今日は大切な日だから、香穂子はいつも以上におしゃれをする。 吉羅と付き合い始めた記念日。 この日だけは、香穂子にとってはとっておきの記念日だ。 大好きでたまらなかったひとと、付き合い始めた日なのだから。 外食よりも、ふたりでゆっくりと出来る吉羅の部屋が良い。 温かな食事をふたりでゆったりとしながら、静かに楽しくお祝いをしたかった。 吉羅も今夜は仕事を早目に切り上げてくれる。 週末の甘いひとときを過ごすことが出来るのだ。 吉羅と過ごす週末は、いつもスペシャルだ。 ふたりきりでいるだけで、本当に幸せなのだから。 そんなに難しいものではないが吉羅の為に料理をする。 ビーフシチューにローストビーフのサラダ、そして白身魚の簡単なマリネに、白身魚とポテトを揚げたもの。 外で食べるよりも、かなり簡素ではあるが、沢山の想いを込めて料理をした。 揚げ物以外の料理の準備を終え、吉羅を待ちながら、香穂子は幸せな気分になる。 こうして待つのも楽しいと思っている。 こうして愛するひとを待つという行為が何よりも楽しかった。 吉羅が帰って来たのは、八時を少し過ぎたぐらいだった。 吉羅にしたらかなり早いほうだ。 こうして記念日だからだと無理して帰ってきてくれるのが、嬉しくてしょうがなかった。 「おかえりなさい、暁彦さん」 「ただいま」 甘いキスを交した後で、香穂子は吉羅の部屋に着いていく。 まるで奥さんの予行演習をしているかのように、香穂子は世話をした。 「暁彦さんがシャワーを浴びている間に、食事の準備をしておきますね」 「ああ。頼んだ」 吉羅がシャワーを浴びている間、香穂子は料理の最後の仕上げにかかった。 シンデレラのように夢見る時間を過ごすのもロマンティックかもしれないが、こうしてふたりで家にいるというのも、最高にロマンティックだと思った。 香穂子がセッティングをし終えた頃、吉羅がダイニングにやってきた。 吉羅は静かに席に着くと、グラスにシャンパンを注ぐ。 香穂子もほんの少しだけお相伴に預かった。 ふたりでシャンパンで乾杯をして、こうして手作り料理を食べるのが何よりもの幸せだと、今は感じている。 「後でヴァイオリンを弾いてくれるかね? 君のヴァイオリンを久々に聴きたいからね」 「はい、では食事の後に弾きますね」 「楽しみにしているよ」 ふたりは微笑みながら、この甘い雰囲気を存分に楽しんでいた。 「こうして暁彦さんとふたりきりで食事をするだけでも嬉しいです」 香穂子は素直に自分の気持ちを吉羅に伝えると、とても素敵な笑みをくれる。 こうして笑顔を交換しあえる仲がとても嬉しい。 他愛のない話をしながら、かけがえのない時間を過ごした後、ふたりはゆっくりとリビングで寛ぐことにした。 後片付けは吉羅が協力をしてくれたので、早く済む。 「折角の記念日だから、ケーキを買ってきた。ゆっくりしながら食べよう」 「有り難う」 吉羅が気に入っているレアチーズケーキだったが、驚くほどに美味しくて、香穂子は何度もうっとりとしてしまう。 そばには大好きでしょうがないひとがいる。 こんなに幸せな瞬間は他にないのではないかと、香穂子は思わずにはいられなかった。 「そろそろヴァイオリンを聴いてみたいものだが、構わないかな?」 「勿論ですよ」 香穂子は静かにヴァイオリンをケースから取り出した。 今夜はスペシャルだから、演奏する演目は決まっている。 ラフマニノフのラプソディにする。 この曲は、香穂子にとっても吉羅にとっても、とっておきのものであった。 千尋は背筋を伸ばすと、静かにヴァイオリンを構える。 