*雪の日*


 久々に横浜にも雪が積もった。

 毎日朝練をしているから、今日もいつも通りに学院に向かう。

 電車通学ではないから、香穂子はいつも通りのタイムスケジュールだ。

「リリって寒くないのかな?」

 そんなことを思いながら、昨日はさり気なくマントを作った。

 そんなに器用なほうではないから、フェルトに毛糸を紐代わりに使った簡単マント。

 アルジェントリリのことだから「下手くそ」と言われてしまうかもしれないが。

 香穂子が学院に入ると、一番乗りだった。

 学院は、音楽科があるために関東の広い地域から通ってきている。

 菩提樹寮まで完備されているから、実際には全国なのだが。

 香穂子は、学院が白い冬にすっぽりと覆われているのをとても美しく思いながら、ロマンティックな気分で眺めていた。

「本当によく降ったね…。雪の横浜も悪くはないかも…」

 香穂子はのんびりと眺めながら、楽しい気分になっていた。

 リリの像前で、先ずは挨拶をしなければならない。

「おはよう、リリ」

「おはよう、日野香穂子!」

 元気いっぱいのリリの声を聴くと、何だかこちらまでも元気になって来る。

「リリ、そんな格好で寒くはないの?」

「我が輩はそんなヤワではないから、大丈夫ナノダ! 妖精に寒さなど関係はないのだ!」

 リリは相変わらず元気そうに飛び跳ねている。

「そうか、妖精って、余り気温に左右されないんだ。羨ましいな。一応さ、こんなのを作ってきたんだよ」

 香穂子は、全くおしゃれでも何ともないフェルトのマントを差し出した。

「何だ、その布きれは?」

 リリは不思議そうにフェルトマントを見ている。

 確かにフェルトの生地に毛糸の紐を着けただけのものであるから、ただの布きれにしか見えない。

「リリのマントだよっ! リリが寒いと思ったからだよっ!」

 香穂子が押し付けるようにして渡すと、リリは驚いたように目を開く。

「…まあ、貰っておこう」

「うん。もっと寒い時に使ってね」

「ああ」

 リリが戸惑いながらもフェルトのマントを受け取ってくれたのが嬉しかった。

「日野香穂子、ヴァイオリンを弾いてくれ。冬をイメージしたものも良いが、やっぱり春をイメージしたものが良い。温かい気分になるからな」

「そうだね、うん、そうしよう」

 香穂子は早速、ケースからヴァイオリンを取り出して構える。

 確かにいつもよりはかなり寒いから、指先が動き難い。

 ポジションを取るのが、とても難しかった。

 ヴァイオリンを弾きながら、不思議な事に指先がスムーズに動いていく。

 これだけ寒いのであれば、手が悴んで思い通りに指先が動いてくれないはずなのに、今日は不思議な事に、スムーズに動いてくれる。

 それが驚きだ。

 これもまた、“アルジェントリリの魔法”なのだろうか。

 こんなことを吉羅暁彦に言えば、思い切り嫌な顔をされるのには間違ないのだが。

 香穂子はその表情から言葉までを安易に想像することが出来て、笑ってしまっていた。

 ヴァイオリンを奏でていると、不思議と気持ちが軽くなり、楽しい気分になる。

 本当にとても前向きな気分になれるのは確かだ。

 吉羅のことを思い出すと、最近は、何故か心が華やいで楽しくも踊り出したい気分になる。

 しかしこれと同時に、泣きそうになるぐらいに胸の奥が苦しくなった。

 不快ではないのだが、息が出来ないぐらいに切なくて苦しくて、かといって、それは甘美な感覚で、ずっとこのような想いを抱きたくなる。

 吉羅暁彦に毎日逢いたいと思うのに、毎日逢いたくないとも思う。

 全くこの複雑な気持ちは何なのだろうかと、考えるふりをして考えない自分がいる。

 本当は、答えが解っているからこそ、考えたくないのかもしれない。

 ただ、吉羅のことを考えていたり、思っていたりする時は、不思議とヴァイオリンが上手く行くのだ。

 ヴァイオリンの音色が良くなるのが不思議だった。

 香穂子が集中力を発揮しながらヴァイオリンを奏でる。

