悪阻がかなり酷いせいか、香穂子は起き上がることが難しくなっている。 だが、ふたりの世話をするのが何よりも好きな香穂子は、無理をしてふたりのために料理をする。 休日の昼食後、香穂子は気分が悪い余りに、ソファに横になった。 吉羅は直ぐに香穂子を抱き上げて、寝室に連れていってくれる。それにおろおろと付き合うのが暁慈だ。 「香穂子、余り無理をするんじゃない。君は普通の躰じゃないんだから…」 「…大丈夫ですよ…。無理はしていないつもりです。悪阻は病気じゃありませんから、直ぐに治まります」 「今日は無理はしないほうが良い。明日から、また頑張って貰わないといけないからね。今日はゆっくりと休みなさい」 「暁彦さん…」 吉羅は香穂子の髪をそっと撫でると、額にキスをくれた。 「夕食は、私と暁慈で作ろう。簡単なものしか駄目だが、何か食べたいものはないかね?」 「…おふたりが作ってくれたら何でも…。今は思い付かないですね。あ、サッパリしたサラダとかが欲しいです。お酢をベースにした感じ」 「解ったよ」 吉羅は香穂子の頬にキスをすると、顔を柔らかく撫でてくれる。 「…眠りなさい」 「はい」 香穂子が目を閉じようとすると、暁慈がベッドによじ登ってきた。 「…ママ、だいじょぶ?」 「あきちゃん、大丈夫だよ。今日は遊んであげられないから、パパと一緒に遊んで貰ってね」 「…あい…。ママ、よくなって…」 「うん。良くなるよ」 香穂子は、愛するひとの面影を強く宿した息子に手を伸ばすと、あやすように顔を撫でてやる。 「夜ご飯楽しみにしているからね?」 「あい。パパと頑張るっ!」 力強く暁慈が宣言したところで、吉羅が抱き上げた。 「さてと、ママを寝かせてあげようか、暁慈…」 「あい」 吉羅は暁慈を抱いて、寝室を出た。 冷蔵庫の中を確認し、吉羅は足りない食材をメモに書き出す。 「暁慈、夕食は何にしようか?」 「うーんとねっ! ミートのスパッとハンバーグッ!」 「それはお前が食べたいものだろう?」 吉羅が苦笑いをすると、暁慈は屈託なく明るく笑う。 暁慈の笑顔を見るだけで、こころが癒されて、同時に香穂子への感謝の念があふれて来る。 息子を産んでくれていたことへの感謝。そしてここまで素直に明るく育ててくれたことへの感謝が溢れてくる。 「暁慈、買う物は決まっているから、お父さんと一緒に買い物に行こうか?」 「あいっ! ほいちょに行くー!」 “ほいちょ”というのは暁慈語で“買い物“を意味するらしいと、香穂子から聞かされていた。 語源はよく解らないらしいのだが。 「じゃあ準備して行こうか」 吉羅は、暁慈の部屋に行きダッフルコートと帽子を取り急ぎ持ってきてそれを着せた。 息子の手を引いて、車まで連れて行く。 チャイルドシートに乗せてから、運転席に乗り込んだ。 本当に幸せな気分になる。 これも香穂子のお陰だと吉羅は思わずにはいられなかった。 ふたりでスーパーに行くと、何故か視線を感じる。 別に気にはしないが、父子の買い物を微笑ましいとでも思っているのだろう。 吉羅はメモに書いておいた食材を手早く買い、直ぐにスーパーを出ようとする。 すると暁慈にコートを引っ張られた。 「パパ、ママにお土産っ!」 暁慈は、食べやすいプリンを指差している。 確かに、悪阻中の香穂子には良い選択なのかもしれない。 吉羅は幾つかの種類のプリンを買い求めた後、暁慈を連れて家に戻った。 家に帰ると、香穂子が笑顔で出迎えてくれる。 先ほどよりも、幾分か顔色は良くなっているようだ。 「おかえりなさい、おふたりとも」 「ママっ、お土産っ!」 暁慈は自分で持つときかなかったプリンを、香穂子に差し出してくれる。 