」 「はい」 ほんのりとさくら色に頬を染め上げる香穂子は、春が連れて来た妖精のように見えた。 緊張する。いつもより遥かに。だが、楽しい緊張には間違ない。 和樹はトランペットに口付けると、軽快なリズムが春らしい”LOVE”を演奏し始めた。 とてもご機嫌なナンバーで、思わずスウィングしてしまうほどだ。 ちらりと香穂子を見ると、楽しそうにスウィングしているのが見えた。 本当に可愛い。 トランペットも気持ちと同じで、スピードを上げて明らかに乗っているのが解った。 ”LOVE”が済めば、しっとりとした”アンフォーゲッタブル””枯葉”へと続く。 ”アンフォーゲッタブル”はとてもロマンティックなナンバーで、香穂子の瞳も美しく輝いている。とても綺麗だ。 うっとりと潤んだ瞳で見つめてくれるのが嬉しくなった。 ”枯葉”は少し神妙に。 奏でるだけで何だか泣きたくなる。 その感情が移ったのか、香穂子の瞳がうるうると滲んでいた。 どうしてこんなに可愛いんだろうか。 可愛いくてしょうがないんだろうか。 ”枯葉”が奏で終わる頃には、香穂子の感情は甘く高まっていて、一生懸命拍手をしてくれた。 「凄く素晴らしい演奏です。素晴らしくって泣けてきました…。ああ、私もヴァイオリンを弾きたいなあって、こころから思いましたよ」 涙を指で拭っている香穂子に、心臓が甘い呻き声をあげる。 ドキドキし過ぎて、世界がぐるぐると回ってしまいそうだ。 「…香穂ちゃん」 甘い笑みを零しながら、和樹は香穂子の涙を器用に拭った。 真珠よりも大切な涙だ。 香穂子がはにかんだスミレのような笑みを浮かべた。 「有り難うございます。最高のホワイトデーです」 「…良かった」 「とても良い演奏だったよ!」 何処からか拍手が聞こえて、和樹は思わず振り返る。 そこには品の良さそうな老人がにこやかに立っていた。 「いやあ素晴らしかった! 最後の”枯れ葉”。あれが良かったよ!」 「有り難うございます!」 「ただ、“枯葉”は別れの曲だから、今の君達にはふさわしくないかもしれないね」 おおらかに呟く老人に、和樹はしまったと思ったが後の祭りだった。 ただ恥ずかしい。曲の意味ではなく、メロディーで選んでしまった。 そろりと香穂子を見ると、優しく微笑みながらこちらを見ていた。 「だけど私には、最高のラブソングに聞こえましたよ」 和樹のこころは、もう弾んでどうしようもなくなる。 香穂子を好きになって良かったと、これほど思った瞬間はなかった。 優しくて甘い綿菓子のような香穂子。 もっともっと好きになる。 だからもっともっと話がしたい。 「ねぇ君ともっともっと話がしたいよ。霧笛楼でお茶しようか?」 手をしっかりと繋げば、香穂子は頬を更に鮮やかに染め上げる。 「はい!」 手を繋いで、急で長い坂道を降りたら、沢山話をしよう。 「ホワイトデーのプレゼントだよ」 「有り難うございます! プレゼントいっぱいですね」 綺麗に澄み渡った空よりも明るい笑顔を向けられて、和樹は泣きそうなぐらいに幸せを感じる。 いっばいプレゼントを貰ったのはおれのほうだよ。 こころのなかで囁きながら、甘い甘い恋に溶けて行く。 |