*秋の日*


 あのひとは穏やかな秋の落ち着いた日差しがとてもよく似合う。

 つい見とれてしまいそうになるぐらいに。

 香穂子は、吉羅が日差しを浴びながら仕事をしているのを見るのが大好きだ。

 ノスタルジックな秋の日差しを浴びる吉羅は、まるで芸術品のように見える。

 仕立ての良いスーツを身につけて、厳しく仕事をする姿は、とても素敵だ。

 大人の艶やかな魅力が溢れている。

 本当にいつまでも見つめていたい素晴らしさだ。

 吉羅が仕事をしている理事長室に行きたいと願うが、もう高校生ではないから、なかなか行きにくい。

 高校生の頃ならば、何かしら理由をつけて立ち寄ることが出来たのに。

 今はそういうわけにはいかない。

 香穂子がいる大学と高校には、近いのに高い壁があるように思えたから。

 吉羅は、相変わらず香穂子をバックアップしてくれている。

 高校生の頃のように、より近い場所ではなくなってしまったが、それでも最大限のバックアップをしてくれていた。

 近づきたくても、近づけない。

 高校生の頃のように、そばで笑っていることは出来なくなっている。

 気遣う。

 それは、高校生の頃にはなかったこと。

 それは、香穂子がより大人になったということなのだろう。

 どうしてもあと一歩を踏み出すことが出来なくて、香穂子はまた理事長室には行けなかった。

 しょうがない。

 なかなか勇気が出ない。

 高校生の頃はとても素直でいられたのに、今はそういられない。

 大人になった。

 だが、停滞してしまう大人らしさならば、そのようなものはいらない。

 香穂子が学院近くの坂をとぼとぼと歩いていると、目の前からクラクションが聞こえた。

 車はゆっくりと香穂子の前で停まった。

「日野くん、久しぶりだね。乗らないかね」

 吉羅は、車から降りるなり、助手席のドアをスマートに開けてくれる。

 スマートに紳士らしくエスコートをしてくれるのは、全く吉羅らしい。

 ずっと逢いたくて、見つめたいと思っていたひとが目の前にいる。

 香穂子は、嬉しくて、つい笑顔になった。

「有り難うございます。ご一緒します」

 香穂子が明るい調子で返事をすると、吉羅はフッと柔らかな笑みを浮かべてくれた。

 香穂子は久し振りに、吉羅の車にゆっくりと乗り込む。

 久々の吉羅の車は、何だかドキドキする。

 高校生の頃は、無邪気によく乗っていた。

 勿論、大好きな吉羅の素敵ぶりにドキドキしたり、幸せな気持ちになったりと、とても忙しい感情であったけれども。

 香穂子は、吉羅のそばにいるだけで、本当に幸せで、ワクワクしていた。

 今よりも子供っぽい恋情ではあったが、それでも無邪気で真剣だった。

 あんなにも素敵な感情は他になかった。

 香穂子はほんのりとドキドキしながら、助手席に乗り込んだ。

 車は学院横の坂を下りて、横浜の中心地へと向かう。

 吉羅の車に乗り込むだけで、ロマンティックな想いが高まってきた。

「時間も丁度良いから、夕食にお付き合い願いたいが構わないかね?」

「勿論です」

 お茶をするよりも、ずっと長くいられるから、食事のほうが香穂子は嬉しい。

 これから少しの時間でも、大好きな吉羅を独占出来るのは、本当に嬉しかった。

 香穂子は幸せで満たされた気持ちになりながら、ずっと吉羅の運転の様子を見つめていた。

 

 吉羅が連れていってくれたレストランは、夜景が美しいのが売りだった。

 香穂子は、ロマンティックな気持ちを抱きながら、レストランに向かう。

 もし、吉羅と本当の恋人同士であるならば、こんなにもロマンティックなシチュエーションはないだろう。

 だから今だけは恋人の気分にひたりながら、香穂子は吉羅と向き合った。

 ときめきが胸を支配しすぎて息苦しくなるぐらいに、ロマンティックが満たされた状態であったが。

 吉羅と夜景。

 どちらも楽しみながら、食事をする。

「日野くん、大学でも随分と頑張っているようだね。君には益々頑張って貰わなければならないがね」

「有り難うございます。理事長がバックアップして下さるので、より頑張ることが出来ます。有り難うございます」

 本当に吉羅には感謝している。

 吉羅が、香穂子のために色々と根回しをしてくれているからこそ、こうして頑張ることが出来るのだ。

 感謝以外にないと、香穂子は思っている。

 吉羅がいるからこそ、頑張ることが出来るのだ。

「ならば、たまには理事長室にも顔を出したまえ。私の耳で、君の成長を確認しておきたいからね」

「有り難うございます。だったら顔を出させて頂きますね。理事長のお仕事を邪魔してしまってはと、考えていました」

「邪魔になどならないよ。むしろ、報告しない行為のほうが、私を困らせるとは、君は思わないかね?」

 吉羅はシニカルさと優しさが混じった笑みを薄く浮かべる。

 吉羅らしい笑みに、香穂子は魅了されていた。

「解りました。これからは報告しますね」

「そうしてくれたまえ。大学側に報告させるよりも、君自身に報告してもらうほうが確実だからね。音で確認するのが一番だ」

「はい、そうします」

 吉羅に認められるのであれば、それが一番良い。

 吉羅のところに行きやすくなるのが、香穂子としては、一番嬉しかった。

「ならば、定期的に理事長室に来なさい。以前の定期考査のようにね」

「……懐かしいです……」

「そうだね。あの頃の君は勝ち気にだけど素直で前向きに頑張っていたからね。見ていて清々しかったね」

 吉羅に誉められると、くすぐったいが、とても嬉しい。

「有り難うございます。理事長がサポートして下さったからこそ、頑張れたんですよ」

「君はサポートをしたくなるぐらいに、真っ直ぐ頑張るからね。学院のために真っ直ぐ頑張る君を、理事長としてサポートをするのは、当然だろう?」

 吉羅はさらりと何事もないように呟く。

 香穂子はほんの少しだけ切なくなる。

 吉羅はあくまで学院のためにサポートしてくれるのだ。

 香穂子のためではない。

「定期考査は、毎週金曜日はいかがかね?」

「はい。では、金曜日に」

「私と君に予定がなければ、このように食事をしながら、君に評価を伝えることが出来るからね」

「有り難うございます」

 香穂子は吉羅に会いたいから考査を受けるが、きっと吉羅は香穂子の成長具合を純粋に見たいだけなのだろう。

 しょうがない、理事長なのだから。そう考えるのは当たり前だ。

「さあ、事務的な話はここまでだ。食事を楽しもう。君と過ごすのは悪くないからね」

「有り難うございます。理事長のご期待に添えるように頑張りますね」

「それはもちろんだが、私はヴァイオリンとは関係なく、君と食事を楽しもうと思っているよ。それは勘違いしないように」

 吉羅はクールに言うと、食事を始める。

 香穂子はときめきながら、ただ吉羅を見つめる。

 ドキドキしながらも、ときめきながらも、吉羅の真意を図れない香穂子が、本当の意味を知るのはもう少し後の事。




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