ハロウィンほど、吉羅暁彦に似合わない行事はないと思う。 学院前の洋菓子店でパッケージが可愛い焼菓子セットがあり、ちょっとしたプレゼントにと、香穂子は買い求めた。 吉羅は余り甘いものを食べない。食べると言えば、高級ショコラティエのビターチョコレートをほんの少しだけ。それも酒のつまみ程度にだ。 パッケージが余りに可愛くて、吉羅とアンバランスを感じたから、香穂子はいたずら心で購入したのだ。 今日も六時ギリギリ前に理事長室に行き、“上達報告”という名の演奏をする。 香穂子がヴァイオリンを奏で終わると、吉羅は厳しい表情のままで拍手をしてくれた。 「悪くはないが…まだまだだ。もっと練習に励みたまえ」 吉羅のヴァイオリンを聴く耳は誰よりも鋭くて厳しい。絶賛なんてことを香穂子も期待してはいないから、ただ素直に頷いた。 「聴いて下さって有り難うございます」 「私こそ、良い癒しになったよ」 吉羅は薄く笑うと、香穂子を優しい瞳で見つめてくれた。 甘い瞳に、香穂子はうっとりとしながら、花のような笑顔を浮かべた。 「理事長、トリック・オア・トリート」 香穂子はとっておきのものを差し出すように、焼菓子セットを差し出す。パッケージに描かれたカボチャ大王が、ムスッとしている時の吉羅に似ているような気がして、買ったのだ。 吉羅はいつもと同じように不機嫌な顔をしながら、マジマジとパッケージを見つめる。 「…これは私と言いたいのかね?」 吉羅は机の上に大切に飾っているチェシャ猫の置物と、パッケージに描かれたカボチャ大王を見比べている。 確かにふたつとも機嫌がすこぶる悪い時の吉羅にそっくりだった。 香穂子が笑いを噛み殺しながら吉羅の様子を眺めていると、不意に不機嫌そうに立ち上がった。 「日野君、着いてくるんだ」 吉羅は自分の鞄を手に取ると同時に、香穂子の腕を束縛をする。 怒らせてしまったのだろうか。 香穂子は半分泣きそうになりながら、吉羅の態度に怯えてしまう。 「り、理事長っ! 鞄とヴァイオリンケースを取らせて下さいっ!」 「直ぐに取りなさい。私を余り待たせないように」 吉羅の冷たくも事務的な声に焦りながら、香穂子は鞄とヴァイオリンケースを慌てて手に取った。 「お、お待たせ致しましたっ!」 香穂子の声にも、吉羅はしらっとしている。 本当にこころから怒らせてしまったのかと、香穂子は肩を落とすしかなかった。 理事長室を出ると、流石にひとの目があるからか、吉羅は香穂子と少し距離を置いて歩く。 早足で歩く様子を見ていると、完全に怒らせてしまったと思わずにはいられなかった。 職員用駐車場まで連れて行かれ、吉羅は無造作にフェラーリの助手席ドアを開く。 「乗りたまえ」 「はい」 いつもならこんな事で怒ることはないのに、今日はどうしてこんなにも不機嫌なのだろうか。 香穂子が溜め息を吐いていると、吉羅は車を静かに出した。 学院を出て、大通りに出ても、吉羅の不機嫌は直らない。 香穂子は何度目になるか解らない溜め息を吐く。 いつもなら運転する吉羅の横顔を見るのは大好きなのだが、今日に限っては見たくて見られなかった。 車内で無言のまま、車は有名ホテルの駐車場へと入っていく。 ホテルになんてどのような用なのだろうか。 吉羅流の“おしおき”を思い出してしまい、香穂子の躰は甘く震えた。以前、軽々しく学院の男子生徒と話をして、たっぷりとお仕置きをされたことがある。あの時は、ベッドから起きあがることが出来ないほどに、抱かれてしまった。 車が停まると、吉羅は香穂子に降りるように促す。 香穂子が車から降りると、吉羅は静かにその手を取ってくれた。 吉羅は無言のままで、香穂子の手を引いて、ホテルのロビーにある受付のようなところに向かう。 「予約していた吉羅ですが」 「お待ちしておりました。それでは衣装にお着替え下さい」 「はい」 「い、衣装、ですかっ!?」 