*恋のバランス*


 大人の男性と付き合うと、包容力があるから良いね、などと言われる。
けれども本当のところ、相手が大人過ぎてクールだと、釣り合おうとして焦りが発生してしまうのもまた事実。
 待ち合わせの場所に、とても早く着いたというのに、吉羅の姿を見つけるなり、香穂子は隠れてしまった。
 どうしようも出来ないぐらいにドキドキしてしまい、近付くことすら出来ないでいる。
 恋人だから、堂々と近付いても、何の問題はないはずなのに、どうしても萎縮してしまう。
 今日の自分の姿を見ると、益々嫌になった。
 視線の先にいる吉羅は、とても艶やかで素敵なのに、自分と来たらどうだろうか。
 シフォンの柔らかな色のチュニックワンピースにレングス。可愛いを装った子供スタイルだ。
 それなのに吉羅は、良質な男を表すかのようなスタイル。ジーンズを履いていても大人の男の着こなしが出来ている。
 子供と大人。見せつけられるようで嫌だ。
 じっと吉羅を見つめていると、不意に肩を叩かれた。
「…あ…」
 振返ると、そこにいたのは見しらぬ男で、香穂子をいやらしい目付きで軽薄に見つめている。
「君、可愛いよね。ひとり?」
「ひとりじゃないです」
「またまた。それって断る常套手段だ…」
 そこまで言ったところで、男が息を音を立てて飲み込んだのが解った。
「彼女の連れは私だが…」
 聞き慣れた威嚇するかのような低い声。
 吉羅しかいない。
 艶やかなのに相手を威圧出来る声の持ち主を、香穂子は他に知らなかった。
 心臓がそれこそストップウォッチよりも忙しない音を立てる。
 怒っている?
 それともなんて、とてもじゃないけれど考えられない。
 恐る恐る後ろを振り返ると、大正解とばかりに吉羅の視線と目があってしまった。
 綺麗でクールな瞳は、光だけで香穂子を威嚇する。整った顔立ちのひとの険悪な表情は、恐ろしさ5割増だ。
 こちらが謝罪をしなければならない雰囲気があり、香穂子もまた息を呑んだ。
「す、すみませんでしたっ!」
 軟派男は直立不動に謝ると、逃げるように立ち去ってしまった。
 次、叱られるのは香穂子の番だ。躰を小さくして萎縮していると、香穂子の手が大きな手に包み込まれた。
「…あ、あの、その…」
 怒られてしまうのが怖くて、香穂子はおどおどと口ごもってしまう。心臓が嫌な音を立てていた。
「君は隙がありすぎる…」
 呆れ返るような溜め息を吐かれてしまい、香穂子は泣きそうな気分になった。
 鼻がむず痒くなる。
「…だから、私の側を離れるな」
 ぶっきらぼうに冷たく言うと、吉羅は強く手を引っ張ってきた。
 独占欲と優しさが交差した強さに、香穂子はこころの奥を蕩けさせる。
「…先ほどから着いていたのに、どうして声を掛けてこなかった」
「それは…」
 正直に言ってしまったら、きっと軽蔑されてしまう。それが切なくて嫌だ。
「…何故だ?」
 総てを見透かすような声で囁かれると、白状しなければならないような気がする。
「…どうしてって…、吉羅さんが余りに大人で…、私と釣り合わないんじゃないかなって…、一瞬、思ったりして…。私の手には届かない世界にいるひとじゃないかなって、思って…」
 まるで自白させられる犯人のような気分になってしまい、躰が震えてしまう。
 吉羅の機嫌を伺うように、その顔を見つめる。ここまでクールに整っていると、どのような表情を見ても、怒っているようにしか見えなかった。
 いつもは誰かの機嫌を伺うなんてことはしないというのに、吉羅が相手だとそうなってしまう。
 どうしようもないぐらいに恋をしているからだろうか。
 恋をしてしまうと、女の子は立場が悪くなると思う。
 どうしたって、相手に気に入って貰いたいと、必死になってしまうから。
