小さい頃、甘酸っぱい夢があった。 それは、山手カトリック教会で愛するひとと結婚式を挙げること。 小さな頃、綺麗な花嫁が最高に輝かしい笑顔で教会から出て来るのを見る度に、憧れだった。 本当にあれほど幸せで輝かしい笑顔は、他にないのではないかと、香穂子は思ったものだ。 この教会で式を挙げたいとずっとずっと思っていた。 奇しくも、憧れの場所で、運命の男性と出会うことになろうとは、香穂子は想像だにしていなかった。 ここであの男性を初めて認識した。 向こうは、香穂子が出た学内コンクールの最終セレクションから、ずっと認識があったと、後から聞かされた。 そのひとと、クリスマスにこの教会で式を挙げる。 なんてロマンティックであるのだろうかと思うのと同時に、これほど幸せなことはないのではないかと思った。 今日は最終リハーサルで教会に訪れている 白いAラインのワンピースを着て、香穂子は静かに教会の入り口に立つ。 父親の腕を組んで、祭壇前で待つ大好きな男性の元まで歩いていく。 係員の注意事項を聞きながら、香穂子はゆっくりと祭壇へと向かった。 愛するひとには、夢を叶えるために沢山の力を貸して貰った。 そして今も、香穂子の幼い頃の夢を、叶えるために尽力してくれている。 愛する吉羅暁彦もまた、姉が眠る教会で式を挙げようと思ってくれていた。 この教会に隣接されている墓地には、香穂子の大好きなひとの姉が眠っているのだ。 だからふたりにとっては特別なものだった。 父親から吉羅に腕を組み替えて、香穂子は祭壇の前に進む。 リハーサルなのに泣きそうになっていた。 神父に着いて、誓いの言葉のリハーサルをしたり、様々な段取りについての説明を受けながらではあったが、胸が痛くなるぐらいに幸せな瞬間だった。 リハーサルが終わった後、両親とはそこで別れて、今度はウェディングパーティを行う予定である霧笛楼へと向かった。 この高級レストランでウェディングパーティをするのも、香穂子の夢だ。 クラシカルな雰囲気が素晴らしいレストランでのウェディングパーティを、ずっと夢見ていたのだ。 それを吉羅が実現してくれたのだ。 今日は最終打ち合わせを、担当者と一緒に行う。 本当にやることが沢山あり過ぎて忙しいが、それでも幸せでしょうがない。 レストランでの打ち合わせが終わった後、香穂子は車に乗り込むと、疲労を感じて思わず溜め息を吐いた。 「疲れたのかね? 今日はいささかハードだったからね」 「だけど幸せな幸せな疲労ですよ。いよいよ結婚式まで後少しなんだなあって思うと、とても幸せなんです」 「…そうだね。何か軽いものでも食べようか?」 「今はうちで少しだけゆっくりとしたいです。カジュアルな食事だったらうちで作れば済む話ですから」 「そうか。じゃあうちに帰ろうか」 「はい」 吉羅は頷くと、自宅がある六本木方面へと車を走らせてくれる。 結婚式前だが、ふたりは三か月前から一緒に暮らしている。 既に香穂子の荷物は総て吉羅の家に置かれていた。 ゆっくりと運転してくれて、快適なままで六本木へと向かった。 「何だかとっても幸せです。沢山の夢を暁彦さんに叶えて貰ったなあって思うと、凄く嬉しいです」 「私も沢山の夢を君には叶えて貰ったよ。有り難う」 吉羅の微笑みに、香穂子は蕩けそうになった。 自宅に着いて、香穂子は直ぐに軽い食事を作る。メニューは具材が沢山あるお茶漬け。 今の気分だった。 何だか口の中が苦い感じがして、香穂子は何度も首を傾げながら、食事をする。 ほんのりと味覚が変わってしまったようなそんな感覚がした。 「香穂子、先ほどからどうしたのかね?」 「あ、うん。大丈夫だと思うんだけど…、ちょっとだけ味の感覚がおかしいんです」 「味の感覚がおかしい? 