*優しき時間*


 香穂子もようやく体調が安定してきた。

 香穂子のお腹も随分と大きくなってきていて、いつも着ている服では間に合わなくなってきている。

 だが、あからさまなマタニティスタイルは、何だか恥ずかしかった。

「香穂子、そろそろもう少しゆったりとしたマタニティウェアを着たほうが良いのではないかね? 君は」

 吉羅は、香穂子の突出てきたお腹を何度も撫でる。

 こんなにも優しい撫で付けは他にはない。 

 

「しかし、かなり大きくなってきているね」

「そうですね。案外、男の子かもしれませんね」

「そうだね」

 お腹の子どもが男の子だったら、文字通りで解っただろうけれ。

「香穂子、やはり余りお腹がこんなにも出てきた以上は、きちんとマタニティウェアを着なさい。こ子どももきっと窮屈に感じるだろうけれど」

 

「そうですね…。最近の服は、ゆたっりとしていて、とても着やすいとこですね…。だからつい、着てしまうんですよね。マタニティじゃない服を」

「とにかく、君には新しいマタニティ服が必要だ。朝食が終わったら、買いに行こう」

「有り難うございます」

 吉羅は一度言ってはきかないから、香穂子は従うことにした。

「解りました。ではお言葉に甘えて、マタニティウェアを買いにいきます」

「そうしてくれるかね。マタニティウェアは必要だ。明らかに妊婦だと分かれば、周りのひとからも気遣って貰えるからね。普段の服だと、気遣っては貰えないからね」

 吉羅は相当、香穂子を心配しているようで、キッパリと言った。

「それに少しお腹だけが窮屈そうだからね」

「確かにそうですね」

 香穂子は自分のお腹を見て、認めざるをえなかった。

 

 吉羅が車を出してくれて、ショッピングモールへと出掛けた。

 香穂子が、明らかなマタニティウェアを嫌がっていることを解っているからか、吉羅はお洒落なマタニティウェアの店に連れていってくれた。

「これなんて動き易くて、可愛いな」

 香穂子はマタニティウェアを見ながら、つい笑顔になる。

「動き易いものを選びなさい。君はまだCDの録音などの仕事があるからね」

「はい」

 可愛らしいけれども、何処かシックな雰囲気のマタニティウェアを見つけて、香穂子は飛び付く。

 やはりシックなものをつい見てしまう。

 吉羅とバランスを取るには、やはりシックなほうが良い。素晴らしい男性なのだから。

 香穂子は吉羅と出掛けるのを想像するだけで、ついにんまりと微笑んでしまった。

「暁彦さん、これにします」

「これは外出用だろう。普段着も3着ぐらいは買っておきたまえ。そろそろ、今の服だと厳しくなるだろうからね」

「有り難うございます」

 吉羅はさり気なく、香穂子に気遣ってくれる。その優しさが嬉しかった。

 香穂子がこれから必要な物を買い足した後、つい赤ちゃんグッズに目がいってしまう。

「可愛い……」

 赤ちゃん用の靴下や、遊び用のタオル地のぬいぐるみを眺めながら、香穂子はつい目を細めてしまう。

 温かで幸せな気持ちになれた。

「確かに可愛いな」

 吉羅も香穂子と同じように温かな気持ちになってくれたようで、目を細めている。

 結局はふたりして、つい子どもの物を買ってしまった。

「かなり甘い親ですね。私たちは」

「そうだね。だけど躾はしっかりと厳しくしてゆくつもりだよ」

「ええ、勿論ですよ」

 甘やかせてばかりはいるつもりはない。

 厳しくするときはきちんと厳しくしたい。

 ふたりが子どもに対して考えていることは全く同じだから、香穂子は安心している。

「元気で明るく賢い子どもに育てたいです。きちんと物事の分別が出来る子どもに」

「そうだね、そのためには私たちも頑張っていかなければならないね。だけど本当に楽しみだよ。色々な意味でね」

 吉羅は香穂子のお腹を優しく何度も撫で付けてくれた。

「一人っ子にはならないだろうから、そのあたりもきちんと教育はしないといけないね」

「そうですね」

 香穂子もお腹の子どもを一人っ子にする気はないから、ついくすぐったい気持ちになってしまう。

 甘い幸せに満たされてゆく。

「折角、新しい服を買ったから出かけようか」

「はい」

 新しい服を着てお洒落をするのが楽しみでしょうがない。

 香穂子は吉羅の腕をしっかりと取ると笑顔になった。

 

