いつも不安に見せないようにするために、年下の恋人の前で、吉羅はあえてクールに振る舞ってしまう。 それが恋人をほんのりと切なくさせるのは解っている。 だが、吉羅にとっては、不安を見せないための唯一の手段のように思えた。 年下の美しい恋人が、いつかいなくなるのではないかという不安が、常に付き纏う。 今まで誰かに対して、ここまで不安になったことはない。 それほどまでに年下の恋人に溺れて、夢中になってしまっているのだ。 あれ程までに吉羅を夢中にさせる女性はいないのだから。 影ではかなりの争奪戦があったことを、恋人は知らない。 そんな中で自分を選んでくれたことがどれほど嬉しかったか、恋人は知らないだろう。 それどころか、自分が選ばれて嬉しいと思っている節がある。 本当は真逆であることを、誰よりも吉羅が一番解っているのだ。 それゆえに、吉羅はいつも不安を感じずにはいられない。 香穂子にもつい冷たい態度を取ってしまうのはそこにあるのだ。 今日は香穂子と久し振りに過ごすことが出来る。 外に出てデートも良いが、自宅でのんびりとするのが、吉羅には何よりも幸せなひとときだった。 香穂子が傍らにいる。 それだけで幸せだ。 今日は、吉羅の自宅でゆっくりとすることにしている。 外に出るといっても、家の周りぐらいだ。 手を繋いで、ただ話をしながら散歩をする。 それだけで楽しい。 今日もふたりで散歩をしながら、散策をする。 散策をするには良い季節になったからだ。 堂々と手を繋いで、ゆっくりと歩く。 「こうしているだけで本当に嬉しくて、幸せです。やっぱり良いですね、春は」 「そうだね」 春の陽射しのように明るく微笑む香穂子が、本当に可愛い。 このまま抱き締めてしまいたくなる。 どれほど吉羅が香穂子に溺れているかを、本人は知らないだろう。 「明日の夜まで暁彦さんと一緒にいられるのが、本当に嬉しいんです。最近、ずっと一緒にいられなかったから…」 香穂子がほんのりと切なそうにするのが、吉羅にはとても綺麗に見えた。 「桜ももうすぐ終わりですね。これからは新緑の季節ですね。何だか、こういう季節には清々しい曲が弾きたくなります。今夜でも弾きますね? 暁彦さんの家はヴァイオリンを心置きなく弾けるから、嬉しいんです」 「楽しみにしていよう」 吉羅はフッと微笑むと、香穂子を見つめた。 夕飯は、ふたりでスーパーで買い物をしてから、一緒に作ることにする。 春らしい菜の花とホタテを使ったパスタに、鱸のポワレ、イベリコ豚の生ハムを使ったサラダ、そして豆乳スープだ。 分担を決めて料理をするのだが、殆どの料理を吉羅が作る。 ヴァイオリニストである香穂子の指先に怪我をさせない為の吉羅の配慮だ。 香穂子には、なるべく負担をかけたくはなかった。 「もっと手伝わせて下さいね。暁彦さんにいつも作らせてばかりで恐縮してしまいます」 「構わないよ。たまのことだからね」 吉羅はなるべく香穂子が負担がかからない、野菜をちぎったり、簡単に豆乳スープを作ったりするところを手伝って貰う。 「なるべく本当にさせて下さいね」 「君は充分に手伝ってくれているよ」 「暁彦さん、私に甘やかせ過ぎです」 香穂子が苦笑いを浮かべたが、吉羅はそれ以上のことは何もさせない。 これからもそのつもりだ。 食事を作り終えて、ふたりで食べる。 「外で食べに行くのも良いんですが、それよりも、こうして家でふたりして食事をするのが嬉しいです」 「そうだね。私もふたりでゆっくりとするのが好きだよ」 「はい」 香穂子が笑顔で言えば、吉羅もまた笑顔になる。 世界で一番吉羅を笑顔にするのは香穂子の笑顔だと思った。 