父親の横でちょこんと座りながら、暁慈はテレビを見ている。 テレビは決められた時間に見せるようにしている。 それが吉羅と香穂子の想いでもある。 テレビで与えられるものだけではなく、様々なものに触れ合って貰いたかった。 「とーしゃん、あきちゃんも運動会ちたい」 暁慈はテレビを見ながら、羨ましそうにしている。 「運動会はあきちゃんがもう少し大きくなったら参加出来るよ」 「…あい…」 香穂子の言葉に、暁慈はほんの少し切なそうにする。 「香穂子、社の運動会があるが、それに参観させてみてはどうかね? 暁慈も喜ぶだろう」 「本当ですか…?」 最先端を行くスマートな企業だというイメージがある吉羅の会社に、そのようなレトロな催しがあるとは、正 直言って思わなかった。 「暁彦さんの会社にそのようなものがあるんですか…」 「ああ。私は今まで一度も参加したことはないけれどね」 やっぱりと、香穂子は思った。 吉羅暁彦には“社内運動会”は似合わない。 「暁慈が出たいというのならば、出ても構わないと思うがね」 「そうですね」 吉羅はやはりかなり息子には甘い。 運動会の参加は決して悪いことではないからだろう。 香穂子はしっかりと頷いた。 「そうですね。あきちゃんのためにも参加したいですね」 吉羅は頷くと、息子を抱き上げた。 「暁慈、お父さんの会社で運動会がある。一緒に参加しないか?」 吉羅の言葉に、先程まで表情を曇らせていた暁慈の顔が、途端に明るくなった。 「ほんちょっ?」 「ああ、本当だ」 「うれちいっ!」 暁慈は今にも暴れ出してしまうのではないかと思うほどに笑顔になっていた。興奮している。 「うれちいっ!」 暁慈はテレビに映っていた運動会と同じ経験が出来ると思い、半ば興奮してしまっている。 「暁彦さん、競技はどのようなものがあるんですか?」 「子供向けなら、パン食い競争や玉入れがあるようだ。それなら暁慈も参加が出来ると思うがね」 「そうですね」 運動会に参加が出来ると解り、暁慈はかなり浮かれている。 その様子を見つめながら、香穂子は微笑ましいと思った。 運動会までの間、準備に忙しくなる。 暁慈と吉羅はお揃いのトレーニングウェアを新調する。 吉羅の社では、CEOが初めて運動会に参加するとあって、かなり本格的な準備をしている。 秘書に言わせたら、吉羅は家族が出来たことで、良い形で変わる事が出来た、のだそうだ。 最近では仕事の効率も上がっていると聞いている。 香穂子にとってそれは嬉しいことでもあった。 息子とふたりが吉羅に良い影響を与えていると認められたことになるからだ。 それは本当に嬉しかった。 「ママー、後いくちゅ寝たら運動会?」 「後十個寝たらね」 「とーしゃん、後いくちゅ寝たら運動会?」 「後十回寝ないといけないね」 「あい」 そんな会話が繰り返されるほどに、暁慈は楽しみにしているようだった。 運動会用に帽子もスニーカーも新調した。 新しいスニーカーで、走る練習をして、暁慈は慣していっている。 毎日、てるてる坊主を作って、天気になるようにと毎日祈っていた。 その姿を、吉羅も香穂子も目を細めて見ている。 「暁慈があんなにも素直に育っているのは、ひとえに君のお陰だと思うね」 「暁彦さをがしっかりサポートして下さるからですよ。あきちゃん、随分としっかりとしてきましたから。妹が出来たことが大きいかもしれないですけれどね」 「そうだね」 香穂子は娘を抱きながら、息子の様子を見る。 暁慈が願うように、当日はスッキリと晴れ上がれば良いのにと、思わずにはいられなかった。 毎日、毎日、練習をして、指折り数えて待っていた運動会が、いよいよ始まる。 綺麗に澄んだ秋晴れで、香穂子はホッとしていた。 暁慈のために、大好きなおかずを沢山詰め込んだお弁当を作ってやる。 とても美味しそうに出来て、自分でも満足している。 