*点灯式*


 学院近くの教会には、“エバーグリーン”と呼ばれるもみの樹がある。
 クリスマスの頃には厳かに点灯がされて、ツリーの下でキスをすれば、そのカップルは永遠に結ばれて幸せになれるという。
 何処にでもある伝説。
 だがとてもロマンティック。
 香穂子も大好きで堪らない年上のあのひとと、クリスマスツリーの前でキスをしてみたいけれど、きっとそれは叶わない。
 第一、このような伝説は本気にしないタイプだし、何よりも忙しいひとだから、ツリーが点灯している間に、 教会に来ることだって出来ない。
 香穂子はツリーの下でいつか吉羅とキスが出来ればと夢を見ながら、教会に行く準備を始めた。
 今日は教会のクリスマスツリーの点灯式で、香穂子は演奏するために呼ばれている。
 吉羅を初めて見た思い出の教会。
 香穂子の大好きなひとのお姉さんが眠る教会でもある。

 香穂子がヴァイオリンを片手に正門前を歩いていると、吉羅が視界に入ってきた。
「理事長、さようなら」
 挨拶をすると、吉羅が立ち止まる。
「日野君、今日は急いでいるようだが、何かあるのかね」
 瞳は、“今日の放課後の演奏会はないのかね”と、囁いているような気がする。
「今日は教会でクリスマスツリーの点灯式があるので、その演奏に呼ばれているんです。土浦くんたちは先に行ったんですけれど、私は日直の仕事が残っていて」
「…そういえば、教会から点灯式の案内が来ていたような気がするよ」
「点灯式は5時半からなんです。宜しければ、理事長も来て下さい」
 香穂子は心臓を高鳴らせながら吉羅を誘ってみる。
 もし吉羅が来てくれたのなら、クリスマスツリーの下でキスが出来るかもしれない。
 香穂子の大好きなひととのキスが。
「…終了予定は何時かね?」
「7時です」
「…そうか。出来たら行きたいが、なにぶん仕事があるものでね」
「間に合えば来て下さい! 私、理事長と、そ、その、あのっ! とにかく、待っていますからっ!」
 香穂子は、クリスマスツリーの下でキスをしたいだなんて言えなくて、顔を真っ赤にしたまま言う。
吉羅はフッと柔らかく笑うと、香穂子を穏やかに見つめた。
「…出来るだけ善処をしよう」
「…はい」
 香穂子は頭を深々と下げると、「そろそろ時間なので、失礼しますね」と吉羅に言って、歩き始めた。
「気をつけたまえ」
「はい」
 香穂子は満面の笑顔を向けると、吉羅に手を振りながら学院を出た。
 教会に着くと、既に他のメンバーは準備を終えている。
「直ぐに準備をするね!」
「ああ、ごくろうさん」
 香穂子は慌てて着替えた後、うっすらと化粧をする。
 特に唇は念入りにする。
 リップグロスを薄く縫って、唇を艶やかに目立たせる。
 吉羅とのキスを夢見て、つい力を入れてしまう。
 吉羅は来てくれるのだろうか。
 ギリギリでも良いから来て欲しい。
 あのクリスマスツリーの下でキスをして、永遠を誓いたかった。

 クリスマスツリーの点灯式は厳かな雰囲気で始まる。
 香穂子たちは、シューベルトの“アヴェ・マリア”を一曲目に選び、演奏する。
 点灯式にはぴったりな曲だ。
 ロマンティックと何処か清らかな雰囲気が同居する曲を演奏後は、幾つかのクリスマスキャロルを演奏した。
 “主よ人の望みの喜びよ”が演奏し終わる頃には、会場の雰囲気は荘厳で、こころが澄んでいくような清冽な空間になる。
 吉羅の姿を探すが、何処にも見当たらない。
 きっと仕事がかなり忙しいのだろう。仕方がない。理事長の重責を抱えているのだから。
 香穂子はしょうがないと思いながらも、どこか落胆を隠せないでいた。
 演奏会が終わると、いよいよ神父によるミサが執行われる。
 香穂子たちも神妙な顔をして、ミサを聴いた。
 有り難い聖書の言葉を聞きながらも、香穂子の視線は、ずっと吉羅を探している。
 どんなに探しても、あの艶やかな男性は見つからない。
 仕事だからしょうがない。
 だが来て欲しい。
 香穂子はじっと祈っていた。

