六月と言えば、ジューンブライド。 香穂子も昔から憧れている。 今は吉羅の花嫁になることを夢見ていた。 それが間も無く叶うのだ。 高校生の頃からずっと好きだったひと。 そのひととようやく結ばれるのだ。 これを興奮せずにして、何に興奮すると言うのだろうか。 香穂子は幸せ過ぎて、つううっとりとしてしまう。 花嫁準備は色々と忙しいけれども、それでも幸せが溢れてくるのだから、不思議なものだと思う。 いよいよ明日、香穂子は大切なひとの花嫁になる。 こんなにも幸せなことはない。 前日から、会場近くのホテルに愛するひとと泊まる。 両親とは昨日、たっぶり一緒にいた。 吉羅とは既に一緒に暮らしているから、これが本当に実家で暮らす最後の日だという実感は少なかった。泊まりに行ったような感覚に既になっていた。 だが、やはり独身最後だという感慨はあった。 家族と過ごした優しくも楽しい日々。 過ごしている頃は、当たり前だと思って過ごしていたから、その日々が有り難かったことを改めて感じた。 両親や兄弟から愛されて守られていたことを、香穂子はつくづく感じた。 本当に最高に幸せな家庭に育ったのだと、改めて確認出来た。 それは大きかった。 今夜は吉羅と一緒に、独身最後の夜を過ごす。 明日の朝は準備が大変だからと、吉羅が気遣ってくれたのだ。 結婚したからといって、何かが変わるわけではない。 ただ香穂子の名前が変わり、堂々と一緒に暮らすことが出来るだけだ。 だが、新たな世界への一歩になることは間違いはなかった。 香穂子にとって、まさに新しい人生が始まるのだ。 前日の準備を終えて、吉羅とふたりでレストランに食事にゆく。 引き出物の他に、退場の際に渡す紅茶も準備が出来たし、前日のエステとヘアカットもした。 ふたりでレストランでのんびりと食事をする。 「独身最後だね」 「そうですね。だけど明日からは本当の意味でふたりで生きてゆけるんですね。それがとても嬉しいです」 「私もだ。これで堂々と君を離さなくても良くなるんだからね、毎日帰れば君がいることが嬉しい」 「私もこの間から時間を気にすることなく暁彦さんと一緒にいられるのが、とても嬉しいです」 香穂子はつい微笑んでしまう。 吉羅とは一緒にいられるだけで幸せだ。 明日はいよいよ愛を本当の意味で永久に誓うのだ。 香穂子にとっては、人生最良の日のひとつになるのだ。 恐らくは吉羅にとってもそうなのだろう。 香穂子は、明日が待ち遠しくてしょうがない。 明日の今頃は、正式に吉羅夫人となっているのだ。 そう思うとくすぐったかった。 「今夜は恋人としての最後の夜だね」 「そうですね。だけど私たちの愛情関係は変わらないです。恋人であっても、夫婦であっても…」 「確かにそうだね…。私たちの仲は変わらないね。だが…、愛情はもっと深くなるのではないかな」 吉羅は官能的で甘いカクテルのような笑みを向けてくれる。 その微笑みに魅了されずにはいられない。 恐らくは死ぬまで魅了され続けるだろうと、香穂子は思った。 明日は神様に報告が出来る。 そして吉羅の姉にも。 それが二人にとっては何よりも嬉しいことだ。 ふと夜景を見つめる。 今夜の夜景は一等素晴らしい。 だが、明日の夜景のほうがもっと素晴らしいだろうと、香穂子は思った。 余りに美しい夜景だ。 横浜に生まれ育って、この場所で最愛のひとと結ばれて、人生を歩んでいく。 香穂子はなんて幸せなのだろうかと思った。 「今夜の夜景はとても素晴らしいですね。今までの夜景の中では一番かもしれません」 「そうだね。私もそう思っているよ」 ふたりは夜景を見つめながら、更に様々な話をした。 