吉羅と節分なんて、全く結び付かない。 恵方巻きなんて食べる雰囲気はないから。 まさか吉羅が恵方に向かって、願い事をしながら無言で海苔巻きを食べるなんてことは、全く想像出来ないから。 だからだろうか。 特にデートの約束なんてしてはいない。週の真ん中だから、当然と言えば、当然なのかもしれないが。 香穂子はすっかり節分は家で過ごす気で、準備をしていた。 節分の前日、吉羅からメールが届いた。 節分の日、一緒に過ごさないか? 暁彦 吉羅からの誘いが嬉しくて、香穂子はつい踊りたくなってしまう。 なかなか会えないからこそ、誘いは嬉しいのだ。 吉羅と節分の夜を過ごすことが出来るなんて、こんなにも嬉しいことはない。 香穂子は直ぐに吉羅に過ごしたいと伝えた。 節分の日、吉羅の自宅で過ごすことになった。 吉羅が寿司を買って帰ってくれるので、香穂子は何もすることはない。 だが、せめて何かはしたい。 そう思い、茶碗蒸しと吸い物は作ることにした。 どちらも調理実習で作ったぐらいの腕前しかないのだが。 香穂子は、先に吉羅ね家に向かい、吸い物と茶碗蒸しの支度をした。 口が肥えている吉羅にはどちらも役不足だろうが、気持ちだけは一流の料理人には負けないと思っている。 香穂子は、吉羅が帰ってきてから茶碗蒸しを蒸そうとセットし、吸い物も温めて三つ葉を入れる状態までにしておいた。 吉羅に喜んで貰いたい。 香穂子にとっては、それが嬉しいからこそ、料理をしたいと思うのだ。 吉羅が帰ってくるまでの間に、少しだけ時間があったため、その間に、レポートを完成させる。 なるべくならば、吉羅との時間は、すっきりとした気持ちで溺れてしまいたかった。 吉羅と過ごすことが出来る時間こそが、香穂子にとっては何よりも貴重な時間であったからだ。 香穂子は、吉羅との甘い時間を思いながら、一生懸命にレポートを完成させた。 これをしておけば、後はかなり楽だからだ。 香穂子がレポートを完成させたところで、タイミング良く吉羅が帰ってきた。 「おかえりなさい」 香穂子は吉羅を心地好い気分で出迎えた後、直ぐに茶碗蒸しを蒸し始めた。 「寿司だよ。一緒に食べてのんびりとしようか」 「はい」 吉羅が着替える間に、タイミング良く蒸し上がった。 寿司を皿に並べる。 寿司職人の配慮で、恵方巻き以外は、一口大の大きさになっていた。 これは分かりやすくて有り難い。 テーブルにセッティングを終えた頃に、吉羅がダイニングにやってきた。 「有り難う」 吉羅は、茶碗蒸しと吸い物に直ぐに気付いてくれて、きちんと礼を言ってくれた。 それが嬉しくて、香穂子はつい笑顔になってしまう。 こうして吉羅が気付いてくれるからこそ、やり甲斐があるというものだ。 吉羅とふたりで食卓を囲む。 先ずは恵方を向いて、無言で恵方巻きを頬張る。 欲張りだから沢山の望みがある。 先ずはヴァイオリンが上手くなりたいこと。 そして吉羅とはもっと素晴らしい関係になりたい。 ヴァイオリンで人々に感動を与えたい。 そのようなことを香穂子は強く願った。 どれも香穂子にとっては、なくてはならない願いであるからだ。 これらが叶っても、欲張りだから、きっと沢山の願いがわき出てくるだろう。 だが、それで良いのかもしれないと、最近は思うようになった。 願い事が沢山あればあるほど、それを叶えるために、精一杯努力をするだろうから。 そして、その願いが、香穂子の未来を照らしてくれるだろうから。 色々と願いながら食べると、不思議と喉には詰まらなかった。 これは香穂子にとっては素晴らしいことだった。 