*恋のワルツ*


 後夜祭でワルツを踊ると、その相手と結ばれるという。
 何処の学校にもあるロマンティックな話。
 女の子が大好きな類のものだ。
「ねぇ、後夜祭のワルツも今年で最後だよね。香穂、誰か一緒に踊りたいひとはいるの?」
「…そうだね…いないかな」
 香穂子は曖昧に答えながら濁してしまう。
 本当はどうしても踊りたいひとはいるが、生憎、踊ることが出来ない。
 何せ理事長なのだから仕方がないのだが。
 学院にいる間は“理事長と生徒”なのだからしょうがないが。
「そうか。香穂なら、コンクール仲間の誰かと一緒に踊るのかなあって思ったんだけれどね」
「あいにく壁の花になれ予定だよ」
「そうか。折角なのに勿体ないよね」
 香穂子は曖昧に笑いながら「そうだね」と答えると、こころの中で溜め息を大きく吐いた。
 本当は大好きな男性と踊りたい。
 だが、香穂子の大好きなひとは、残念ながら理事長なのだ。
 ただでさえ秘密の恋なのに、堂々と踊ることなんて叶う筈もなかった。
 高校生活最後の後夜祭。
 特別なものになるのは間違いないというのに、大好きな男性とは踊れない。
 香穂子はそれが寂しくてしょうがなかった。
 とっておきのドレスを着て、文化祭の演奏をするつもりなのに、踊れないなんて…。
 これ以上残念ながらことは他にはないと香穂子は思った。
 誰もが盛り上がっているというのに、ひとりかやの外の気分だった。

 いつものように土曜日のドライブデートの日、香穂子は吉羅に訊いてみることにした。
「…吉羅さん、後夜祭は出席されますか…?」
「様子は見に行こうとは思ってはいるが…、流石にワルツの輪には参加しない」
 吉羅は答えを先回りするように言うと、香穂子をちらりと見た。
「…そうですよね…。やっぱり…」
 香穂子は切なくなるのを感じながら、ふと視線を落とした。
「仕方があるまい…。理事長が生徒と一緒にワルツを踊るわけにはいかないだろう」
 吉羅はあくまで冷静さを滲ませた大人の答えをする。
 吉羅が言いたいことは解っている。
 吉羅が言うことが正しいことも。
 だが、それでも納得がいかないのは、香穂子が恋をしているからだろう。
 どうしようもないほどに吉羅に恋をしているのだから。
 なかなか割り切ることが出来なくて、香穂子が溜め息を吐くと、吉羅は髪をふわりと撫でてくれた。
「…私もだてに学院生ではなかったから…、君が言いたいことはよく分かるよ。だが、これは仕方がないことだと理解して貰わなければ」
「解っています…」
 解っている。解りきっている。だが割り切ることがなかなか難しいのだ。
「解りました…、吉羅さん…」
「香穂子、ふたりきりの時は“暁彦”と呼ぶようにと言わなかったかな?」
「あ…、暁彦さん…」
「ワルツの埋め合わせはちゃんとする。ただし、香穂子、君は誰とも踊ってはならないよ。他の男が変な誤解をしてもしょうがないからね」
「…はい」
 ほんのりと滲む独占欲はとても嬉しいが、それでも切なさを拭い去ることは出来なかった。

 レストランに入り、吉羅とふたりでいつものように温かくて美味しい食事を堪能する。
「さてと、今日は君に渡したいものがあってね」
 吉羅は香穂子に白いケースを差し出した。
「これは…?」
 バースデーはまだまだなのにと小首を傾げていると、吉羅はフッと笑った。
「開けたまえ」
「はい」
 吉羅に言われるがままに箱を開けると、そこにはカサブランカをモチーフにした非常に美しいコサージュが入っていた。
「…綺麗…」
 思わず見入ってしまった。
「それを着けて、文化祭の演奏に出ると良い…。ワルツを踊ってはやれないが、せめてコサージュだけでもプレゼントをさせて欲しい」
「有り難うございます…!」
 通常はワルツを踊る相手から贈られるコサージュ。
 コサージュを大切に持っていれば、その相手と幸せな結婚をするこてが出来るという伝説も、学院では根強く知られている。
「…本当に有り難うございます。本当に嬉しくてしょうがないんですよ」
 泣きそうになるぐらいに嬉しくて、香穂子が笑みを浮かべると、吉羅もまた微笑んでくれた。
「君がそのコサージュを着けてくれるのを本当に楽しみにしているよ」
「はい。ぜひ使います」
 香穂子はコサージュを着けてヴァイオリンを奏でる日を楽しみにしていた。

