*七夕祭*


 七夕祭の日が、満月だということを香穂子は初めて知った。
 満月の七夕だなんて、なんてロマンティックなのだろうかと思う。
 恋人はさり気ないロマンティックが似合うひと。
 本人はかなりのリアリストだが、実のところはロマンティストではないかと、香穂子は思った。
 七夕は恋人と過ごしたい。
 だが、生憎、今年の七夕は平日なのだ。
 大好きなひとは多忙な社会人だから、わがままは言えない。
 七夕で満月だから一緒に過ごしたい。だなんて、上手く言える筈なんてなかった。
 完全に香穂子のわがままだからだ。
 香穂子は溜め息を吐くと、七夕がいつも逢える土曜日であれば良かったのにと、思わずにはいられなかった。
 平日に吉羅とデート出来るなんて、余程のことがないと無理だ。
 香穂子はひとりで七夕を楽しむことにした。

 大学の帰りに、香穂子は昔懐かしい文具店に立ち寄り、七夕飾りのセットを買う。
 そして笹を花屋で買い求めた。
 これで、ひとりでも七夕を祝うことが出来る。
 少しだけご機嫌な気分になり、香穂子はほくほくとした気分で、家へと帰る。
 ゆっくりと歩いていると、聞き慣れたクラクションが背後から聞こえて、思わず振り返った。
 するとそこには吉羅の車が見え、香穂子は立ち止まった。
「暁彦さん」
「楽しそうにしているが、これから出かける予定でもあるのかね?」
「それはないですよ。ご機嫌な理由はこれですよ」
 香穂子が笑顔で七夕飾りのセットと笹を見せると、吉羅は笑顔になった。
「七夕飾りのセットかね。家で飾るつもりかな?」
「はい、そうですよ」
「だったら、私の家に飾ってはくれないかね?」
「良いんですか?」
 吉羅の家ほど、七夕飾りが似合わない場所はないというのに。
 だが吉羅の気持ちが嬉しい。
「今から飾りに来ないかね?」
「はい! 喜んで!」
 吉羅の家に飾れるなんて、こんなにも嬉しい事はない。
 香穂子は、吉羅ににんまりと笑いかけると、車に乗り込んだ。
「有り難うございます。暁彦さんの家に七夕飾りが出来るのがとても嬉しいです」
「君と七夕を楽しみたくなってね」
「今年は満月でもありますから、ロマンティックな風景が見られますね。それは嬉しいです」
 香穂子の言葉に、吉羅は感心するかのように頷いた。
「…そうか…。今年は満月なんだね…」
「そうですよ、満月だなんて、きっと織り姫も彦星も喜びますよ…」
「確かにね」
 吉羅はその通りだとばかりに頷いた。
 本当はその日に吉羅とデートがしたい。
 だが、それが難しいことぐらいは、香穂子には充分に解っている。
 だからこそ言出し難いことなのだ。
「暁彦さん、火曜日…、七夕様の日は、一緒に過ごせます…か…? む、無理ですよ…ね。忙しいから、暁彦さんは…」
 香穂子がしゅんとしながら言うと、吉羅は黙ってしまった。
 恐らくは香穂子とは過ごせないということを滲ませているのだろう。
 それはしょうがないことだと、解ってはいるのだが、なかなか難しい。
 香穂子はしょうがないと、肩を軽く竦めた。
「暁彦さん、解っています。一緒に過ごせないことぐらいは。お仕事、頑張って下さいね」
 香穂子がにっこりと笑うと、吉羅はただフッと笑った。