 いよいよツリー前に集まり、クリスマスツリーがライトアップされる。
 周りには恋人たちが多くて、香穂子はほんの少しだけ羨しく思った。
 いよいよ神父によって、照明のスイッチボタンが押される。
 その瞬間、クリスマスツリーは、厳かなブルーの光に彩られた。
 点灯した瞬間、大きな歓声が上がり、ツリーの下でキスをするカップルが少なくない。
 冬海などはその光景を見るなり、真っ赤になってしまっていた。
 香穂子も吉羅とキスをしたいと思いながら、何処か切ない気分になる。
 間に合わなかったのだ。
 何処を探しても、吉羅はいない。
 キスをしたり、ツリーのライトアップを楽しんだりした後、誰もが早々と夕食などに行ってしまう。
 瞬く間に香穂子たちだけになってしまった。
「日野! 何時までもそこにいても風邪を引くだけだぜ? 終わったから、早く帰ろうぜ!」
「うん、解っているよ」
 香穂子は土浦に返事をした後、白い息を吐きながら、美しく輝くクリスマスツリーを見上げる。
 点灯する瞬間を吉羅と一緒に見たかった。
 吉羅にクリスマスキャロルの演奏を聴いて貰いたかった。
 香穂子は自分のしつこさに苦笑いしながら、時計を見る。
 もう7時半だ。
 流石にこの時間では、吉羅は来ないだろう。
 何てしつこいと思いながら香穂子が落胆し、ツリーに背を向けた時だった。
「香穂子」
 名前を呼ばれて、香穂子は素早く振り返る。
 そこには吉羅が立っていた。
 いつもよりもほんの少しだけ髪を乱している。
「吉羅さん…」
「点灯式は終わってしまったようだが…、君に逢うのは間に合ったようだね」
 吉羅はゆっくりと香穂子に近付いてくる。
 香穂子に逢うために、恐らくはかなりのペースで仕事を頑張ってくれたのだろう。
「…来て下さって有り難うございます」
 半分涙ぐんでいると、不意に背後から抱き締められる。
「こんな格好ばかりをしていると風邪を引く」
 吉羅は香穂子の全身を温めるように強く抱き締めてくれた。
「…有り難うございます…。とっても温かいです…」
 香穂子はクリスマスツリーを見つめながら、うっとりと吉羅に躰を預ける。
「…香穂子…、私もだてにこの教会に子どもの頃から通っているわけではないからね。ここのクリスマスツリーに纏わる伝説は知っているよ。だから、急いで来た…」
 吉羅は、香穂子の滑らかな躰を抱き締めてくる。
「有り難うございます。凄く、嬉しいです」
 吉羅は香穂子の手を取ると、そっとクリスマスツリーのしたので向かった。
「伝説は、昔、姉に聞いたことがある。だから君が真っ赤になった時は、直ぐに何を求めているのかが解ったよ」
 吉羅はフッと笑うと、香穂子の手を引いて、クリスマスツリーの下に立った。
 ふたりは見つめ合う。
 吉羅の大きな手は、香穂子の頬を包み込むと、ゆっくりと唇が近付いてきた。
 唇がごく自然に重なる。
 吉羅は膝を屈めてくれ、香穂子は精一杯背伸びをしてキスをする。
 このひとと永遠に結ばれますように。
 そう願いを込めて。
 唇が離れた後、吉羅は香穂子の頬を撫でる。
「冷たいね。躰は冷やさないようにしたまえ」
「はい」
「まあ私が温めてあげれば、問題はないけれどね」
 吉羅は香穂子を抱き締めると、額にキスをくれた。
「香穂子、食事に行かないか? 良い店があるんだ」
「はい、喜んで」
 香穂子が微笑んで頷くと、吉羅はコートを肩に掛けてくれる。
 香穂子は吉羅の温もりに酔い痴れながら、ツリーをもう一度見上げた。
 クリスマスツリーの伝説はきっと叶う。



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