*君が足りない*


 愛するひとの精神状態は、直ぐに分かる。

 クールで感情的にならないひとではあるが、香穂子にはすぐ分かるのだ。

 今もコーヒーを飲んでいる。

 しかもカプチーノ。

 ストレスはマックスに達していることは、香穂子には直ぐに分かった。

 胃が余り丈夫ではないというのに、吉羅はいつも濃いものを飲もうとする。

 吉羅が行っている学院改革は、学生の視点が大いに活かされている。

 職員にとっては災難だったかもしれないが、学生にとっては、そして大多数のひとにとっては、歓迎すべき改革だった。

 香穂子が、学生として学院に在籍しているから、より良いキャンパスにしたいと、吉羅が頑張ってくれていることに、本当に感謝している。

 ここのところ、吉羅はかなり多忙であったから、なかなかふたりで逢う時間が取れなかった。

 そして、ようやく二週間ぶりに、こうして逢うことが出来たのだ。

 最近では、会えない時間が長くなると、吉羅のカプチーノが濃くなるような気がする。

「暁彦さん、そんなにも濃いコーヒーばかりを飲んでいると、本当に胃を壊しますよ!」

 香穂子はピシャリと吉羅に言う。

「つい、飲みたくなってね。今日は君と一緒だから、美味しい茶粥と塩昆布を用意してくれるんだろうね。それがあれば、胃の調子は戻るけれどね」

 吉羅はニヤリと笑いながら、香穂子を見た。

「しょうがありませんね。茶粥と塩昆布を用意しますよ」

「有り難う」

 吉羅は嬉しそうに穏やかな笑みを浮かべる。その笑みが、とても魅力的だった。

 こんな魅力的な笑みを見せられてしまうと、怒れなくなってしまう。

「私は君がいないと、上手く体調のコントロールが出来ないようだね」

 吉羅は苦笑いを浮かべる。

「きちんとコントロールされていますよ。胃以外は」

 香穂子の指摘に、吉羅は困ったような表情を浮かべた。

「君がそばにいれば、胃が荒れる機会は少なくなるからね」

「私が、胃に悪いものを注意しますからね」

 香穂子はクスクスと笑いながら言う。

 恋人の特権だ。

「私の出来ることは、何でも言って下さいね。暁彦さんになら、何でも出来ますから」

 本当にそうだ。

 吉羅のためなら、どのようなことでも出来る。

 それは、それだけ吉羅のことを愛しているということなのだから。

「いや。君に逢うことが、君の声を聞くことが、私には何よりものストレス発散になるからね」

 吉羅はカプチーノを飲むのを止めてしまうと、いきなり香穂子のデート握りしめた。

「こんなカフェで悠長にしてはいられない。行くよ。二人きりになれる場所に。出よう」

 吉羅がこんなにも強引だなんて珍しいと、香穂子は思った。

 いつもなら待ち合わせをして、スマートにデートに連れて行ってくれるというのに。

 吉羅は香穂子の手をしっかりと繋ぐと、そのまま駐車場に向かって歩き出した。

 吉羅は無言を貫いている。

 手はしっかりと握り締められているから、香穂子に対して不快な感情を抱いていないのは、分かる。

 吉羅は車に乗り込むと、そのまま発進させた。

「暁彦さん、どちらに行くのですか?」

「すまない、きちんと伝えてはいなかったようだね。すまなかった。私の自宅に行こうと思っているよ」

 吉羅は苦笑いを浮かべると、香穂子の手をしっかりと握り締めた。

 吉羅に力強く手を握り締められると、ときめきは高まる。

「今日は、私のワガママを聞いて欲しい。君とふたりきりで過ごしたい……。君に甘えたい……」

 吉羅の言葉に香穂子は素直に頷く。

「君の成分が足りなかったからかな。ずっとストレスを貯めていたのは。君がいると、ストレスは発散されるんだよ。君といると、コーヒーなんて必要ないかもしれないね」

 吉羅の言葉に、香穂子はときめいて真っ赤になってしまう。

 こんなにもときめかせてくれるのは、吉羅だけだ。

 香穂子はうっとりと大好きなひとを見つめずには、いられなかった。

 

 車は、吉羅の自宅に到着する。

 吉羅は直ぐに香穂子の手を強くつかんで、家のなかに入った。

 リビングに入ると、ギュッと抱き締められる。

 息が出来ない。

「……ずっと君が足りなかった……。君を抱き締めないと、私は君がいないとおかしくなってしまうかもしれない……」

 吉羅は低い声で艶やかに呟くと、更に香穂子を強く抱き締めた。

 誰も見てはいない。

 ふたりだけの空間だから。

 ふたりは力強く抱き合う。

 息をするのも苦しいぐらいにしっかりと抱き合う。

 貪るように激しく唇をあわせたあと、吉羅は香穂子を軽々と抱き上げる。

「君を気遣ってはあげられないぐらいに、私は君が欲しい……」

 吉羅は香穂子をベッドに寝かせると、激しくも甘い時間が始まった。

 

 香穂子が気だるい気分の中で目覚めたのは、夕方になってからだった。

 カフェでお茶をしてから、何も食べていなかったから、お腹が空いてしまった。

 ランチを飛ばしてまで、ふたりの濃密な時間を過ごしたのだから当然なのかもしれない。

 香穂子が、目を閉じている吉羅を見つめていると、美しい眼差しが開かれる。

「目覚めたかな?」

「お腹が空きました」

 香穂子がくすりと笑いながら言うと、吉羅もまた頷いた。

「確かにお腹は空いたね。着替えて、何処かに食べに出ようか」

「そうですね」

「私のワガママを聞いてくれて、有り難う。君が欲しくて堪らなかったからね」

 吉羅は香穂子の唇にほんのりと口づける。

 名残惜しそうに香穂子から離れた。

「さてと、このままだと、元の木阿弥だからね。起きることにしようか」

 吉羅は身体を起こすと、香穂子をそっと引き寄せた。

「香穂子、私のストレスが解消出来るように、協力をしてくれるかな?」

「はい、勿論」

「では、私と一緒に暮らさないか?」

 いきなりの申し出に、香穂子は驚いた。

 思わず目を見開いて吉羅を見る。

「君と暮らしたい。返事は急がない。君がいないと、ストレスは上手く発散出来なくてね」

 吉羅は香穂子の手をギュッと握り締める。

 香穂子の返事は決まっている。

「はい」

 香穂子が返事をすると、吉羅はフッと甘い笑みを浮かべて、抱き締めてくれる。

「カプチーノよりも良い発散方法だよ」

 吉羅の言葉に、香穂子は笑顔になる。

 香穂子にとっても最高の発散方法だった。

 結局、あれからしっかりと愛しあってしまい、夕食はかなり遅くなってしまった。

 それでも幸せなのは、言うまでもなかった。



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