*かほろん*


「では、よろしくお願い致します」」

 ビジネスの商談が終了し、吉羅は挨拶をした。

「そうそう、吉羅さんの奥さまは、ヴァイオリニストの日野香穂子さんと伺いました。デパ地下でお菓子を見ていたら、日野さんのことを思い出してついこれを」

 商談相手は、照れ臭そうに、そして何処か楽しそうに、箱を差し出した。

「これは?」

「和風マカロンなんですよ。“かほろん”という名前で、つい日野さんのことを思い出しまして……」

「“かほろん”……、ですか……」

 香穂子のことを思い出して貰って、わざわざ持ってきてくれたのはとても嬉しいが、吉羅は何だか複雑な気持ちになった。

「私は日野さんの温かなヴァイオリンの音色が大好きなんですよ」

「ありがとうございます。妻にも伝えておきます」

 吉羅は、ことさら“妻“というアクセントを強調させて呟いた。

「一ファンの戯れごとですから。それでは私はこれで」

「ありがとうございました」

 吉羅は、客人を見送った後、ため息を吐いた。

 嫉妬しているわけではないが、何だか複雑な気持ちになる。

 ファンにイチイチ嫉妬なんてしてはいられないのだが、今日のようなサプライズで粋なプレゼントをさりげなくされると、何となく気に入らない。

 香穂子がかなり喜ぶのは分かっている。それはそれで嬉しくはある。

 夫として、愛する妻にはいつも上機嫌でいて欲しいからだ。

 だが、香穂子の1日のうちで、一番のサプライズと喜びは、自分が与えたいと、吉羅は思っている。

 それ以上のサプライズと楽しい喜びを与えられるプレゼントや、出来事とは何だろうかと、吉羅は考える。

 この和風味のマカロンに合う紅茶はどうだろうか。

 いや、紅茶はカフェインがきついから、今の香穂子には飲ませるわけにはいかない。

 だったら、ハーブティで合うものはないだろうか。

 そんなことばかりをぐるぐると考えてしまう。

 全く変わってしまったものだと、吉羅は自分自身に苦笑いをせずにはいられない。

 香穂子が幸せだと感じることなら、どんなことでもしてあげたいと思っている。

 吉羅は、仕事の帰りに、マカロンに合うハーブティと、香穂子が好きな小さな花束でも買って帰ろうかと思った。

 

 吉羅は、ハーブティ専門店に立ち寄り、甘さをほんのりと感じられるハーブティを選んだ。

 香穂子は、今はハーブティを好んで飲んでいるからちょうど良いと思う。

 花屋にも立ち寄り、食卓に愛らしく飾ることが出来るぐらいの、愛らしい花束を購入をした。

 香穂子が幸せそうな笑顔になるのを想像するだけで、ほっこりとした幸せが舞い降りてきた。

 香穂子とふたりでのんびりとした時間を過ごすことが出来るのが、吉羅には何よりも嬉しかった。

 

 家のセキュリティを解いて、玄関前に立ってインターホンを押せば、直ぐにドアが開いた。

「おかえりなさい、暁彦さん」

 香穂子が、見るだけでこちらが幸せになるような笑顔を向けながら、出迎えてくれる。

 この瞬間、吉羅は幸せでしょうがなくなる。

「ただいま、香穂子」

 家に入ると、しっかりと抱き締めてキスをする。

 香穂子を腕の中に閉じ込めるだけで、吉羅は1日の煩わしい疲れが吹き飛ぶような気持ちになった。

「香穂子、今日、取引のある客人から、君宛にプレゼントを頂いたよ。マカロンだそうだよ」

 吉羅が差し出すと、香穂子は本当に嬉しそうに笑う。

 本当に可愛い笑顔だ。

「ありがとうございます。夕食の後にお茶と一緒に頂きましょう?」

「ああ、君がそういうと思って、ハーブティを買ってきた」

 吉羅が然り気無く。香穂子にお茶を差し出すと、本当に可愛らしい笑顔になり、吉羅を魅了する。

 本当にずっと見つめていたいと思うほどに可愛い。

 夫としての欲目かもしれないが、本当にキラキラと輝いて見える。

 吉羅は、つい香穂子に見いってしまう。

「先ず、食事にしましょう。ふたりでのんびりすることが出来るのは、久しぶりですから」

「確かにそうだね。久しぶりだ。ゆっくり、この時間を楽しもうか」

 吉羅は、香穂子を見つめるだけで愛しさが込み上げてくるのを感じた。

 香穂子を多くの魅力的な男たちと争って、自分だけのものにした。

 香穂子以上に恋をした相手はいなかったから、吉羅にとっては、最初で最後の相手だと言っても、過言ではなかった。

 そんな運命の相手と結ばれ、愛しさに歯止めがかからなくなってきている。

 香穂子は、食事を手早く準備してくれる。

 ヴァイオリニストという職業である以上は、余り指先を酷使したりするのは避けたいのだが、本人が希望しているから、多目に見ている。

 香穂子曰く、甘やかせ過ぎだそうだが。

 ふたりで食卓を囲むのは、とても幸せな瞬間だと思う。

 こうして、愛するひとと一緒に、食事をするという行為が、最高に幸せな時間だと、香穂子に、教えて貰った。

 だから、いつも食事に誘っていたのかもしれない。

 最初は可愛い妹のように思っていた。

 だが、前向きで明るく真剣な眼差しを見せつけられて堕ちたのだ。恋に。

 それからは、意識をして、香穂子を食事に誘っていたのだ。

 こうして今は一生一緒に食事をすることが出来る。

 食事だけは、なるべく一緒にしようと思っている。

 香穂子とふたりで話をしていることといえば、本当に他愛のないことばかりだが、それが大切なのだ。

 お互いの気持ちを重ねることが出来るから。

 

 食事の後、吉羅は自ら申し出て、お茶の準備をした。

 お腹に子供がいる香穂子のために用意をしたハーブティだ。

 “かほろん”も小さな皿に入れてもってゆく。

「どうぞ」

「ありがとうございます、暁彦さん」

 香穂子はまるで小さな女の子のように無邪気な笑顔で喜んでいる。

「いただきます」

 香穂子は小さな子供のように手を合わせた後、まずはお茶を飲む。

「美味しいですよ、ハーブティ。私の好みが解るなんて、暁彦さんは流石というか……」

 香穂子は微笑みながら本当に嬉しそうだ。

 香穂子のこんなにも愛らしい笑顔が見られるなんて、何でもしたくなる。

 あくまでナイショではあるが。

「このマカロン、ハーブティに合いますね。ハーブティと一緒が良いですね。ハーブティの味を引き立てています」

 香穂子はあくまでハーブティが主役だと言わんばかりだ。

 それは嬉しいのだが。

「何だか、ハーブティが主役のように言うね」

「ハーブティが主役ですから」

 にっこりと微笑まれながら、素直に言われると、飛び上がるぐらいに嬉しい。

 素直に嬉しいと表現は出来ないが、吉羅は益々香穂子に夢中な自分を感じていた。

 



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