*作戦*


 大好きな男性のためにも綺麗になりたい。

 いつも努力をしているつもりではあるが、何処か足りないような気がするのだ。

 もっともっと努力をすれば、大人なあの男性と釣り合うことが出来るだろうか。

 そればかりを考えてしまう。

 あの男性と釣り合うように綺麗になりたい。

 そればかりを考えてしまう。

 だから今日もきれいになるために、きれいでいるためにいろいろと作戦を立てる。

 それはあのひとを振り向かせるための作戦。

 

 今日は吉羅の用で、一緒に外国の音楽家が来るパーティに向かう。

 海外からの一流音楽家が集まるパーティなんて、香穂子は想像出来ないほどに緊張してしまう。

 ドキドキし過ぎてしまい、喉がからからに渇いてしまった。

 吉羅がプレゼントしてくれたシックなブラックワンピースに、パーティらしいパールのネックレス、そしてシルバーの品のあるベルトをしている。

 髪はサロンで綺麗にアップして貰った。

 アップぐらいなら自分でも出来るが、綺麗でエレガントなヘアスタイルになると、なかなか出来なかった。

 吉羅と一緒に出席する以上は、きちんとしていかなければならないと、香穂子は思った。

 吉羅に恥ずかしい想いをさせるのは、申し訳がないと思っていたからだ。

 香穂子は、今、自分で出来る限りのおしゃれをしたつもりだ。

 これ以上は、シックで美しくすることは出来ない。

 だから自信を持てば良い筈なのだが、香穂子にはそれが難しかった。

 吉羅の隣りにいるだけで、香穂子は自信が持てなくなる。

 それだけ吉羅が素晴らしいということでもあった。

 吉羅は、緊張している香穂子に気付いて苦笑いを浮かべる。

「香穂子、私が着いているから、そんなにも緊張しなくても構わないから…」

 吉羅は相当困ったような顔をしている。

「は、はい」

 香穂子は吉羅をそっと見つめる。

「あの…、私で良かったんでしょうか? 私よりも隣に相応しい方がいらっしゃるのではないでしょうか…」

 怒られるのを覚悟で、香穂子はストレートに訊いてみた。

 すると吉羅は益々奇妙な顔をする。

「私は、君が最適だと思ったのだがね? 君だと音楽のことをきちんと理解していると思ったのだがね。そうではないかな?」

 吉羅は、まるで香穂子をあやすかのように言う。

 それはまるで子供に言い聞かせているようにも聞こえた。

「君以外に最適なパートナーはいないと思うがね。違うかな?」

「あ、有り難うございます」

 香穂子はほんの少しだけ気分が軽くなったような気がした。

 車はいよいよ高級ホテルへと入っていく。

 香穂子の顔も、どこかしら緊張してしまう。

 吉羅は車を預けて、香穂子をエスコートしてくれる。

「さて行こうか」

「はい」

 緊張し過ぎて、香穂子は目を見開いた。

「香穂子、私のそばから離れないように気をつけるんだ…」

「…はい…」

 吉羅に言われた通りに頷くと、香穂子は背筋を伸ばした。

 会場に入ると、既に著名な音楽家たちが談笑を始めている。

 その姿をみると、香穂子はまた緊張してしまった。

「リラックスしておけば良い…。私がいるのだからね…」

「は、はいっ」

 パーティー会場には、自分よりもかなり美しく大人の女性ばかりがいて、香穂子は気後れをしてしまう。

 吉羅はいつもよりも密着するかのように香穂子をエスコートしてくれる。

 それが香穂子には何よりも有り難いことだった。

 パーティー会場で、吉羅が顔見知りの経済界の重鎮や、音楽家が多数いる。

 香穂子は吉羅に連れられるままに、様々な人々と挨拶を交わした。

 一通り挨拶をすると疲れ果ててしまった。

 しかも、誰もがうっとりとするような美人が沢山いる。

 自分の存在が、吉羅の格を落としているのだろうかと、感じずにはいられなかった。

「綺麗な方ばかりですね」

