昼間が長い時期はゆったりとした夜の時間を楽しみたい。 地球も躰にも優しいたゆたゆとした時間は、大好きなひとと楽しみたい。 今宵は、キャンドルだけで過して、星の美しさ、そばにいるひとの温かさを感じたい。 スローな時間を過ごすデートを楽しもうと、吉羅に提案すると、柔らかな笑顔とともに賛同する意識が伝えられた。 “百万人のキャンドルナイト”というロマンティックで自然なイベントに憬れたからだが、吉羅はそれを快く受け入れてくれた。 この日のデートのために、わざわざ横浜にある吉羅の実家の洋館に招待してくれたのだ。 学院まで迎えに来てくれたのは良いが、実家に行くとなるととても緊張してしまう。 今日のデートの趣旨を汲んでか、吉羅は徒歩で香穂子を迎えにきてくれた。吉羅の実家から、学院が近いというのもあるだろう。 誰の目も気にすることなく、吉羅は香穂子の手をしっかりと握り締めてくれた。 そのまま手を繋いで吉羅の実家がある山の手の洋館へと向かう。 「…何だか吉羅さんの実家に行くのが緊張します…」 香穂子が吉羅の手を緊張で震える余りにきつく握り返すと、逆に薄く笑われた。 「緊張する必要はない。うちには誰もいないから。今夜は私と君のふたりきりだから」 「…はい…」 何だかホッとしたような、少しがっかりしたような。複雑な気分で香穂子は手から力を抜いた。 「…ホッとしたか? それとも逆にがっかりしたか?」 こころを見透かされるようなことを言われてしまい、香穂子は内心ドキリとせざるをえなかった。 頬をほんの少し赤らめて俯けば、吉羅は鮮やかに笑う。 「図星…か」 「…もう…」 拗ねるような声を香穂子が出すと、吉羅は益々楽しそうに微笑んだ。 吉羅の実家は、横浜港を見渡すことが出来る絶好のロケーションにあり、晴れた日には、富士山や伊豆大島、鎌倉あたりまで一望出来るという。 晴れた夏の昼間に来るのも素敵だし、きっと今夜もロマンティックだろう。 「…私なりに…色々と用意をしたつもりなんだけれどね…」 「有り難うございます」 香穂子の手を引いて吉羅は門を潜ると、静まり返った庭に連れて行ってくれた。 青い芝生や植物は綺麗に手入れが行き届いているというのに、どこか冷たさを感じさせる庭だ。 誰も遊ぶことがなくなったというのに、綺麗に整備されたブランコが、歪なオブジェとして庭の端に転がっていた。 「ブランコですか。何だか素敵ですね」 「ガキの頃はよく乗ったが、今は見向きもしないよ。最も、私自身、この家に足を踏みいれるのは久し振りだからね」 「…だから、庭が哀しんでたんですよ。もっとここにいて欲しいって。もっとここに来て、子供の頃と同じように遊んで欲しいって…」 香穂子は切ないノスタルジーに浸りながら、ぼつり、ぽつりと呟いた。 目を閉じて、夕方の湿気を含んだ風に梢を揺らす音を聴きながら、ここころからそう感じる。 「…そうだな」 吉羅は香穂子の手を更に強く握り締めると、冷たい鉄の塊と化しているブランコに誘った。 ブランコは対面式タイプのゆりかごになっており、緩やかな時間を過ごす恋人たちにはぴったりのように思えた。 向かい合わせに座って、ふたりで僅かにブランコを漕ぐ。 「こうして暁彦さんと一緒にブランコを焦げて嬉しいです。本当にこころからゆったりとのんびりと出来るから」 「私も君と一緒じゃないと、ブランコに乗る気にもなれないけれどね」 「幸せです」 香穂子はくすくすと笑いながら、ブランコを揺らす。 「小さな暁彦さんと一緒に乗りたかったです」 「私のミニチュアを作れば良いだろう?」 さらりと大胆なことを吉羅に言われて、香穂子は頬をうっすらと赤らめた。 「あ、あの…。暁彦さん、隣りに座っていい?」 何だか向かい合わせでいるよりも近いところにいたくなり、香穂子は吉羅と隣り合わせになった。 吉羅にそっと抱き寄せられて、香穂子はこころを甘くにじませる。 