お弁当は運動会のお楽しみのひとつだ。 勿論、吉羅が好きな健康に良さそうなものも、お弁当の中に入れておいた。 「香穂子、授乳室を用意したから、あさひは大丈夫だからね」 「有り難うございます」 「本当に、休憩用の個室はいらないのかね?」 「はい。運動会のお弁当は、やっぱり外で食べるのが美味しいですし、あきちゃんもそれを願っていますから」 「そうか」 吉羅は何でも至れり尽くせりしようとしてくれる。 それは嬉しいが、暁慈には普通の経験をさせたかった。 暁慈はと言えば、いつもは寝起きは良くないというのに、今日に限っては早起きだ。 父親とお揃いのトレーニングウェアを身に着けて喜んでいる。 あの吉羅暁彦が、息子とお揃いのトレーニングウェアを着るなんて、誰も想像出来ないだろう。 香穂子は誰もが驚く姿を想像して、くすりと笑った。 「あきちゃん、ご飯を今日はしっかりと食べるんだよ。あきちゃんも競技に出るんだからね」 「あいっ!」 自分よりも年齢がお兄さんやお姉さんと同じように競技が出来るのが嬉しいらしく、暁慈は終始ご機嫌だった。 香穂子が作ったお弁当を持って、運動会の会場へと向かう。 暁慈はずっと歌を歌っていた。 会場に入ると、昔ながらにレジャーシートを敷いて、そこに座る。 吉羅には全く似合わない光景に、香穂子は笑いを堪えるのが大変だった。 運動会はかなり本格的で、見ているだけでかなり嬉しかった。 暁慈も訳が分からないままではあるが、楽しんでいた。 「次はパン食い借り物競争親子の部に出場の選手は、入場門に集まって下さい」 アナウンスが流れて、暁慈は張り切って立ち上がる。 「あきちゃんの番だよ」 「あいっ!」 パン食い借り物競争は、まずパンを取って、その後に借り物をするという、ふたつの競技が合わさったものだ。 親子で楽しめるようにとの配慮であるらしい。 吉羅と暁慈は張り切って入場門へと向かった。 まさかCEO自らが息子と一緒に競技に参加をするとは、社員たちは思ってはいなかったらしく、誰もが驚いていた。 「お子さんと手を繋いでご参加下さい。皆さん、楽しみましょう」 競技の説明の後、吉羅と暁慈は三列目のスタートになった。 いよいよスタートだ。 吉羅は本当に小さい息子に合わせて走るから、当然最下位になるが、そのようなことはどうでも良かった。 吊されていたパンが暁慈にも取りやすい位置に下がってくる。 「暁慈、パンを口で取るんだ」 「あいっ!」 先程から競技を見ていたからか、暁慈は上手にパンを口に咥えてみせる。 その巧みさに流石は自分の息子だと、親バカなことを思った。 続いて借り物競争の指令が待ち受けている。 走って封筒を手に取り、中にある借り物の指令を見る。 「大事な物…だそうだよ、暁慈」 「大事な物、とーしゃんこっち!」 暁慈は直ぐに母親と妹がいるところに走っていった。 「あきちゃんの大事っ!」 「そうだね、お父さんもだよ」 ふたりは、大切な家族目掛けて走っていった。 吉羅と暁慈がこちらに向かって走ってくるのを、香穂子は驚いて見る。 「ママー、ちてっ! ママとあしゃひが大事っ」 暁慈が手を伸したので、香穂子はスニーカーを履いて、一緒に着いていった。 訳が分からないままゴールに入ると、暁慈が係員に紙を見せる。 「あきちゃんととーしゃんの大事はママとあしゃひっ!」 香穂子が驚いていると、係員が微笑んでくれた。 「はい。確かにお題通りですね」 係員は紙を香穂子に見せてくれる。 そこには“大事な物”と書かれていて、泣きそうになる。 「…有り難うあきちゃん、ママ、とても嬉しいよ…」 香穂子は泣き笑いを浮かべると、息子を抱き締めた。 本当に楽しい運動会だった。 運動会の帰りの車内で、暁慈は疲れたのかグッスリ眠っている。 その寝顔を見つめながら、香穂子は「有り難う」と素直な気持ちを伝えた。 |