横浜の良いところは、やはり西洋風の町並みがうつくしいところもある。 この町に生まれて良かった。 愛する人も同じ街で、生まれ育ったことに感謝するしかない。 この町に生まれたからこそ、愛するひとと出会えたのだと、香穂子は思う。 海と未来とノスタルジーが詰まった町が、香穂子は愛しくて堪らなかった。 こんなに素敵な町は、世界中探してもないなんて、そんなことすら、香穂子は思う。 本当に他にない。 きっとここまで思うのは、愛するひとがいる町だからだ。 香穂子は、久々に戻った故郷の町を、のんびりと回る。 海辺のテラス席で、古き良きノスタルジーと、ほんの少し前に夢見ていた泡沫のような未来が交差した風景を見つめる。 見事なコントラストで、香穂子はつい、見つめてしまう。 春の柔らかで躍動ある陽射しを身に受けながら、香穂子はただじっと、愛してやまない故郷を見つめていた。 心の中が空っぽになる。 良いリセットになると、香穂子は思わずにはいられない。 潮風に髪を靡かせながら、テラス席でじっと見つめていた。 「ご注文は?」 「湘南シラスを使ったパスタを」 「かしこまりました」 テラス席で、のんびりとするのもまた良い。 久し振りに、心が休まる時間だ。 ずっと海外へ演奏旅行に出掛けていたからだ。 演奏旅行と言っても、きちんとギャランティは支払われる、立派なプロとしての仕事だ。 だからこそ、かなりの律した自分が必要なのだ。 演奏旅行は、世界各国を回れる代わりに、緊張感が常につきまとって、のんびりとすることが、なかなか出来ない。 それに、観光なんて気分にもなれなかった。 プラハのロマンス溢れたノスタルジックな町並みも、ウィーンのデカタンスも、パリの華やいだ雰囲気も、ナポリの明るい賑わいも、神秘的なアテネも、斜に構えたロンドンも、素敵だと思えたが、常に緊張が滲んだ記憶だ。 だが、横浜だけは、優しい温かさがある。 ずっとここにいた頃は、そんなことを思ったことはなかったけれども、今ならば、この町の本当の魅力が解るような気がした。 パスタが運ばれてくる。 やはり、何気ない日常の食事はほっとする。 パスタを食べながら、香穂子はつい笑顔になる。幸せな笑顔に。 「……美味しい」 こうしてのんびりと食事が出来ることが、香穂子には何よりも嬉しかった。 町の景色とランチを楽しみながら、香穂子はふと愛するひとを思い出す。 あのひとはどうしているだろうか。 今日は仕事だから、きっと厳しく向かっていることだろう。 邪魔をしてはいけないと思い、いきなり訪ねることは控えていたのだ。 愛するひとの隙間時間を狙って、突撃しようと思う。 まだ、甘えた子供のようだと、思われているのだろうか。 甘えるのは、愛するひとだけなのだが。 パスタを食べながらも、考えることは大好きなひとのことばかりになる。 早く会いたい。 横浜で逢うのが意味がある。 演奏旅行中に、ご褒美のようにウィーンに訪ねて来てくれた。 学院の研修旅行の下見だとは言っていたが、それは建前であったことは、香穂子は解っている。 だからこそ嬉しかった。 ふたりでまる二日間、一緒にいられた。 本当に、濃密な甘い情熱的な時間だった。 逢うとしても、それ以来なのだ。 香穂子は食事を終えると、より愛するひとに近い場所へと向かった。 帰国しているのは解っている。 いつ訪ねて来てくれるのかと、そればかりが気になってしまい、吉羅は全く仕事にならないと感じていた。 前回会ったのは、二月ほど前のウィーンだ。逢いたくてたまらなくて、吉羅はわざわざウィーンまで出向いた。建前は、“研修旅行の下見”。 それが建前であることがバレているのは、吉羅もよく解っているのだが。 あの二日は、恋人同士であることを、愛し合っていることをしっかりと確認出来た時間だった。 香穂子との濃密な時間が、吉羅を今まで支えてくれていた。 だが、今は違う。 禁断症状が出てしまい、逢いたくて、抱き締めたくて、キスしたくて、愛し合いたくて堪らなくなっている。 いつ、訪ねてくれるのだろうが。 それを考えるだけで、吉羅は中学生のようにドキドキしてしまった。 吉羅はどうしようもなく悶々としてしまい、気分転換に、少しだけ学院の中庭を散策することにした。 すると、大学部の生徒の声が聞こえてきた。 「さっきさ、あの、庭と景色が綺麗なオープンカフェで、日野さんを見かけたよ」 その一言を聞くなり、吉羅はいても立ってもいられなくなった。 香穂子が学院近くにいる。しかも、カフェにいるのだ。 香穂子が大好きだと言っていたカフェだ。 いつも吉羅を待っている時に使っているカフェだ。 吉羅は、仕事はこれで切りあげようと、理事長室に引き返すと、直ぐに後片付けをした。 仕事よりも、今は香穂子に逢うことを重視したい。 香穂子に会わなければ、仕事が捗らないのは解っていたから。 香穂子は、吉羅との待ち合わせに使うカフェに来ていた。 ここは香穂子の最もお気に入りのスポットだ。 ここのオープンカフェで、のんびりと横浜の景色を堪能するのが好きなのだ。 それに、この時期は、バラの香りがする風が楽しめるのも嬉しい。 「あら、香穂子さん。お帰りになっていたんですね。ご注文はクリームティーですか?」 「はい、お願いします」 香穂子はこのカフェのクリームティーが大好きだ。 スコーン二つに、クロデットクリーム、ブルーベリージャム、ストロベリージャム、そして極上のアッサムを使ったロイヤルミルクティがつくのだ。 香穂子は運ばれてきた、クリームティーに、思わず微笑んでしまう。 クロデットクリームとジャムを挟んで、とても幸せな気持ちになる。 スコーンを食べながら、バラの香りがする風に吹かれて、リラックスしていた。 これで大好きなひとが迎えに来てくれたら。 そう思っていると、大好きなひとが、バラの香りの風に吹かれて、やって来た。 少しだけ不機嫌に見える。 「……暁彦さん……」 「ようやく、見つけた」 吉羅はフッと笑うと、香穂子を慈しみある眼差しで見つめてくる。 久々の愛するひとの笑みが嬉しくて、香穂子は泣きそうになる。 「ただいま。戻りました」 「お帰り。これから時間はあるかね?」 「はい。暁彦さん、お仕事は?」 「もう済ませたよ。今日はたっぷり付き合って貰うよ。構わないね?」 「はい」 「では、まずは君の大好きな、クリームティーを一緒に頂こうかな」 「はい」 バラの香りがする風に吹かれて、ふたりでクリームティーを、楽しむ。 最高の午後だと、香穂子は思う。 横浜は大好きなひとがいるから、世界で一番素敵な町なのだろうと思った。 |