風邪でも引いているんじゃないかね?」 吉羅は心配そうに眉を寄せると、香穂子の額に手を伸ばした。 「熱はないようだが…、ゆっくりと休んだほうが良いのではないかね」 「…そうですね。少しだけゆっくりとします。余り無理をすると、式の本番に障るかもしれませんから」 「…そうだね。ゆっくり食べたら、直ぐに眠りなさい。そうすればかなり楽になるだろうからね」 「はい」 香穂子はにっこりと笑うと、ゆっくりゆっくりと食事を楽しむことにした。 食事の後片付けは吉羅がしてくれて、香穂子はゆっくりと休むことにした。 ベッドに寝かせて貰い、ゆったりとする。とても心地が良くて、うとうととまどろんでいた。 恐らくは、結婚式の準備がかなり立て込んでいて忙しかったからだろう。疲れが溜まっていたに違いない。 ゆるゆるとまどろんでいると、いつの間にか優しくて安心出来る温もりに、背後から包まれていた。 「…あ…」 目を開けると、吉羅にしっかりと抱き締められていた。 「…暁彦さん…」 愛しい男性の名前を呼ぶと、ゆっくりと目が開けられる。 「…起きたのか?」 「はい」 「気分は…?」 「まだ少し怠いですが大丈夫です…」 香穂子がふんわりと微笑みながら呟くと、吉羅は頷いて抱き締めてくれた。 「余り無理はしない方が良いから」 「…はい…」 どうしてこんなにも躰が気怠いのかが解らない。 香穂子はフッと微笑んで、吉羅の躰に自分の躰を寄せた。 「医者に行かなくても大丈夫かね? それか往診を頼んでも構わないが…」 「明日まで様子をみます。それで気分が改善しなければ病院に行きます」 「そうか…」 吉羅はあくまで心配そうに香穂子を見つめてくれる。 いつもほんの些細な体調不良のことまで気にかけてくれている。それが嬉しくてしょうがなかった。 吉羅は香穂子の額に唇を寄せた後、ベッドから出る。 「夕食も簡単なもので済まそうか」 「暁彦さん、私がやります」 「これぐらいは私がやるよ。君は今日ぐらいは休んでいなさい」 「有り難うございます…」 大好きなひとに料理をして貰うというのは、何だかとっておきのことをして貰っているようで嬉しい。 香穂子はもう少しだけ吉羅に甘えることにした。 翌日もぼんやりとしたところは治まらなくて、香穂子は朝から気怠さを感じていた。 「大丈夫かね?」 「やっぱり今日は病院に行ったほうが良いですね。実家に用がありますから、その近くの病院に行くことにします」 「ああ」 吉羅は香穂子の頬を撫でながら、心配そうに見つめてくれた。 「だったら帰りは実家まで迎えに行こう」 「有り難うございます」 吉羅の心遣いに感謝をしながら、香穂子はにっこりと頷いた。 実家近くの病院に行くと、意外なことが告げられた。 「おめでとうございます。赤ちゃんがいますね。現在、二か月ですね」 「…赤ちゃん…」 香穂子は医師の言葉を反芻しながら、驚いていた。こんなにも嬉しいことは他にないのではないかと思う。 医師から診断を貰った後、香穂子は星奏学院へと向かった。 目的地は理事長室だ。いち早く直接伝えてあげたかった。 香穂子が理事長室に顔を出すと、吉羅は驚いたようにその顔を見た。 「どうしたのかね?」 「あの病院に行ってきましたが…その結果を…」 吉羅は重病だと思ったのか、かなり切ない顔をする。 「大丈夫なのかね!?」 「はい」 香穂子はにっこりと笑うと吉羅の手を取り、自分のお腹に宛てた。 「…赤ちゃんがいるそうです」 香穂子がはにかんで告げると、吉羅は抱き寄せてくる。 「有り難う、香穂子」 吉羅の心からの感謝の言葉に、香穂子は泣きそうになりながら頷いた。 「これから家族として頑張っていこう」 「はい」 ふたりはいつまでも幸せをかみ締めるように抱き合っていた。 |