静かに目を閉じると、ヴァイオリンの音色に集中をした。 ラフマニノフは最も大好きな作曲家の大好きな曲を奏でることにした。 ヴァイオリンに集中しながら、香穂子はこころが澄んでいくのを感じる。 こうしてふたりきりで寛いでいるだけで、特別な気分になる。 吉羅とのふたりきりの空間は、いつだってどんな場所であっても、香穂子には特別な空間なのだ。 ヴァイオリンを奏で終わり、吉羅と視線を合わせる。するとしっかりと抱き締めてくれる。 お互いに抱き締めあって、唇を重ねあう。 初めてキスをしたのも、この日だった。 甘くて切ない恋の日だ。 吉羅は香穂子の唇を貪るように重ねた後、更に深く抱き締めてきた。 「愛している」 普段は滅多に囁いてはくれない愛の言葉を吉羅は低い声で囁いてくれる。 それがとっておきのように思えて嬉しかった。 「…私も愛しています」 香穂子は甘えるように呟くと、吉羅の胸にそっと頭をもたれさせた。 暫くじっとしていた後、吉羅は香穂子からそっと離れる。 「少し横になりたいが構わないかね?」 「はい」 香穂子が吉羅に膝枕が出来るように座り直すと、そっと横になってきた。 吉羅暁彦がこうして膝枕をして眠るなんて、恐らくは誰も想像が出来ないだろう。 勿論、香穂子も想像なんて出来ない。 「…こうしていると一番リラックス出来るね…。君は不思議だよ…。私は今まで誰かがそばにいると、心から寛ぐことが出来なかったのだが、君が一緒だとこうして寛ぐことが出来る。初めてだ…」 「…暁彦さん…」 香穂子が髪を撫でると、吉羅は僅かに照れくさそうでいて、何処か嬉しそうな顔をする。 香穂子はその笑顔が可愛くて、思わず微笑んでしまった。 こうしてリラックスして目を閉じている吉羅を見ると、本当に可愛くてしょうがない。 こうして普段は見せてはくれない吉羅の表情を見るのが、香穂子にとっては何よりも嬉しい瞬間だった。 暫く無言で、ゆったりとした気分で、ふたりは寛ぐ。 外に食事に出かけたら、先ずはこのようなことは出来ない。 これはこれで香穂子にとってはたまらなく素敵なプレゼントだった。 不意に吉羅は目を開けて躰を起こすと、ギュッと香穂子を抱き締める。 「君を更に堪能したい。構わないね?」 「はい」 香穂子がはにかんだ返事をすると、吉羅は薄く笑いながら抱き上げてくれた。 そのままマスターベッドルームに入り、ふたりで愛し合う。 本当に家でこうしてゆったりとした愛の時間を刻むのは、最高のことなのだと、香穂子は思った。 吉羅とふたりで深く深く愛し合う。 リアリティなことなんて総て何処かにいってしまうような感覚。 吉羅とふたりの空間は、まさにそのようなことを思い出させてくれた。 高められて、高めて、お互いの魂を深く寄せあっていく。 その瞬間がまさにとっておきだと思う。 お互いに深く愛し合った後、ふたりはこころも躰も裸のままで、しっかりと抱き締めた。 「…香穂子、記念日だからね、これを」 吉羅はベッドのサイドテーブルに置いていたヴェルヴェットのジュエリーボックスを手に取ると、香穂子を抱き起こしてくれる。 左手を取られたかと思うと、薬指にダイヤモンドの指輪がはめられた。 「…暁彦さん…」 美しく気品が溢れた宝石の輝きに、香穂子は嬉しさの余りに感きわまる。 「記念日だからというよりは…、君を一生掴まえておこうかと思ってね」 「…暁彦さん…」 香穂子は嬉しさの余りに涙が滲んでくるのを感じる。 「…愛している。一生、離さないからそのつもりで…」 「はい…」 とっておきの時間が始まる。 今日が本当の意味で“アニバーサリー” |