ヴァレンタインデーは、恋する女の子にとっては、大切で大切でしょうがない日。 これほど命を懸けるイベントは他にないのではないかと、香穂子は思う。 もちろん、香穂子の想いの入れようは半端がない。 大好きなひとはかなり年上で大人の人だから、とにかく頑張るしかないのだ。 気合いを入れるしかない。 子供だと思われたくない。 ひとりの女として考えてもらいたい。 大人の女性としてアピールしたい。 そのためにも、ヴァレンタインデーはチャンスなのだ。 香穂子は、吉羅にひとりの女性として見てもらいたくて、思いきり背伸びをする。 吉羅には、対等の関係で見て貰いたかった。 香穂子は、手作りにするか、市販の高級チョコレートにするかを、迷いに迷っていた。 手作りチョコレートだと、いかにも女子力をアピール出来るかもしれないが、重いかもしれないし、女子高生の延長だと取られるかもしれない。 それは、それで、痛い。 高級チョコレートは、いかにも大人女子がプレゼントしそうで、洗練されていて素敵かもしれないが、いかんせん個性はない。 どちらも一長一短で、香穂子は、考えれば、考えるほどに、訳が分からなくなった。 吉羅にはどちらがベストなのか、香穂子にはさっぱり分からなかった。 香穂子は、横浜駅前まで出て、チョコレートの材料と高級チョコレートとを見比べることにした。 なかなかどちらちするかの判断が出来ない。 難しくて、香穂子は、何度となくチョコレート売り場を回った。 「あれ、香穂じゃん!」 聞き慣れた声に振り返ると、天羽が楽しそうにニヤニヤと笑いながら、立っていた。 「菜美」 「そうか、あの大人気ない大人に、チョコレートを贈ろうとしているんだ」 天羽はからかうように言うと、更にニヤニヤと笑う。 「手作りか高級チョコレートを買って贈るか、迷っているんだ」 香穂子は、ため息を吐きながら言ってしまう。天羽ならば、ベストなアドバイスをしてくれるかもしれない、 「そりゃ、手作りでしょ!」 天羽はいつもの調子で、力強く押してくる。 天羽にここまで言われると、香穂子は、そうじゃないかと思わずにはいられない。 「やっぱりそうかな……」 「そうに決まっているでしょ。だって、あなた一筋になってしまった吉羅暁彦なのよ。あの吉羅暁彦を夢中にさせてしまうのも凄いけれど、本当にあなた以外、目に入らないんだろうね。吉羅理事長って、香穂に夢中すぎるんだよね。だから、手作り!」 「じゃあ、そうする」 「うん!そうしな」 天羽の勢いに押されて、香穂子は、手作りを選択する。 吉羅が喜んでくれるのなら、そうしたいと思った。 「完全に片想い決定なら、手作りは重いけれどさ、香穂のところみたいに、相手が夢中になり過ぎてどうしようもないところなら、むしろ、手作り万歳なんじゃない?」 「うん、頑張るよ」 手作りは女の子の夢が詰まっている。ならば、やるしかない。 香穂子は、手作り出来るように、様々な材料を買って帰ることにした。 吉羅ならば、洋酒を効かせたチョコレートケーキが良いだろう。香穂子は、チョコレートケーキの材料を買い込み、気合いを入れて作ることにした。 いよいよヴァレンタインデー前日。 今日だけは、ほんの少し練習をサボっても、ヴァイオリンの神さまは許してくれるだろう。 香穂子は、いつもより少し早く練習を切り上げ、チョコレートケーキを作ることにした。 甘い香りにうっとりとしながら、香穂子はチョコレートを作る。 あまい、あまい、チョコレート。 それに、コーヒーと相性がよいように、リキュールに漬けておいたドライフルーツを生地に練り込んでゆく。 チョコレートの香りのするケーキを作っていった。 香穂子にとっては、最高に甘い創作物だ。 ガスオーブンに入れて、後は焼くだけだ。 待っている間、香穂子はヴァイオリンの練習をする。 ヴァイオリンを弾いて聴かせると、胎教ではないが、より良いチョコレートケーキを作ることが出来るのではないかと、香穂子は思った。 ヴァイオリンはふたりを結びつけてくれた大切なものだから、香穂子はそこに甘い想いを深く込めた。 ケーキが焼き上がり、そこにチョコレートでコーティングをして、固めたら完成だ。 香穂子は完成したチョコレートケーキを見つめ、幸せな気持ちになる。 吉羅が喜んでくれますように。 ただそれだけを祈った。 綺麗にラッピングをして、香穂子はチョコレートケーキを持って、学院に向かう。 吉羅に渡せる。 それだけでスキップしたくなるぐらいに嬉しくなった。 大学の授業を終えて、香穂子は高校側にある理事長室へと向かった。 今日はヴァレンタインだからかなり緊張してしまう。 理事長室をノックすると、息が出来なくなるぐらいに、緊張した。 「理事長、日野です」 「入りたまえ」 「はい、失礼します」 吉羅の声に導かれて、香穂子は部屋に入った。 吉羅は、相変わらず、かなりの量の仕事をこなしているようだ。 疲れているのは、肌の雰囲気で解った。 「理事長、どうぞ」 どんな言葉で飾っても同じような気がして、香穂子はただ、箱を差し出す。 「何だね、これは?」 吉羅は何なのかが全く解ってはいないようだった。 「チョコレートケーキです。ヴァレンタインですから」 「ヴァレンタイン……。そうか、もうそのような時間なのだね」 吉羅はすっかりヴァレンタインデーのことなど忘れていたようだ。恐らくは、それだけ仕事に熱中しているということなのだろう。 「有り難う、頂くよ」 「リキュールが入っているケーキなので、念のため車の運転は避けて頂いたほうが無難だと思います」 「なるほど」 吉羅は頷くと、フッとチョコレートよりも甘い笑みを浮かべた。 「君にコーヒーを淹れて貰って、一緒に食べたいと 思っていたから、今日は私の家に来て貰わなければならないね」 「え?」 吉羅の官能的な物言いに、香穂子はドキリとする。 「ご存じのように、私は車だからね。君を家に連れ込んで、泊まらせるしかないね……。だから、うちに来なさい」 吉羅は香穂子の手をしっかりと握り締める。 そのまま香穂子を引き寄せると、抱き締めて、蕩けてしまうほどの甘いキスをしてきた。 「……今夜は離す気はさらさらないからね?覚悟をしておきたまえ」 今夜はチョコレートケーキよりも濃厚で甘い夜になりそうだった。 |