*デザートよりも甘く*


 吉羅と付き合い始めてから、以前に比べて余裕がないように思う。
 以前ならば、こんなにも不安になったり、切なくなったりすることはなかった。
 逢えないだけで、胸が痛くて苦しくてなり、いつも吉羅のことばかりを考えてしまう。
 なるべく他のことをして気を紛らわせようとはしているが、やはり常に吉羅のことを考えてしまっている。
 いけないと思いながらも、そうせずにはいられなかった。
 いつも自分のことを考えて欲しいだなんて我が儘を、常に考えてしまう。
 付き合っていない頃は、土曜日に逢う事だけでも嬉しかったのに。
 付き合い始めた途端に、贅沢な悩みが取って代わってしまった。
 香穂子は溜め息を吐くと、じっと空を眺めていた。
 吉羅が歩いているのが見える。
 大学に来るのはかなり珍しい。
 会議があるのだろう。
 その証拠に、学長とかなり真剣な顔をして話している。
 きっとこの瞬間、香穂子の事などは忘れてしまっているだろう。
 吉羅の頭の中には、学院の再建しかないだろう。
 香穂子はそれを寂しく感じながら、また溜め息を吐いた。
 吉羅にいつも想われていたい。
 それは我が儘な感情なのだろうか。
 想いが通じたら、更にその上を求めてしまうなんて、なんて勝手な感情なのだろうかと、香穂子は思った。
 吉羅が幸せであれば、幸せなはずなのに。
 そんなことを忘れていた。
 求めてばかりいて、与えていないような気すらする。
 そんなことを想いながら、香穂子は溜め息を吐いた。

 会議が終わり、何気なく防音教室の廊下側の窓を見つめる。
 香穂子がヴァイオリンを弾いている姿を見て、吉羅は温かな陽射しに包まれた気分になると同時に、不安になる。
 この瞬間、香穂子は自分のことを忘れ去ってしまっているのではないかと思ってしまう。
 ただヴァイオリンの事だけを考えて演奏しているように見える。
 それが切ない。
 自分以外に夢中になるものを持ってくれているのは良いことだと思いながらも、何処か割り切ることが出来ない自分がいる。
 吉羅は複雑な想いに苦しめられていた。
 香穂子に自分を片時も忘れて欲しくないなんて、なんて勝手な矛盾した感情なのだろうかと思った。
「…私は全く何を考えているんだろうね」
 吉羅はひとりごちると、溜め息を吐く。
 香穂子に恋心を抱いている男は多くて、吉羅は大変苦労したのだ。
 男達の“香穂子争奪戦”があったことを、当人は全く知らないようだ。それがかなりの激戦であったことも。
 吉羅は苦笑いを浮かべると、香穂子に一瞥を投げた。
 このままずっと香穂子を見ていたいが次の仕事もあるせいで、そうはいかない。
 吉羅は足早に大学を出て、高校に戻った。
 香穂子を堂々とそばに置いておければ良いのに、そうはいかない。
 それが辛いところだ。
 吉羅は香穂子のことを想いながら、仕事へと没頭していった。

 授業で疲れ果ててしまい甘いものが食べたくて、香穂子は老舗レストランのカフェへと向かった。
 夕方のせいかすんなりと座ることが出来、香穂子はひとりで腰をかけて、のんびりとすることにした。
 最近、吉羅とはデートらしいデートすらしていない。
 逢える時間があってもごく僅かで、寂しい。
 甘いケーキと美味しい紅茶を飲んで、気分転換をするしかないなんて、なんて切ないのだろうと思った。
 このカフェは吉羅と待ち合わせをする時によく使う。
 吉羅は紅茶かコーヒーしか飲まず、甘いものはたまにしか食べない。
 注文したのは、大好きなフォンダンフロマージュとオリジナルティー。ミルクティーが好きなので、勿論、ミルクにした。
 フォンダンフロマージュなら吉羅も食べる。
 それが来るなり、香穂子は吉羅を思い出してしまい、少しだけ切なくなった。
「…暁彦さん、まだお仕事しているのかな…」
 香穂子は溜め息を吐くと、まるでやけになるようにケーキを一口食べた。