食事の後、吉羅は香穂子に膝枕をして貰う。 こうしてうとうととすることが出来るのも、家で食事をする醍醐味だと、吉羅は思う。 「…香穂子…、いつもすまない。脚が痺れるだろう?」 「いいえ大丈夫ですよ。暁彦さんにはいつも素敵なものを沢山頂いていますから、これぐらいしかお返しは出来ませんし…。それに…こうして膝枕をするのも好きですから。勿論、暁彦さん限定ですけれどね」 「そうでなければ困るよ」 吉羅は苦笑いを浮かべると、フッと目を閉じた。 なんて満ち足りた時間なのだろうかと吉羅は思う。 これからもずっとこのような時間が持てたらと、吉羅は思わずにはいられなかった。 香穂子の柔らかい指先が、そっと髪を梳いてくれる。 とても気持ちが良い。 本当に、香穂子と過ごす時間はスペシャルなものだと、思わずにはいられない。 こうして誰かに無防備になるなんてことは、今までなかった。 吉羅は、香穂子になら総てを預けることが出来ると思う。 総てをさらけ出せる唯一の相手なのだ。 離したい筈がない。 香穂子がいなくなれば、もう他に誰も愛せなくなってしまうだろう。 吉羅にとっては、それほどまでに大切な愛だ。 安心しながらゆっくりと目を閉じる。 香穂子の優しいまなざしと温もりに癒されながら、吉羅はしばし、疲労の蓄積された躰を預けた。 長く眠っていたのかもしれない。 だが、目を開けて時計を見ると、三十分ほどしか眠っていないことに気が付いた。 随分と深く長く眠っていたように思えるぐらいに、気分はスッキリとしている。 「…有り難う…」 吉羅が躰を起こすと、香穂子はにっこりと微笑む。 「疲れは少しは取れましたか?」 「ああ、随分とね。君は脚が痺れてはないかね?」 「はい」 香穂子はにっこりと微笑むと、立ち上がって見せた。 「ヴァイオリンをお聴かせしますね」 「ああ」 香穂子はケースからヴァイオリンを取り出すと、直ぐに構える。 吉羅は、ヴァイオリンを構える香穂子が愛しくてしょうがない。 ヴァイオリンを奏でる姿は、吉羅にとっては女神のように見えた。 新緑の季節に相応しい曲を奏でた後で、香穂子は微笑む。 「こうして暁彦さんにヴァイオリンを聴いて貰うのが一番嬉しいです。あなたが私には一番の観客ですから…。今までもこれからも…」 香穂子の言葉に、吉羅はそうありたいと思う。 ずっと香穂子の一番のファンで、一番の理解者でいたいと思う。 それにはいつまでも捕まえておきたいと思う。 捕まえておく方法。 それはとても簡単で情熱的な方法だ。 幸せでいられるのは間違ない。 「…香穂子…」 吉羅は香穂子の手をギュッと握り締める。 「…暁彦さん…?」 いつもよりも思い詰めた表情でつい見つめると、香穂子は小首を傾げて瞳の奥を見つめてくる。 「…なんでしょうか…?」 いずれは香穂子を妻にしようと思ってはいた。 捕まえておかなければ、誰にさらわれるかが解らない存在だ。 だから。 もう早めに捕まえてしまえば良い。 幸せな気分で一生いられるのは間違ないから。 「…香穂子…、いきなりかもしれないが…、今すぐでも…、結婚しないか…?」 吉羅が懇願するように言うと、香穂子は一瞬、驚いたような表情をしたが、直ぐに今にも泣きそうなぐらいに幸せそうな表情になる。 僅か一瞬の表情の変化だというのに、永遠のように永く感じられた。 「…はい…!」 香穂子の力強い返事に、吉羅は抱き締める。 捕まえた幸せ。 もう不安にならなくても良い。 吉羅はほわほわとした幸せを噛み締める。 「有り難う…」 香穂子には、これからも至上の愛だけを注ごうと誓った。 |