 吉羅は大きな溜め息を吐くと、少し斜めな視線で香穂子を見つめた。
「…何も解ってはいないね、君は」
 呆れも通り過ぎてしまったかのようにうんざりと呟くと、吉羅は香穂子の手を優しく包んだ。
「…解っていないって…」
 泣きたくなるのを通り越してしまうぐらいの気持ちになりながら、香穂子は声を震わせた。
「こんなところで口論をしてもしょうがないだろう…。行くぞ」
 強引とも優しくとも取れる声と腕の力で、吉羅は香穂子を連れて歩く。
 誰もがこちらを見ている。
 きっと、余りに釣り合わないからだと思っているに違いないだなんて、卑屈なことすら考えてしまう。
 男も女も、ただふたりを見ていた。
 分不相応なことぐらいは解っている。
 吉羅は、ヒルズ族でもチャラチャラした雰囲気や、うさん臭い雰囲気などまるでなく、まるで海外の実業家のようにスマートなのだ。
 だからこそ、品のある美しい大人の女性でないと釣り合わないような気すらするのだ。
 吉羅の車まで来ると、いつものように助手席に乗せられる。
 吉羅は気分を落ち着けるように、大きく深呼吸をした。
「…何も解ってないと言われても、本当にその通りだから…」
 香穂子が自信なくそこまで言ったところで、いきなりシートに背中を押しつけられた。
 気がついた時には、深く唇を奪われていて、香穂子は何も逆らうことが出来なくなる。
 いつもは大人の男らしい余裕のある熱くて甘いキスをくれる。
 だが今日は、余裕のかけらなんて全くない荒っぽい切ないキスだ。
 痛いほどに唇を吸い上げられているというのに、全く嫌だとは思わない。むしろ、もっと欲しいと思ってしまう。
 舌を激しく絡まされ、唇を強く吸い上げられる。
 腫れ上がってしまうのではないかと思ってはいても、キスに応えずにはいられなかった。
 唾液が唇からこぼれ落ちても、全くと言って良いぐらいに気にはならない。
 むしろ吉羅の唾液を飲み干しても構わないとすら思う。
 ようやく唇を離された時には、頭がくらくらしていたが、それでも香穂子は幸せを感じていた。
「…香穂子…」
 余裕ない熱情が混じった声で、求めるように名前を囁かれると、こころの奥が切なく痛む。
 このひとを抱き締めたい。
 香穂子は、吉羅の背中を包み込む。
「…そう…、君は全く解っていないんだよ…」
 吉羅は疲れたようにひとりごちる。
「…私がどれほど君に対して余裕がないかは…、今のキスで充分に解っただろう?」
 吉羅は香穂子を一瞬見つめたあとで、まるで母親に甘える子供のように胸に顔を埋めてきた。
「…私は君よりもかなり年上で…、いつも君には、同じ世代の男が似合うんじゃないかとか、考えてしまう…。俺とでは釣合いが取れないんじゃないかと、思わずにはいられないんだ…」
「吉羅さん…」
 吉羅の想いが、こちらの胸が痛くなるほどに切なく響いて来る。
 息苦しくなるほどに余裕がない吉羅を、香穂子はこころごと抱き締める。
 同時にホッとしていた。
「…同じなんですね…、私たち…」
「似たもの同士なのかもしれないけれどね…」
 吉羅は香穂子の背中にしっかりと腕を回して抱き寄せる。
「だから、私たちはお似合いだと思わないか?」
「思います」
「そうか」
 先ほどまであれほど卑屈になっていた想いが霧散し、それに代わって柔らかな自信が込み上げてくる。
「…もう少し甘えさせてくれ。私が甘えることが出来るのは君だけだから…」
「はい」
 暫く、小さなコンパートメントのなかで、ふたりは穏やかに抱合う。
「今度は私に甘えさせて下さいね?」
 香穂子が囁くと、吉羅は薄く笑みを浮かべて頷いてくれた。





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