 吉羅の休日前日に、ディナーに出掛けることになった。

 綺麗に化粧をして、香穂子はプレゼントをされたマタニティワンピースを身に纏う。

 お腹が大きくなってから、こうして出掛けるのは何処か恥ずかしかったのだけれども、今回は新しい素敵な衣装を買ったこともあり、香穂子は楽しみでしょうがなかった。

 嬉しくてつい笑顔になる。

 大きな輪っかのピアスを着けると、随分と華やいだ気持ちになった。

「さあ、行こうか」

「はい」

 今夜の吉羅は、隙がないぐらいに素晴らしくて、香穂子はつい見惚れてしまう。

 うっとりとし過ぎてしまい、香穂子は慌てて締まりのない表情を引っ込めた。

「では行こうか」

「はい」

 吉羅にしっかりと支えられて、香穂子は家を出る。

 男らしい香りに、香穂子はくらくらしてしまう。吉羅のコロンの香りは大好きだ。

 うっとりとしていると、吉羅が心配そうに見つめてきた。

「悪阻かね?」

「大丈夫ですよ」

 香穂子は穏やかに言うと、吉羅を真っ直ぐ見つめて微笑んだ。

「だったら構わない」

 吉羅は丁寧に香穂子をエスコートしてくれ、車に乗せてくれる。

 ついうっとりとした気分になった。

 

 吉羅が連れて行ってくれたレストランは、香穂子が大好きなオーガニックイタリアンで、かつ上質な音楽も聴ける。

 予約席に案内されている間、吉羅を熱いまなざしで見つめている女性たちを大勢見掛ける。

 我が夫ながら素晴らしいと、香穂子ですら思わずにはいられないから、他の女性は余計にそう思うのだろう。

 しょうがないと思いながらも、何だか複雑な気持ちになった。

 女性たちの中には、香穂子のお腹を見て、がっかりする者もいれば、勝ち誇るような視線を向ける者もいた。

 それが痛い。

 不意に吉羅が香穂子を引き寄せてきた。

「ぼんやりとしないように。躓いてしまえば事だからね」

「はい」

 考え事をしていた自分に反省をしながら、香穂子は切ない想いを抱かずにはいられなかった。

 

 食事はとても美味しかったし、音楽はモーツァルトを中心で、胎教にはかなり良いように思えて、香穂子としてはかなり嬉しかった。

 恐らくは吉羅の計らいだろう。

「暁彦さん、有り難うございます。お腹の子どもも私も大満足ですよ。有り難うございます」

「それは良かった」

 吉羅は熱いまなざしで香穂子を見つめる。

 余りにも熱いまなざしで、香穂子はドキドキしてしまう。

 これ以上は何も言えなかった。

 

 食事が終わり、駐車場に向かう間も、吉羅はいつもに増して、香穂子をエスコートをしてくれる。

 それが嬉しくて、香穂子はときめかずにはいられなかった。

 だが、食事中はあんなにロマンティックだったのに、車の中では、吉羅は殆ど話さなかった。

 香穂子はそれが重苦しくて、吉羅がてっきり怒っているのかと思った。

 しかし、自宅に入るなり、吉羅は抱きすくめてキスをしてくる。

 熱く見つめられて、どうして良いのかが解らない。

「……今夜の君は本当に綺麗だったよ……」

 吉羅はそう言うと、香穂子を寝室へと誘う。

 甘い時間の共有に香穂子が震えたのは、言うまでもなかった。




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