大みそかは例年バタバタとしていた。 ギリギリまで準備をしてから、慌ただしく夜を過ごしていた。 用意周到の権化のような吉羅と一緒過ごすようになってからというもの、大みそかはわりとのんびりとしている。 吉羅曰く、大みそかにバタバタとするのは、時間な無駄であり、日頃、きちんとしていないからだそうで、香穂子には痛い言葉だった。 確かに吉羅の言う通りのところはあるかもしれない。 香穂子も前日までにきちんとお正月の準備をするようになったのだから。 香穂子は今年ものんびりとした大みそかを過ごせて嬉しい。 吉羅と大みそかの街をのんびりと歩く。 大みそかの空気はとても澄んでいて、深呼吸をするだけで、気持ちが良かった。 吉羅と手を繋いで散歩をするだけで、とても清々しかった。 「やっぱりこうして大みそかはのんびりと過ごすのが良いですね」 「そうだろう? バタバタと忙しくしていたら損するような気がしてね」 「確かに」 「準備をするまでは大変だが、終わればこんなに清々しいことはないからね」 誰もが忙しくしているというのに、こうして大好きなひとと一緒にのんびりとしていられるなんて、何だかボーナスかプレゼントを貰ったみたいだ。 ふたりで麻布十番をのんびりと歩いたり、深呼吸をしたりするだけで、香穂子は特別な気分になった。 お正月用のパンを老舗で買った後、ふたりは蕎麦屋に迎える。 麻布十番を大みそかに歩くのは、本当に楽しい。 お昼は老舗で蕎麦だ。 「今年はおそば三昧ですね。大好きなので、とても嬉しいですよ」 「それは良かった」 吉羅は嬉しそうに微笑んでくれる。 ふたりで向かい合って食べる、晦日蕎麦はとっておきだった。 「暁彦さんとおそばをのんびりと食べていると、大みそかなんだなあって思います」 「去年もこうして食べたからね」 「はい。来年もこうして食べたいです」 香穂子は先の幸せに想いを馳せながら、つい笑顔で呟く。 「…香穂子、来年のことを言うと、鬼が笑うよ」 吉羅は困ったように言うと、香穂子を見た。 「来年は、麻布十番で過ごすのは難しいかもしれないからね」 「え…?」 どうして難しいだなんて言うのだろうか。 香穂子は不安になって、つい吉羅を見た。 「…暁彦さん、それは…」 吉羅はただ微笑むだけだった。 蕎麦屋から出た後も、香穂子は不安でしょうがなかった。 何かあるのだろうか。 そんな香穂子の不安を敏感に感じ取ったからだろうか。 吉羅は香穂子の手を、離さないとばかりに強く握り締めた。 「…香穂子、私はね、横浜に戻ろうと思っているんだよ」 ミッドタウンへと続く坂道を上りながら、吉羅は呟いた。 「え? 横浜ってどちらに引っ越しをされるんですか?」 「地元だよ。山手だ」 吉羅はフッと微笑むと、香穂子の手の甲を何度も撫で付ける。 「来年は、元町で過ごすことになるだろうね。来年の大みそかは、元町散歩だね」 吉羅は心配するなとばかりに言うと、香穂子の手を引いてゆく。 「君を結ぶ手を、私は離す気はないよ」 吉羅は力強く言うと、香穂子の手を握る手の力を入れた。 のんびりとした散歩も終わり、ふたりは家に戻った。 ここからは暫くの間、巣ごもりだ。 香穂子は、こうしてふたりで家の中に閉じこもるのも良いものだと思わずにはいられない。 何だか結婚したみたいで、香穂子には嬉しかった。 ふたりで特に何をするとか決めるわけではなくて、のんびりとするのが良い。 本当に贅沢だと思わずにはいられない。 窓から見える六本木の街を見るのも、楽しかった。 