*大みそかの夜*



 今日は大晦日だというのに、相変わらず仕事に追いたてられている。

 大晦日は、香穂子と一緒にすごそうと、約束までしていたというのに。 

 とうの香穂子といえば、そんなことで責めるタイプではなく、今日のことはしょうがないとぐらいに思ってくれているようだ。

 だからこそ、吉羅は余計に申し訳がないと思ってしまっていた。

 仕事をしながらも、時間が気になってしょうがない。

 香穂子と約束をした以上は、一緒に過ごしたかった。

 クリスマスから吉羅の誕生日にかけてのホリディシーズンの総てで、香穂子を拘束した。

 拘束しておきながら、自分が仕事で身動きが取れないなんて、吉羅は溜め息を吐いてしまう。

 せめて大晦日だけでもと思ったが、書類がたまっており、それらを正月明けに直ぐに決済をしなければならないのだ。

 そのため吉羅は、自宅で待ってくれている香穂子に電話をすることにした。

 帰りが遅くなることを、香穂子に伝えておかなければならない。

 携帯電話を手に取ると、吉羅は香穂子に電話を掛けた。

「はい、香穂子です。あ、暁彦さんっ!」

 弾む香穂子の声を聞くと、何だか申し訳なくなる。

「香穂子、すまないが、まだ仕事が終わらなくてね……。せっかくの大晦日なのに、本当に申し訳ない」

 電話の前で、香穂子が切なそうに息を呑むのが聞こえた。当然だろう。今朝も、一緒にジルベスターコンサートを見るのを楽しみにしていると、明るく言っていたのだから。

 胸が痛い。

「お仕事だからしょうがないですよね。解りました。夜食のお蕎麦を用意して待っていますね。暁彦さん、余り無理をされないようにして下さいね」

「有り難う」

 吉羅がどのような仕事をしているのか、じゅうぶんに理解してくれている香穂子だからこそ、このように我が儘を言わないのだろう。

 本当に感謝している。

「……暁彦さん、それと……」

 香穂子は何かを言おうとしたようだったが、直ぐに黙ってしまう。

「何かね?」

「あ、な、何でもありません。お仕事、頑張って下さいね。あと、年末ですから、気を付けて帰ってきて下さいね」

「ああ、有り難う」

 吉羅からではなく、香穂子から電話を切られてしまう。

 それが今日は妙に気にかかっていた。

 香穂子は怒っていないようで、本当は怒っているのだろうか。そんなことをつい考えてしまう。

 吉羅は仕事を素早く済ませなければならないと、集中することにした。

 

 香穂子は携帯電話を切ると、溜め息を吐いた。

「しょうがないよね。まあ、楽しみは後にとっておいたほうが良いかな」

 香穂子は携帯電話を置くと、時計を見つめる。

「ジルベスターコンサートにギリギリ間に合ったら、嬉しいけれど」

 香穂子はのんびりと呟くもと、ソファに腰を掛ける。

 吉羅も一所懸命に時間を作ってくれているのを知っているから、我が儘を言えない。

 大晦日ぐらいはふたりで、年の瀬を楽しみたいと思っていたが、仕方がない。

 吉羅との時間は、まだまだ重ねて行くことが出来るのだから。

 かけがえのない時間を。

 帰ってきたら、先ずは、一年間ご苦労様と、声をかけてあげたい。

 そして出来るならば、抱き締めてあげたいと思う。

 吉羅は、香穂子の道を拓くためにも、力を尽くしてくれているのだから。

 そして、ちょっとしたサプライズプレゼントをあげたい。

 本当は、ちょっとしたものではないのかもしれないのだが。

 吉羅は驚くだろうか。

 それとも喜んでくれるだろうか。

 吉羅が喜んでくれるのが、一番嬉しい。

 香穂子は愛しているひとの笑顔を思い浮かべながら、幸せだ夢想に浸る。

 つぎの年に変わる瞬間に、素敵なことが待っていますように。

 そう考えずにはいられなかった。

 とはいえ、ひとりの大晦日の夕食タイムはとても淋しいものだ。

 吉羅も今、ひとりで食事をしているのだろうか。

 吉羅のことだから、ひょっとすると食事もせずに、一所懸命に仕事を片付けてくれているのかもしれない。

 せめて、おそばだけでも一緒に食べてあげたい。

 夕食後、香穂子は心を込めて、そばの下拵えを始めた。

 

 同じ頃、吉羅は食事もせずに、ひたすら仕事を片付けていた。

 大晦日中に帰宅したかった。

 年が変わる瞬間に、香穂子を抱き締めたい。

 キスをしたい。

 こんなことを考える相手は香穂子だけだ。

 これからもずっと香穂子と一緒に年が変わる瞬間を、過ごしたかった。

 吉羅は、香穂子とただ一緒に過ごしたい想いで、驚異的なスピードで仕事をこなすことが出来た。

 総ての仕事が終わった時点で、23時をまわっていた。

 吉羅は直ぐ様片付けて、家路に急ぐ。

 香穂子をしっかりと抱きしめたい。

 ただそれだけだった。

 

 テレビでは、とうとうジルベスターコンサートが始まってしまった。

 流石に切ない気持ちになってしまう。

 新年を告げる曲が始まってしまう。

 もう間に合わないのか。

 香穂子は切なさと焦りを感じていた。

 

 車を停めて、吉羅は自宅に急ぐ。

 もうジルベスターコンサートは始まっているだろう。

 それどころか、新年を告げる曲も始まっているだろう。

 一刻も早く帰りたい。

 吉羅はやっとのことで、自宅のドアを開けた。

「おかえりなさい!」

 香穂子が出迎えてくれ、吉羅は直ぐに柔らかくて華奢な身体を、抱き締める。

 深い情熱的なキスをした瞬間、新年になった。

 間に合った。

 愛する者と新年を祝えたことを嬉しく思いながら、吉羅は唇を離す。

「明けましておめでとう、香穂子」

「明けましておめでとうございます、暁彦さん。そして、今年、暁彦さんは、お父さんになりますよ」

 香穂子ははにかんだ笑みを浮かべると、真っ直ぐ吉羅を見つめる。

 吉羅は込み上げてくる幸せに微笑みながら、香穂子を抱き上げる。

 新しい幸せが始まる。



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