これからはずっと一緒なのだから、もう少し落ち着いて過ごしても良いのに、今日は魔法にかかったかのように様々な話をした。 夕食を終えて、ふたりは部屋に戻った。 明日の夜もこの部屋で過ごすのだ。 二次会などは開かずに、ただのんびりと静かで甘い夜を過ごそうと思っている。 「明日は朝早いからね。早目に眠ろう」 「はい」 明日は朝から香穂子は美しくヘアメイクをしてもらうことになっている。 綺麗にして貰った後は、美夜のお墓参りをして報告をするつもりだ。 美夜の眠る山手教会で結婚式を挙げるためだ。 吉羅とふたりで手早く明日の支度をした後、ふたりはベッドに抱き合いながら横たわる。 「明日に影響を残さない程度にね…」 「はい…」 ふたりはくすりと微笑むと、そのまま優しく愛し合った。 翌日は朝からかなり忙しかった。 香穂子は朝食を終えると、直ぐに式の準備を始めた。 超一流のヘアメイクアーティストによって、香穂子は美しく変身をする。 髪を結い上げて、いつもと比べるとかなり丁寧にメイクもして貰い、花嫁らしい美しい姿にして貰った。 「本当にお美しいですね。直ぐに新郎様をお呼びして写真撮影をしますからね」 「はい。有り難うございます」 香穂子はドキドキしながら鏡を見る。 こんなにも綺麗にして貰ったのは初めてだ。 この姿を見て、吉羅が喜んでくれるだろうか。 香穂子はそれが気になってしょうがなかった。 「香穂子…」 ヘアメイクサロンに現れた吉羅は、ブルーグレーのタキシードを身に着けており、くらくらするほどに素晴らしかった。 吉羅こそ美しいのではなかろうか。 「香穂子。悪くないね、君の花嫁姿は」 「有り難う」 “悪くない”。それは吉羅にとっては最上級の誉め言葉であることを、香穂子はよく知っているからこそ嬉しかった。 「じゃあ撮影に行こうか」 「はい!」 吉羅はとてもスマートに香穂子をエスコートしてくれる。 それはうっとりとするほどにロマンティックな行為だ。 吉羅にエスコートされて、写真室へと向かった。 写真撮影の後は、山手カトリック教会に向かう。 本当に分刻みのスケジュールと言っても構わない。 だが、美夜には慌ただしく報告するのではなくて、静かに報告をしたかった。 それがふたりの願いだ。 だから多少詰め込みであっても、山手教会への到着時間は余裕を持ちたかった。 ふたりきりで美夜には報告をしたかったから、香穂子はかなり慎重にドレスの裾を上げていた。 入口までは、介添人がいてくれたので助かった。 ふたりで、吉羅美夜の墓に訪れる。 香穂子にとっては今日から姉になるひとだ。 年齢はついこの間、追い越してしまったのだが。 「姉さん、私は本日結婚します。私は最高のヴァイオリニストを妻に迎えることが出来ましたよ」 吉羅はこの上なく優しい声で姉に語りかける。 羨ましいぐらいに優しい声だ。 「美夜さん、暁彦さんを最高に幸せにします。ですからずっと私たちを見守っていて下さいね…」 香穂子もまたとても温かな気分になりながら、義理の姉に話し掛けた。 ふたりでカサブランカの花束を墓に捧げる。 まるでふたりの想いに返事をするかのように、カサブランカの花びらが揺れる。 香穂子はそれが美夜の優しい返事のような気がして嬉しかった。 吉羅とふたりで顔を見合わせて微笑み合う。 「香穂子、行こうか。私たちの新しい第一歩の始まりだ」 吉羅はまるで人生をエスコートするかのように、香穂子を導いてくれる。 こんなに幸せなことはない。 ふたりはゆっくりと教会に向かって歩いて行く。 新しい幸せのために。 |