「大みそかは長いからね、昼寝でもするかね? ジルベスターも見なければならないからね」 「そうですね」 ふたりで意見を一致させると、ベッドの中に潜り込む。 「昼寝をするなんて、君の前でしか出来ないことだからね」 「だったらたっぷりと堪能して下さいね」 「ああ」 ふたりは寄り添い合って眠りに落ちる。 お互いの温もりに安心せずにはいられない。 目を閉じてしまえば、直ぐに心地好い夢の世界が広がった。 夕方までのんびりと眠れたせいか、随分とスッキリと出来た。 年越しそばの準備は吉羅がしてくれたし、香穂子がすることと言えば、軽食の準備ぐらいなのだ。 香穂子はお腹に余り溜まらないようにと、玄米おにぎり、揚げ出し豆腐、焼豚を使った簡単なサラダと、軽食に近いメニューを作った。 夕食を食べながら、クラシックを聞いてのんびりとする。 吉羅と過ごす大みそかは、それが定番になりそうだ。 今までなら紅白歌合戦を見て、大みそかを実感していたけれども、空気で解るようになった。 大みそかの空気は何処か澄んでいて、とても綺麗だから。 香穂子は、吉羅とこうしてふたりで重なる時間が何よりも愛しいと感じていた。 「ジルベスターを見たら、初詣に行こうか」 「そうですね」 「こうしてふたりでのんびりと出来るのは、これが最後かもしれないからね」 「え…?」 香穂子は吉羅の言葉に驚いてしまい、思わずその顔を見た。 「それは…」 一瞬、不安になってしまい、香穂子は吉羅を見上げる。 すると吉羅は香穂子を引き寄せた。 「来年は君がジルベスターに出ることになるかもしれないだろう? その打診が既にあるんだよ」 まさか。 既にそんな打診があるなんて、香穂子は思ってもみなかった。 「ソリストとしてね。君の評判を聞いた担当者が、君について調べにきた。そして、来年の大みそかのスケジュールを暫く空けておいてくれと、頼まれている。大学としてこれ以上のことはないからね、君のスケジュールは空けておいた。毎年、君の大みそかのスケジュールは大忙しだと伝えておいたよ。…勿論、私と過ごすのに…だけれどね」 吉羅は甘く微笑むと、香穂子を更に抱き寄せてきた。 「…それに…」 「それに?」 「何でもないよ…。後のお楽しみだ…」 吉羅は含みを持たせると、それ以上のことは言わなかった。 吉羅が作ってくれた年越しそばを、ふたりで食べる。 毎年、年越しそばを作るのは、吉羅の役割になっている。 香穂子はジルベスターコンサートの中継が始まる前に、年越しそばを食べ終わって片付けた。 吉羅とふたりで寄り添って見るのだ。 やはり、大みそかはこうして吉羅とふたりきりどいるのが醍醐味なのだ。 カウントダウンが画面に写し出される。 新年を迎えるのと同時に、演奏がピッタリと終わる。 これぞジルベスターの醍醐味だと、香穂子は思わずにはいられない。 そして、新年の瞬間。 吉羅に突然、引き寄せられたかと思うと、そのまま唇を激しく重ねられた。 「…あ、あの…」 突然のロマンティックに香穂子があたふたとしていると、吉羅は甘く微笑んだ。 「香穂子、結婚してくれないか? 今年中に」 いきなり吉羅にドラマティックなプロポーズをされてしまい、香穂子は目を丸くする。 甘いドキドキに、どうして良いのかが解らない。 「…香穂子…」 香穂子は直ぐにドキドキが治まらなくて、なかなか言葉を発することが出来なかったが、深呼吸をして真直ぐ見つめる。 「はい。結婚します」 香穂子ははっきりと言うと、吉羅をしっかりと抱き締める。 「有り難う…」 吉羅はホッとしたように呟くと、香穂子を思い切り抱き締める。 新しい年のスタート。 香穂子と吉羅にとっては新しい人生のスタートだった。 |