「良いから着替えさせて貰っておいで」 吉羅が優しいリズムで呟くものだから、香穂子は頷くことしか出来ない。 「わ、解りました」 香穂子は訳が解らないままで、係員の誘導に従った。 「凄く綺麗です!」 香穂子のために用意されていたのは、清楚で可憐な白いドレスだった。 「“オペラ座の怪人”のクリスティーヌをリクエストして頂いたので、こちらになりますね。軽いヘアメイクはついていますからね」 「あ、有り難うございます」 吉羅が連れて来てくれたのはハロウィン仮装企画のようだった。事前に用意をしてくれていたのだろう。嬉しくてしょうがない。 香穂子はこころが温かくなり、先程までの重たく切ない気持ちは一気に吹き飛んでしまった。 ドレスアップをした後、香穂子がロビーを出ると、クラシックな黒いフォーマルスーツとマントに身を包んだ吉羅がいた。 前を通る女性の誰もが、うっとりと溜め息を吐いている。 本当に素晴らしくて、香穂子も魅入られてしまった。 長身を包んだクラシカルなスーツは、吉羅の為に仕立てられたのではないかと思うほどに似合っている。まるでモノクロームの映画を見ているかのようだ。 余りにうっとりと見つめ過ぎて、香穂子はここが何処なのかが、一瞬解らなくなってしまっていた。 「…香穂子…」 うっとりとするような低い声で名前を呼ばれると、全身が温かく潤んでくる。 吉羅は紳士らしく手を差し延べてくれた。 「行こうか」 「はい」 吉羅の手を取ると、ふたりでステップをするように優雅に歩いていく。 「…これが私の“トリック・オア・トリート”だよ。君にバレないようにするのに、困ったよ。冷たくするにも、つい笑ってしまいそうになってね…」 「だったら、さっき怒ったのはわざとですか?」 「勿論、わざとだよ」 吉羅は微笑みながら、香穂子を熱い瞳で見つめた。 「…クリスティーヌは君に似合うと思ってね…。供に音楽の神様に祝福されている。だが、私はこれが限界かな。やはり難しいね、仮装というのは」 吉羅が照れ臭そうに笑うので、香穂子もくすりと笑う。 「しかし似合っているね」 「有り難うございます。吉羅さんこそ似合っていますよ? だってさっきも綺麗な女のひとが、沢山吉羅さんを見つめていましたから」 香穂子は「自慢したくなると同時に、妬けちゃいます」とくすりと笑うと、不意に吉羅に柱の陰にさらわれた。 「あ、吉羅さんっ!?」 「君は何も解ってないね。綺麗な君に、先程から男たちが不躾な視線を送っているのをね」 吉羅はあからさまに独占慾のある視線を向けると、香穂子を抱き寄せてくる。 「…あっ…! んっ…!」 首筋に乱暴にも唇を押しつけられて、香穂子は躰を震わせる。痕がつくほどに強く吸い上げられてしまった。 首筋から唇を外す吉羅と目が合う。 独占慾煌めく暗い瞳に、香穂子の背筋が快楽に震える。 「痕をつけておけば、君にちょっかいを出すように見るものもいないだろう?」 「…吉羅さんのバカ…」 「さあ、行こうか。食事はふたりで楽しもうか」 「はい」 香穂子はニッコリと笑うと、吉羅の腕を取った。 食事はハロウィン用のスペシャルメニューで、パンプキンスープやパンプキンパイが出てきて、美味しかった。 食事が終わると、夢の時間が消えてしまいそうな気がして、香穂子はしょんぼりとしてしまう。ドレスを脱げば、砂糖菓子のような時間が終わるのだ。 吉羅にエスコートされながらレストランを出る頃には、表情までしょんぼりとしてきた。 「私のいたずらは終わりだよ。これからはとっておきのご褒美が欲しい」 吉羅は香穂子の腰を引き寄せると、逆らえないような笑みを浮かべる。 「…部屋を取ってある。私にご褒美をくれないかな?」 吉羅の言葉に香穂子はそっと頷くと、微笑んで寄り添った。 お互いにとっておきの時間が始まる。 |