 するとリリも本当に嬉しそうにしていた。

 ヴァイオリンを奏で終わると、リリが嬉しそうに拍手を沢山してくれた。

「朝からこんなにも楽しい音楽が聴けるとは、我が輩はとても嬉しいぞ!」

「有り難うリリ、私もヴァイオリンを弾いていてとても嬉しかったよ」

 香穂子がリリに笑いかけながら言っていると、背後から若干、威圧的な雰囲気と拍手が聞こえた。

 振り返らなくても、香穂子はそこに誰がいるかが直ぐに解った。

「…悪くはなかったよ、日野君」

 いつものことではあるが、この人にさり気なく褒められるのはやっぱり嬉しかった。

「有り難うございます」

 香穂子が笑顔で礼を言っても、吉羅はポーカーフェースのままだ。

 本当にこのひとは笑わない。

 いつか笑顔にさせたいと思う事はあるけれども、なかなか難しい。

「こんな寒いのに、朝から練習は結構」

 相変わらず言葉は硬い。本当に金澤とずっと交流があったのだろうかと思ってしまうほどだ。

「はい」

 吉羅は香穂子に頷いてくれたものの、更に表情が厳しくなり、硬くなる。

「しかし、このような寒い日に、朝練習をするのは、無謀なことだとは思わないかね? 全く…このままだと風邪を引くではないか。風邪を引いてしまえば、君は更に過酷な練習をしなければならなくなる」

 吉羅にピシャリと言われてしまい、香穂子はシュンとして頭を垂れた。

「アルジェント、そんな布きれを被っていないで、少しは温めてやるとかしないのかね?」

「あ、理事長、それは布きれではなくて、リリのマントなんですが…」

 香穂子が恐る恐る言うと、吉羅は眉を上げた。

「マントなのかね」

 吉羅は、どうせ不器用に思っていることだろう。

 しかたがない。

 不器用なのは今に始まったことではないのだから。

「あ、だけど、リリのお陰で寒さを感じずに済みましたから…」

「ったく」

 吉羅は呆れてものが言えないとばかりだった。

 吉羅が行ってしまい、リリと香穂子は顔を合わせて笑う。

「理事長ってさ」

 香穂子はそう言いながら、雪を掴んで、小さな雪だるまを作る。

「こーんな顔をしているよね」

 わざと怒った雪だるまを作ると、リリに見せた。

「吉羅暁彦、ソックリなのだー!」

 お互いに顔を合わせて、ニシシと笑う。

「私がどうかしたのかね? 二人とも」

 振り返ると、そこには相変わらず無愛想な吉羅暁彦が立っている。

 本当に不機嫌だ。

「理事長、戻られたんですか?」

 香穂子は吉羅雪だるまを隠すように立つと、笑いながら誤魔化した。

「もうすぐ生徒たちがやってくる。教室に戻って、これでも飲んで温まりたまえ」

 手渡されたのは、何故か缶入り汁粉。

 そのチョイスが渋くて、香穂子は笑いそうになった。

 何だか吉羅らしい。

「有り難うございます」

 缶入り汁粉と共に渡されたのは、貼るカイロだった。

 それもまた微笑んでしまう。

「教室に戻りたまえ。授業の準備があるだろう。雪だるまを作っていたのであれば、もうヴァイオリンの練習はしないということだろう」

「あ…」

 吉羅雪だるまを作っていたことが、完全にバレてしまった。

 ドキリとして、もう苦笑いをするしかない。

「では失礼しますっ」

 香穂子は勢いよく挨拶をすると、早足でロボットのように歩いていった。

 香穂子はドキドキしながらもにんまりとしてしまう。

 そのドキドキの意味は、自分で何気なく解っていた。

 

 教室に戻り、吉羅から貰った缶入り汁粉を飲む。

「香穂っ! おやじくさっ!」

 友人たちに言われても、香穂子はただニコニコと笑っていた。

 

 吉羅は、香穂子が作った小さな雪だるまを見ながら、リリに呟く。

「私はこんなにも無愛想かね?」

 そう言いながらも、吉羅は柔らかな笑みを浮かべる。

 甘い柔らかな笑みは、まだリリだけの秘密だった。



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