 香穂子が切ない気分で言うと、吉羅は、意外なぐらいにクールな表情をしている。

 あんなにもクールな吉羅の表情を向いていると、思わずにはいられなかった。

「香穂子、私のそばからは絶対に離れてはいけないよ。良いね?」

「離れませんというか、暁彦さんがいないと立ち振る舞えないので、離れられないんですけれどね…」

 香穂子は思わず苦笑いを浮かべた。

「…本当にそばから離れないようにしたまえ」

「はい」

 吉羅はいつもは手なんて握り締めてくれないというのに、今日に限っては、手をしっかりと握り締めてくれる。

 香穂子にはそれが嬉しくて、有り難かった。

 

 香穂子は、主催者の頼みで、ヴァイオリンを一曲だけ演奏する。

 名だたる演奏者ばかりなので申し訳ないと思う。

 だが、これから活躍していくだろう日本のヴァイオリニストと紹介されたのは、とても嬉しかった。

 吉羅と離れたのは、本当にこの時だけだ。

 だが少し離れたところで吉羅が見守ってくれている。

 香穂子はそれに縋るようにヴァイオリンを奏でる。

 今は、自分が出来るだけのことをして、ヴァイオリンを奏でよう。

 香穂子は、吉羅の視線に安堵を感じながら、集中してヴァイオリンを奏でることが出来た。

 ヴァイオリンを奏で終わると、様々なところから拍手が沸き起こってくる。

 拍手を沢山して頂いたのが嬉しくて、香穂子は笑顔になった。

 吉羅を見ると、厳しい表情をしている。

 その顔は息を飲んでしまうほどに厳しい。

 香穂子は、演奏が気に入らなかったのだろうかと、そればかりが気になってしょうがなかった。

 吉羅のそばに行くと、直ぐに手を繋がれる。

「あ…」

 こんなことは今までなかったことだ。

「日野さんの演奏ですが。素晴らしかったですよ」

 音楽関係者が次々に声を掛けてくれる。香穂子にとってはそれが嬉しくてしょうがなかった。

「有り難うございます」

 香穂子が笑顔で応えると、誰もが笑顔になってくれるが、直ぐに吉羅の手が握られているのを見て、複雑な表情をする。

 だが、離したくもなくて、香穂子はそのままにしていた。

 やがて吉羅が手を離す。

 音楽界の大御所がやってきたからだ。

「日野さんは君の秘蔵っ子ということかな?」

「そうです」

 吉羅がキッパリと言うと、音楽家はフッと微笑んだ。

「それは良い。彼女は素晴らしいヴァイオリニストですよ」

 大御所は笑顔で言うと、香穂子を真っ直ぐ見つめてくれる。

「日野さん、君はとても良いヴァイオリニストになる。頑張りたまえ」

「はい」

 大御所の言葉に、香穂子は笑顔でしっかりと頷いた。

 大御所は、吉羅をふと見る。

「彼女を離さないように」

「はい」

 先ほどまであんなにも厳しい顔をしていた吉羅が、ふと表情を緩ませた。

 ふたりだけになると、吉羅が手を握ってくる。

「…暁彦さん…」

 手を握ってくれるのは嬉しい。

 こうしていると、本当に幸せな気分になれた。

「日野君…、私からは離れないように…。良いね…」

「はい」

 再び念押しをするように言われたが、香穂子にはそれが嬉しかった。

 

 パーティーが終わり、吉羅が家まで送ってくれる。

 香穂子は吉羅を見た。

 ようやくふたりきり。

 緊張も解けて、いつものように吉羅に微笑む。

「暁彦さん…、今日はどうして手を繋いで下さっていたんですか?」

 香穂子が訊くと、吉羅はスッと目を赤らめる。

「…君がいつもよりもずっと…その美しかったからだ…」

 吉羅の一言に、香穂子はつい笑顔になる。

 こんなに嬉しいことはないと思いながら、「有り難うございます」と、香穂子は言う。

 大好きな男性のために綺麗になる。

 作戦は成功。




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