「…そばに来たくなった?」 「暁彦さんがあんなことを言うから…」 「ブランコもきっと喜ぶんじゃないか。大人を乗せるよりも、小さな子供を乗せたいだろうから…」 「確かにそうなんですけれど…、何か恥ずかしくて…でも…嬉しくて…」 どんどん声を小さくしていくと、吉羅は艶の含んだ笑みを浮かべた。 「さてと。バルコニーに色々と用意している。夕食は、サンドウィッチとか手軽に食べられるものを用意したから、行こうか」 「はい」 瑞々しい芝生の緑が。癒しの茜色から紫の光に縁取られ始める。風が幾分か冷えてきて、夕暮れを告げていた。 吉羅は、まるでイギリス映画に出て来るような優雅なキッチンに入り、冷蔵庫に入れてある料理を取り出す。サラダやサンドウィッチといった、何処でも手軽に食べられる食材ばかりだ。 「素敵なキッチンですね。ここで料理をしたら美味しく楽しく出来そう」 「明日の朝でも作ると良い」 今夜は帰さないと、堂々と宣言をされてしまい、香穂子の心臓は激しく高まった。 今夜は大好きなひととずっとずっと一緒にいることが出来る。そう考えるだけで、呼吸がおかしくなり、喉がからからに渇いてしまうほどに緊張してしまった。 「…香穂子、行こう」 「はい」 香穂子がヴァイオリンを持っているからと、料理はほとんど吉羅が持ってくれた。 二階に連れていかれ、趣のある部屋へと通された。 「凄い! バルコニーだ!」 部屋のテラス窓の向こうには、大きくて立派なバルコニーがある。 香穂子はロマンティックを感じる余りに、興奮気味にバルコニーへと出た。 「素敵…」 バルコニーからは横浜の市街地が見渡せる。特にみなとみらい辺りは圧巻で、夕闇に染まり行くベイブリッジは、泣きそうになるぐらいの美しさだ。 そしてバルコニーには、キャンドルが幾つも置かれており、そのシチュエーションだけでもうっとりとした。 「ひとつずつキャンドルに火をつけていくか」 「はい!」 張り切って答えると、吉羅は苦笑いを浮かべた。 「火事には気をつけないといけないからな」 「気をつけます」 並べてあったキャンドルを幾つか火を灯して、シートが敷いてあるバルコニーの地面に座り込む。 夕闇に包まれた横浜の街をうっとりと寄り添って眺めた。 「綺麗ですね。やっぱりやって良かったです」 「そうだな。ヴァイオリンを弾いてくれないか?」 「勿論です。そのために持って来たんですから」 香穂子は幸せ色に染まりながらケースからヴァイオリンを取り出すと、スタンバイをした。 「何を聴かれたいですか?」 「新世界を」 「はい」 夕闇に染まる街にはこれほどロマンティックな曲はない。 香穂子は夜風に髪を靡かせながら、吉羅のリクエストに応えた。 軽食を食べながら、愛のあいさつ、魅惑のワルツ、ジュ・トゥ・ヴを弾き、夕暮れの小さなコンサートを開く。 「素晴らしい演奏を有り難う…」 「暁彦さんだけ特別です」 まるでご褒美をくれるかのようにギュッと抱き締めてくれると、吉羅は暫くそのままでじっとしていた。 ベイブリッジもマリンタワーも、みなとみらいの観覧車も…。総てがいつもよりも増してロマンティックな美しさを奏でているようだ。 きっと吉羅の腕の中にいるからに違いない。 「…そろそろキャンドルを消すか…。まだまだ夜はこれからだが…、闇も悪くないだろう…」 ふたりだけの闇が始まるのは解っている。それが熱くて切なくて甘い幸せがたっぷりと詰まっていることも。 「キャンドルを消そう」 吉羅は静かに言うと、一つ目の炎を吹き消す。 その後に香穂子を引き寄せて軽く唇を奪う。 またひとつ消して、今度は先ほどよりも少しだけ深いキスをする。 それを何度も繰り返していく。 キスをする度に、深みや濃密さが増し、香穂子をくらくらにさせる。 そして最後のキャンドルが吹き消された瞬間。 香穂子は抱き上げられ、情熱的な闇の世界へと連れていかれた。 |