親子水入らずで子どもの日を祝うのは初めてだ。 吉羅は、息子のために職人の手描きの鯉のぼりをオーダーし、五月人形も立派な物を買い求めた。 吉羅は本当に理想的な父親で夫であると香穂子は思う。 きちんと暁慈を叱り、きちんと褒めてくれる。 甘やかす時は甘やかすし、厳しい時はきちんと厳しい。 決して甘やかせるだけの父親ではない。 そこが香穂子には嬉しかった。 吉羅がきちんとメリハリをつけた対応をしているせいか、暁慈は父親をとても愛しているようだ。 その証拠に、父親のそばから離れないのだから。 「あきちゃん、立派な鯉のぼりだね。良かったね」 「しゅごいっ! カッコいい!」 暁慈は庭に飾られた鯉のぼりをじっと見上げて、本当に嬉しそうにしている。 高いところを泳いでいる鯉のぼりを、うっとりと見つめていた。 「暁慈、もう少し高いところで見るかね?」 「あいっ!」 暁慈は両手を真直ぐ上げると、期待するかのように父親を見上げている。 「肩車でもしようか」 吉羅が屈むと、嬉々として暁慈はその肩に乗る。 本当に嬉しいらしく、何度も楽しそうな声を上げていた。 「しゅごいっ! 父しゃんしゅごいよっ!」 息子に喜んで貰えるのが何よりも嬉しいらしく、吉羅は優しい笑みを浮かべていた。 親子ふたりの姿を見ていると、香穂子はそれだけで幸せな気分になる。 吉羅と暁慈は離れていた時間が長いせいか、なるべくこうした時間を取って上げたかった。 香穂子にはふたりが完璧に思える。 ただじっと見つめていた。 暁慈の節句は、吉羅がかなり派手にお祝いをしてくれた。 吉羅にとっては、初めて息子の節句を祝うのだから当然だ。 「暁慈、お前の背を測って記録をしておこうか。良い記録になるからね」 「あいっ!」 吉羅とふたりで、倉庫へと向かう。 そこにはかつての吉羅の身長も刻まれていた。 「これがお前と同じ年頃の頃の私だ」 吉羅は自分の背の目盛を指先でなぞっている。 懐かしそうなまなざしだ。 香穂子は完璧に大人の吉羅しか知らないから、吉羅がこんなにも小さかったなんて、にわかには信じられなかった。 「じゃあお父さんと背を比べて見ようか?」 「あいっ!」 同じ年頃の頃の吉羅の横で、暁慈も背筋を伸ばして身長を測ってくれる。 かつての吉羅もこうだったのだろうか。 それを想像すると、くすぐったいぐらいに可愛いと思った。 吉羅と暁慈は本当によく似ているから、殆ど変わらない雰囲気なのだろう。 「暁慈、お前はお父さんが同じ年の時よりも、少し背が高いようだね」 「うれちい! あきちゃんも、大人になったら、父しゃんみたいに大きくなれる?」 「…ああ。大きくなるよ。ただし、好き嫌いをせずに、きちんとごはんを食べなければならないけれどね」 「あい」 暁慈は親密に返事をすると、吉羅に笑いかけた。 吉羅にとっては、その笑顔が何よりものプレゼントのようで、幸せそうに笑っていた。 身長を測り終えた後、吉羅は息子としっかり手を繋いで倉庫を出る。 「来年はもっともっと大きくなっているだろうね。お前はお兄さんになるのだからね」 「あい」 暁慈は最近ようやく兄になる自覚が芽生えてきた。 大きくなり始めた香穂子のお腹を何度も撫で付けるようになったからだ。 赤ちゃんは守らなければならない存在だと、暁慈も理解し始めている。 「赤ちゃんは男の子かな、女の子かな?」 暁慈が嬉しそうにお腹をなでながら言う。 「まだ分からないよ」 「ママはどっちが良いの?」 「ママは健康だったらどちらでも良いよ」 「父しゃんは?」 「お父さんも健康だったらどちらでも。だけど、女の子が良いかもしれないね」 「あきちゃんもっ!」 