横浜が桜色に染め上げられ、いよいよ春だと、香穂子は思う。 今日は、かなり暖かくなる筈だから、絶好のお花見日和になるのだろう。 夜桜なんて最高かもしれない。 だが、香穂子の大好きな誰かさんが、レジャーシートを敷いて、花見をするなんて、到底、考えられない。 似合わなすぎる。 花見で似合うとするならば、和室から豪華な懐石料理を食べながら、のんびりとゆったりとするスタイルか、或いはフレンチレストランの窓から、ライトアップされた桜を見るぐらいだろう。 どちらにしても、缶ビール片手に、つまみを食べながらの花見は似合いそうにない。 これだけは、香穂子にも分かる。 今までも、桜の季節に夕食を共にしたことはあるけれども、香穂子が思っているスタイルだった。 だから、きっと、花見なんてしないだろう。 一緒に桜の花を見た時には、本当にたまたまのタイミングだった。 たまたま桜が満開のタイミングで食事をしただけなのだ。 この美しい季節に、大好きなひとと桜の花を愛でる。 夢だ。 吉羅とふたりで、桜を愛でるのが目的で、ずっと見つめていたい。 刹那的な花だから。 一年のうちに僅かな時間でしか見られないから、その貴重な時間を、吉羅とふたりだけで過ごしたい。 とはいえ、まだ、“恋人”ではないし、お付き合いもしていないから、自分からふたりでお花見に行きたいなどと、言うことは出来なかった。 大学生になってもこの体たらくだ。 なかなか言い出せないのは、相手が通っている大学の理事長だからだろうか。 その枷は香穂子にとっては、余りにも大きかった。 「香穂子、今夜さ、皆で、夜桜見物に行こうよ!スーパーで飲み物や食べ物を調達してさ、お花見」 「お花見か。良いね。うん、行くよ」 天羽に声を掛けられて、香穂子は花見に参加することにする。 今年も、吉羅とふたりで、お花見をすることは、叶いそうにないから。 だったら、仲間たちと一緒に夜桜見物に行くのも、良いだろう。 昼間は清楚に。 夜は妖艶に。 真逆の顔を持つ、綺麗で刹那的な薄桃色の透明感のある花。 刹那的だからこそ美しいのだろう。 その花を、吉羅と見られたら良いのにと、香穂子は思う。 来年は、一緒に見られるのだろうか。 そんなことを考えていた。 花見の準備のために、天羽とふたりでスーパーに向かう途中で、香穂子はバッタリと吉羅に逢った。 「こんにちは、理事長」 「こんにちは、日野くん、天羽くん。ふたりで出掛けるのかね?」 「臨海公園でお花見に行くんですよ。その準備です」 香穂子が笑顔で伝えると、吉羅は瞳をスッと細めた。 「夜桜か……」 「はい。今日は満開ですから」 香穂子は、遠くからも麗しく見える桜の花を指差した。 「そうだね。楽しみたまえ」 「はい、では、また」 ほんの少しだけ、吉羅が一緒に夜桜見物に行きたいと言ってくれるのを期待していたが、それは叶わなかった。 それは当然だと思いながらも、香穂子は何処かでがっかりしていた。 スーパーに入り色々と買い物をしていると、遠くから見慣れた男性がこちらにやって来る。 吉羅だ。 まさか、吉羅がスーパーに来るなんて、思ってもみなかったのだ。 香穂子たちの前まで来ると、吉羅はピタリと止まった。 まさか学生たちと一緒に花見をしたいと言い出すなんてことは、あるのだろうか。 「天羽くん」 「はい」 天羽に一緒に花見をしたいとでも言うのだろうか。 それはそれで嬉しいが。 「日野くんを借りる。今夜は日野くん抜きで花見を楽しんでくれたまえ」 まさか。 花見から引き抜きを受けるなんて思ってもみなかった。 「日野くん、行こうか。私は君にどうしても頼みたい用がある」 吉羅は何でもないことのように呟くと、香穂子が従わずかなはいられないような眼差しを向けてきた。 少しだけ鋭い視線。 香穂子はドキリとした。 このまま従わずにはいられなくなる。 だが、せっかく誘ってくれた天羽には申し訳ないと思ってしまう。 大好きなひとたちふたりに挟まれてしまい、香穂子はすっかり困ってしまった。 「香穂子、そんな切なそうな顔をしないで。行っておいで、理事長と。どうせ理事長は、私とアナタだけのタイミングを狙った確信犯なんだろうからさ」 天羽はウィンクしながら、笑顔を香穂子に向けてくれた。 「理事長、香穂子の拉致を認めます。香穂子を拉致する以上は、しっかりとこの子を楽しませて下さいよ」 天羽はピシャリと言うと、香穂子の背中をぽんと押した。 「解った。日野くんがいない分、楽しんでくれたまえ」 吉羅が、然り気無く袖の下を渡そうとしたが、天羽はそれをキッパリと断った。 「じゃあ、香穂子、楽しんでおいで」 「有り難う、菜美!」 天羽計らいが嬉しくて、香穂子は笑顔になった。 「では、行こうか。日野くん」 「はい、理事長」 吉羅が歩く後を、香穂子は素直に着いて行く。 相変わらずスーツがよく似合う、非の打ち所がない大人だ。 スーパーの駐車場には、吉羅のフェラーリが堂々と停めてあり、浮いていた。 似合わなすぎる。 まるで、吉羅がレジャーシートを敷いて花見をしているのと同じだ。 「さ、行くよ。君と、是非見たい桜があるからね」 「有り難うございます」 吉羅の車に乗って、何処か桜の名所に向かう。 何だかドキドキする。 吉羅とふたりで桜を眺めることを、ずっと夢見てきたのだから。 車が走っているうちに、夕闇が下りてくる。桜が妖艶になる瞬間だ。 例えるならば、子供から女になる。そんな雰囲気だ。 「日野くん、もうすぐだ。ライトアップなどされてはいないが、とても綺麗な桜だから楽しみにしていなさい」 「はい、有り難うございます」 吉羅と見る桜ならば、どのような桜であっても素晴らしい。 車は静かな地域に入ってゆく。吉羅のことだから、かなりの穴場なのだろう。 車が停車する。 「さ、降りたまえ。着いたよ」 「有り難うございます」 吉羅に言われて、香穂子はゆっくりと車から降りる。 すると、目の前に見事なまでに咲き乱れる桜の樹が鎮座していた。 清らかさと妖艶さ。 それらを総て兼ね備えている。 「……綺麗……」 「君にこの桜を見せたかった。私が知るなかではとっておきの桜だ」 吉羅のとっておきの桜。 宝物のようなものが見られて、香穂子は感動を超えた喜びがある。 「……有り難うございます、素敵な桜を見せて下さって。私も吉羅さんと一緒に桜が見たかったんです」 「それは良かった。……本当に君だけに見せたかった……」 ごく自然に、吉羅と香穂子の手がしっかりと結ばれる。 ふたりで桜を見上げる奇跡に、香穂子は感動を覚えずにはいられなかった。 少し、また、吉羅と近づけた。 そんな気がした。 |