 車は吉羅の住む高級アパートメントの駐車場に停まり、そのまま部屋へと向かう。
 吉羅としっかりと手を繋いでいれば、恋人気分を味わえる。
 普段は、こうして接することはないから、余計にふたりきりの時間半貴重だ。
「夕食は、私が作ろう。パスタと簡単ローストビーフのサラダとスープぐらいしかないがね」
「それで充分です。楽しみです!」
「家にはきちんと送り届けるから、心配しなくても良いから」
「はい。有り難うございます」
「作っている間、君はヴァイオリンの練習をしておくと良い。夕食が終わったら、一緒に七夕飾りを作ろう」
「はい」
 吉羅が料理をするのを見るのは大好きだ。
 つい笑顔を浮かべてしまう。
 吉羅が料理をしている時は、香穂子はいつもそばにいてヴァイオリンを練習する。
 ヴァイオリンの練習は、料理を作る時のBGMがてらだ。
 吉羅がカフェエプロンをして手早く料理をしているのを見るのが嬉しかった。
 吉羅は手早くグリルを使ってローストビーフを焼いている間に、パスタソースを作り、パスタを茹でている。その上、サラダの野菜まで準備をしているのだ。
 何でも完璧にこなす恋人は自慢であり、女としてはほんのりとした悔しさがある。
 何でもそつなく出来るのは、本当に凄い事だ。
 香穂子は、出来る男が調理をする様子を見るのは、最高のアペアリフだと思う。
 ヴァイオリンにも良い作用を与えると、香穂子は思った。
 ヴァイオリンを何曲か奏で終わる頃、吉羅も食事を作り終えた。
「出来たよ。食べようか」
「はい」
 テーブルに並べるのを手伝った後、香穂子は吉羅と向かえ合わせで食事をした。
「いただきます」
 一口食べるだけでも美味しくてつい笑顔になる。
 吉羅の料理は本当に絶品なのだ。
 香穂子はつい笑顔になった。
「暁彦さんのお料理は最高です」
「それは有り難う。香穂子」
 ふたりで静かに食事をするのも嬉しいし、ふたりで他愛のない話をするのも嬉しい。
 香穂子は、どのようなシチュエーションであったとしても、大好きな吉羅とふたりで食事をするのが嬉しかった。

 食事を終えた後は、七夕飾りの用意をする。
 香穂子は薬玉を見ては喜んだり、茄子やスイカのイラストに笑ったりもした。
 これらを飾った後、いよいよ短冊に願い事を書く。
 吉羅とふたりで隠しあって書くのは、まるで子供の頃に戻ったみたいだ。
 それがくすぐったい嬉しさを生む。
 ふたりで3枚ずつ短冊を書き、一枚はシェアをする。
「一枚は何にしますか?」
「いつまでもふたり一緒にいられますように…は?」
「それが良いですね。じゃあそれ以外の願い事を書きましょう」
「そうだね」
 香穂子は、“素敵なヴァイオリニストになれますように”“学院が上手くいきますように”“暁彦さんと結婚して、可愛い子どもたちに囲まれて末永く暮らせますように”
 欲張りだとは思ったが、香穂子にとってはどれも捨てたくない最高の夢だった。
 吉羅とふたりでいられたら、こんなにも幸せな事はない。
 香穂子がコソコソと書いていると、不意に吉羅に覗き込まれた。
「あ、暁彦さんっ!」
 香穂子が動揺して名前を呼ぶと、吉羅はフッと甘くとっておきの笑顔を見せた。
「香穂子、私と同じような願い事だね」
「え…?」
 願い事を見られてしまった事はかなり恥ずかしいが、吉羅と同じような願い事であるのはかなり嬉しい。
「…暁彦さんは…どのような願い事だったんですか?」
「それは秘密だ」
「狡いですっ。私のだけが見られるなんて。暁彦さんも何を書いたか見せて下さい」
 香穂子がそこまで言うと、吉羅にひょいと抱き上げられてしまった。
「あ、あのっ、短冊を見せて下さい」
「君が可愛い願い事を書くから、帰したくなくなった。最も、最初から君を帰すつもりはなかったがね」
「暁彦さん」
 吉羅の策にはまってしまったということだ。
「…後で私の短冊を見せてあげよう。後、七夕は空けておくように」
「良いんですか!?」
「ああ」
 吉羅からの思いがけない申し出につい笑顔になる。
「七夕様が楽しみです」
「七夕様の前にしっかりと愛し合おう…」
「…はい…」
 吉羅に抱き付くと甘い時間に意識を飛ばした。

 翌朝教えて貰った願い事は、香穂子と全く同じだった。



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