暁慈は父親と同じ意見だったのが嬉しいらしく、笑顔で主張している。 自分の弟か妹が誕生するのが待ち遠しいらしく、何度もお腹を撫でていた。 暁慈の節句のお祝いだからと、今夜は暁慈が大好きなものばかりを食卓に並べる。 香穂子が準備をしている間、吉羅と暁慈はふたりして菖蒲湯に入っている。 親子水入らずの語らいは、さぞ有意義なものだろう。 香穂子は微笑ましく思いながら、ふたりのために食事を作った。 「父しゃん、赤ちゃんが出来てもね、こうやってあきちゃんとお風呂に入ってくれる?」 「ああ。勿論」 「良かった!」 暁慈はホッとしたように笑みを浮かべる。 やはりまだまだ子どもなのだ。 香穂子や吉羅を赤ん坊に取られるのではないかと思っているのだろう。 そんなことはないというのに。 暁慈は暁慈で不安に思うことがあるのだろうと、吉羅は思った。 「暁慈、お前はお父さんとお母さんの初めての子どもだ。だから誰よりも大切だ。心配しなくて良い。心配せずに、その分、妹か弟を可愛がってやって欲しい」 「解った。父しゃん大好き」 暁慈は素直に吉羅に対して甘えてきてくれる。 本当に可愛くてしょうがないと、吉羅は思った。 ふたりで湯船に漬かるのは、なんて心地が良いんだろうか。 暁慈は覚えたての、“鯉のぼり”の歌を、調子良く歌っている。 「父しゃん、しゃっきのことは、ママにはナイショだよ。心配しゅるからね」 「解っているよ」 息子とふたりだけの秘密を持てるなんて、なんて嬉しいのだろうかと思った。 食事の準備を終えたところで、吉羅と暁慈が機嫌良くダイニングに入ってきた。 「ご飯がちょうど出来たところだから、一緒に食べようね」 香穂子の言葉に、暁慈は本当に嬉しそうに微笑んだ。 親子三人で、子どもの日の食卓を囲む。 それが何よりも嬉しかった。 「美味しいよ」 暁慈はご機嫌にハンバーグを食べている。 香穂子はそれが嬉しくてしょうがなかった。 デザートはやっぱり、柏餅とちまきだ。 とっておきの甘い誘惑でもある。 「ママ、お腹の赤ちゃんの分っ!」 暁慈にちまきを差し出されて、香穂子は泣きそうになるぐらいに嬉しくなる。 「有り難う、あきちゃん。ママと赤ちゃんにいっぱい栄養を貰うからね」 香穂子が笑顔で礼を言うと、暁慈もまた笑顔になった。 香穂子の妊娠が解って暫くしてから、暁慈が拗ねる時期があった。 だが、吉羅が上手くしてくれたおかげで、それも無くなった。 やはり父親の役割というのは、かなり重要なのだろうと、香穂子は思う。 上手く暁慈をしつけてくれている吉羅に感謝をせずにはいられなかった。 子どもの日だから、今夜はヴァイオリンで子守歌を奏でてやる。 吉羅はそばにいて、暁慈の様子を見てくれていた。 香穂子がヴァイオリンを奏で終わると、暁慈はにっこりと笑う。 「有り難う、父しゃん、ママ…。おやしゅみなさい…」 暁慈は本当に天使のような微笑みを浮かべた後、ぐっすりと眠り始めた。 その寝顔を、吉羅とふたりで寄り添って見つめる。 ふたりで幸せな笑みを零した後、暁慈の部屋を後にした。 「暁彦さん、今日は有り難うございました。本当に嬉しいひとときでしたよ」 「それは良かった」 吉羅はフッと微笑むと、香穂子を抱き寄せた。 「あきちゃんをいつもきちんとしつけて下さって有り難うございます。凄く幸せです」 「君の教育の賜物でもあるからね」 「有り難うございます」 香穂子が微笑むと、吉羅は膨らみ始めたお腹を撫でる。 「来年はもっと賑やかな子どもの日になるね」 「そうですね。もっと幸せになります」 香穂子が笑顔で言うと、吉羅も同意するように頷いた。 |