 仕事が思いの他早く終わり、吉羅は香穂子を呼び出そうとした。
 逢いたい。
 逢いたくてしょうがない。
 このまま六本木の自宅に連れていって、朝まで抱き締めたくなる。
 吉羅は香穂子に電話を掛けたが、圏外なのか繋がらなかった。
 家にいるならば圏外にはならないはずだ。
 電話に乗っているかもしれない。
 だが何度か電話をしたが繋がらない。
 何処に行ったのか。
 どうして繋がらないのか。
 そんなことを悶々と考えていると、行きつけのカフェの前に来た。
 ふと吸い寄せられるように、カフェに続く階段を上がる。
 このカフェはエアポケットのように、奥に座ると、携帯が圏外になることがあるのだ。
 ひょっとして、香穂子はこのカフェにいるのかもしれない。
 吉羅はカフェの中に入ると、ハッと息を呑んだ。
 香穂子だ。
 ふたりのお気に入りであるフォンダンフロマージュと、オリジナルティーをミルクティーにして飲んでいる。
 吉羅は嬉しくてフッと微笑むと、ゆっくりと香穂子に近付いていった。

 官能的な幸せの香りがして香穂子は顔を上げた。
 視界に入った姿に息を呑む。
 そこには吉羅の姿があった。
 逢いたいと、一緒にいたいとずっと思っていたから、泣きそうになるぐらいに嬉しい。
「…暁彦さん…」
 香穂子が愛の滲んだ声で呟くと、吉羅は眩しそうに微笑んでくれた。
「…携帯が圏外だったから、ここにいると思ってね。正解だったようだね…」
「はい」
 吉羅は空いていた香穂子の向かい側に腰を下ろすと、同じオリジナルティーを注文した。勿論、吉羅の 場合はストレートだ。
「ケーキは良いんですか?」
「…じゃあ、君はこの次に食べるとしたら何が良いかね?」
「定番の元町ロールを」
「じゃあそれにしよう」
 吉羅はキッパリと言うと、注文を通してくれた。
「暁彦さんの好きなフォンダンフロマージュがありますよ。食べませんか?」
 香穂子の言葉に、吉羅は頷いた。

 食べ物を、しかもケーキをシェアするなんて、今までなら考えられないことだった。
 だが、香穂子が相手ならばそれも出来るのだ。
 ふたりでシェアをして食べる。
 それは、甘い愛情をシェアするのに似ていてとても心地が良かった。
 吉羅が注文した元町ロールも直ぐに届き、ふたりはケーキをシェアして食べた。
 こうしてふたりで笑い合ってそばにいられるだけで幸せだ。
 吉羅はつくづく思った。
「香穂子、時間はあるかね? 六本木までドライブをして、食事をした後、私のところに来ないか?」
 吉羅が甘酸っぱい良いんに浸りながら呟くと、香穂子は幸せそうなはにかみを浮かべた。
「…はい。有り難うございます…。嬉しいです。勿論、ご一緒させて下さい」
 香穂子の言葉に、吉羅はその手を握り締めた。
「…朝まで一緒にいよう」
「はい」
 吉羅の言葉に、香穂子はしっかりと頷いた。

 ケーキを食べ終えた後、ふたりは六本木へと向かう。
 こうしてふたりで一緒にいる時には、不安なんて全く感じない。
 何もマイナスなことは考えないし、考えられない。
 愛する相手がそばにいないから不安になるのかもしれない。
 香穂子はそう思いながら、吉羅に甘えるようにもたれかかった。
 ふたりで共にいるだけで、こころの空洞を埋めてくれるのが解った。
 だから不安になるのだ。
「…香穂子、朝までだけではなく、近い将来にずっとそばにいたいものだね」
「はい」
 近い将来。
 それはほんとうに近い近い将来であることを感じていた。


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