食べ終わって、先ずは吉羅を見た。 「暁彦さん、食べ終わりました」 「私もだ」 吉羅は香穂子の顔を見るなり、小さな女の子を見るような優しいまなざしになる。 「香穂子…」 くすりと笑われながら名前を呼ばれた後、吉羅は香穂子の唇の端に指を伸ばしてきた。 「ご飯がついている」 吉羅は、いつもは見ることのないこの上なく甘い笑みを浮かべると、ご飯粒を素早く取ってくれた。 「…あ…。有り難うございます…」 吉羅がご飯粒を素早く食べたものだから、香穂子は余計に恥ずかしくなってしまった。 耳まで真っ赤にしていると、吉羅は更に笑った。 「願い事はしっかり出来たかな?」 「勿論です。私は欲張りですから、沢山、沢山、願い事をしました」 「私もだ。お互いに叶うと良いね」 「はい!」 香穂子は笑顔でしっかりと返事をしながら確信する。 必ず願い事は叶う。 それは間違ないこと。 吉羅といれば、必ず叶えられる。 こうしてふたりで願う時間を重ねたのだから。 「君がそう言うと、本当に叶うような気分になるのが不思議だね」 「叶います、必ず」 香穂子は確信を持って言うと、吉羅を見た。 「では、食事の続きをしようか」 「はい」 香穂子は頷くと、先ずはお茶を呑んだ。 「流石にお茶は飲まなければならないね」 「そうですね。だけど、暁彦さんが恵方巻きを無言で食べて願うなんて、何だか想像出来ないですよ」 「そうかね。私は総てを神頼みにする気は更々ないが、やるべきことをしっかりやった後ならば、神頼みもありではないかと思っているよ」 「そこが暁彦さんらしいですね」 香穂子がくすりと笑うと、吉羅は甘い瞳をスッと細めた。 「香穂子、君も同じように考えているのではないかね?」 「そうですね。私も、自分がやるべきことをしっかりとやった上で神様にお願いをしたいです。それならば助けて下さるような気がしますから」 「…そうだね…。神頼みは、気持ちを軽くしたり、背中を推してくれる効果はあるかもしれないからね」 吉羅はそう言うと、茶碗蒸しに手を付けた。 吉羅の口に合うかと思うと、ドキドキしてしまう。 「有り難う」 吉羅はそれだけを言って頷いた。 合格点といったところなのだろう。 香穂子は嬉しくて、つい笑顔になった。 本当にお寿司も美味しくて、かなりの量をぺろりと食べてしまった。 その後は、年の数だけ豆を食べる。 これでお互いに願い事は叶うはずだ。 食事が終わった後、ふたりは片付けを手早くする。 今日は片付けるものが少かったのでかなり楽だった。 「香穂子、節分のお参りに行こう。ここまでげんを担いだから、きちんと最後までやってしまおう」 「はい。賛成です」 吉羅とふたりで手を繋いで、近くの神社へと出かける。 こうしてふたりで手を繋いでお参りするのが幸せ。 「寒くはないかね?」 「大丈夫です。有り難うございます。こうして手を繋いでいたら、平気です。むしろ温かいですから」 「それは良かった」 吉羅は静かに言うと、香穂子により近くに寄り添ってくれた。 とても温かくて心地好い距離だ。 思わず笑みを零してしまう。 「有り難うございます」 こんなにも幸せで満たされた気分だから、きって神様も助けてくれる。 素敵な素晴らしいひとに逢わせてくれてどうも有り難う。 これからはもっと頑張って、更に素晴らしい幸せをこの手に掴めるように頑張ろう。 香穂子は、吉羅とふたりでお参りをして、願い事と感謝を伝える。 帰り際、吉羅は夜空を見上げながら呟いた。 「私たちの願いはきっと叶うだろうね」 「私もそう思います」 ふたりの言葉に返事をするかのように、星が煌めいてくれた。
|