「どうも有り難う、あきちゃん」 香穂子がにっこりと笑うと、暁慈は嬉しそうに笑った。 「暁彦さん、もう大丈夫なので、ご飯の準備は私がしますよ」 「いいや。今日はゆっくりしていなさい。夕食の準備は、私と暁慈でするから心配しなくて良いよ。お前はゆっくりしていなさい」 「解りました。じゃあおふたりの奮闘ぶりを見させて貰いますね」 「…ああ」 香穂子はにっこりと笑うと、ダイニングテーブルに腰を下ろしてふたりの様子を眺める。 吉羅と暁慈は、お揃いのカフェエプロンをつけて、キッチンに立った。 先ずはトマトソース作りから始め、ホールトマトを、暁慈が豪快に潰していく。 「暁慈、もう少し優しくしなさい」 「あいっ」 一生懸命ホールトマトを潰す息子に苦笑いをしながら、吉羅はカルパッチョサラダの下準備をした。 トマトを潰し終えると、吉羅はそれをふたつに分ける。 ひとつは香穂子と自分のためのトマトソースパスタのため。ひとつは暁慈が大好きなミートスパゲティのためだ。 吉羅は手早く味付けをしてソースを作りながら、残った挽き肉をボールに入れて、炒めた玉葱や香辛料を入れた。 「暁慈、ハンバーグを作るからまぜてくれるかな? お前はハンバーグが好きだろう?」 「やるっ!」 暁慈は嬉しそうに、ボールの中にある挽き肉を交ぜる。泥遊びの延長であるかのように。 香穂子も吉羅も、その様子を目を細めながら見つめていた。 シンクのなかにある汚れたものが気になり、洗いに行こうとすると、吉羅に制止される。 「駄目だよ。君は座っていなさい。明日からは、また、嫌だって言う程に、やって貰うから」 「はい」 香穂子はすごすごと引っ込み、リビングのソファに腰を下ろした。 いつの間にかとろとろと眠りに落ちていた。 妊娠中は、かなり眠いと聞いていた吉羅は、あどけなく眠る香穂子の寝顔にくすりと微笑みながら、その鼻の頭にキスをした。 毛布を持ってきて、躰に掛けてやる。 香穂子の様子を見ながら、暁慈の時もそばにいてやりたかったと思わずにはいられなかった。 そうすれば、こうして幸せな課程を共有することが出来たというのに。 吉羅は香穂子を起こさないようにキッチンに戻ると、後片付けを始めた。 じっくりと煮込むことが出来たせいか、トマトソースは絶品な味に仕上がっていた。 ミートソースは、子供用にと少し甘い味付けにはなってはいるが、こちらもなかなかだ。 時間み確認すると、夕食には良い時間帯になっていた。 「暁慈、テーブルのセッティングをするよ」 「あいっ!」 香穂子のために、ダイニングテーブルのセッティングした後、暁慈のハンバーグをグリルで焼き、パスタソースを温める。同時にパスタを茹でる準備をして大忙しだった。 総ての準備を整えたところで、吉羅と暁慈は、香穂子を起こしにいった。 「香穂子、夕食の時間だ」 香穂子は、まるで眠れる森の美女のように、ゆっくりと目を開けた。 「…有り難う」 香穂子は、ふたりに導かれてテーブルに着くなり、簡単の声を上げる。 「凄いよ! どうも有り難う!」 香穂子が笑顔でふたりに礼を言うと、柔らかな優しい笑みが父子から向けられる。 「あきちゃん有り難う。ママもお腹のなかの赤ちゃんも、沢山栄養を貰えたよ。本当に有り難う」 「うれちい!」 息子の頬にキスをすると、幸せな笑みを零してくれる。 「暁彦さん、どうも有り難う。とても嬉しいです。赤ちゃんも喜んでいます」 香穂子が笑顔で言い、頬にキスをすると、逆に唇を奪われてしまう。恥ずかしくて思わず目を伏せた。 「さあ、食べようか…」 「はい」 幸せな食卓。 こんな素敵なプレゼントはないと思った。 |