 文化祭の当日、香穂子は吉羅から貰ったコサージュを着けた。
 華やいだ雰囲気に思わず笑みを零してしまう。
 ダンスは無理でも、吉羅に見て貰えるのが嬉しかった。
 今日はヴァイオリンに吉羅の従弟である衛藤も加わる華やいだ演奏会になる。
 香穂子がカサブランカのコサージュを着けていると、じっと衛藤が見つめて来た。
「な、何っ、衛藤くんっ!?」
「それって誰にプレゼントして貰った?」
「あ、あの…」
 まさか吉羅だとは言えずにもじもじしていると、衛藤は意味深な笑みを浮かべた。
「カサブランカ…。あのひとらしいね」
 直ぐに誰かは解ったようでニヤリと微笑んでいる。香穂子は焦りで鼓動が激しくなるのを感じていた。

 大盛況のなか最後の文化祭コンサートが終了し、いよいよ後夜祭になる。
 香穂子は壁の花と決め込んでいたので、最後のほうで会場に入った。
 既に吉羅はそこにはいるが、ただ生徒たちを見ているという雰囲気だ。
 踊れないのは仕方がない。ただコサージュをプレゼントしてくれたのは、嬉しかった。
 香穂子はみんなが踊る様子と吉羅の姿を交互に見つめる。
 それだけでも楽しかった。
「日野、踊らないか?」
 声を掛けられて顔を上げると、そこにはなんと衛藤がいた。
「あ、あの、え、衛藤くん…!?」
 強引に手を取られてしまい、香穂子は困惑するばかりだ。
「暁彦さんに遠慮なんかいらない。踊ろう」
「あ、あのっ!」
 いくら香穂子が抵抗をしても、衛藤に振り切られてしまい、結局はダンスをするはめになってしまった。
 吉羅がこちらを鋭いまなざしで見ている。
 怒っていると表現しても物足りないほどの雰囲気だった。
「案の定、かなり怒っているね、暁彦さん」
 焦る香穂子を尻目に、衛藤は面白がってすらいる。
「や、止めようよ」
「いいや。ほらステップ」
 衛藤に言われるがままに強引に香穂子はステップを踏む。
 吉羅の視線がかなり痛くて、香穂子は踊った気にはなれなかった。

後夜祭を終えて、香穂子は溜め息を吐く。
「暁彦さんはあれぐらいがちょうど良いんだよ。良い薬になったんじゃないかな」
 衛藤が面白そうに言っていると、厳しいまなざしをした吉羅が現われた。
「来るんだ」
 吉羅は香穂子の手を握り締めると、そのまま強引に手を引いていく。
 焦って振り返ると、衛藤が楽しそうに手を振っていた。
 吉羅は無言で香穂子を駐車場へと連れていく。
 その横顔はかなり厳しいものだった。
 車に乗せられた後、吉羅は直ぐに出発する。
 吉羅の冷徹な雰囲気に、香穂子は何も話す事は出来なかった。
 車は十分ほどゆっくりと走って静かに停まった。
「降りたまえ」
「はい…」
 吉羅に促されて香穂子が車から降りると、直ぐに手を握り締められる。
 到着したのはとてもロマンティックな雰囲気の洋館だった。
 吉羅はそこの玄関のドアを開けると、ホール部分の照明をつけた。
「…うわあ!」
 そこはとても造りが良い吹き抜けの広い玄関ホールだった。
 大理石タイルが敷かれた、まるで映画に出てきそうなデザインだ。
 高い天井にはシャンデリアが輝いていた。
「綺麗です…」
「ここならワルツを踊っても大丈夫だろう…」
 吉羅が床に置いてあったミニコンポのスイッチを入れると、ワルツが流れ始めた。
「一曲お願いして良いかな?」
 吉羅の言葉に泣きそうになりながら、香穂子は頷いた。
 吉羅は香穂子の手を取ると、ワルツのステップを優雅に取る。
 嬉しくて泣いてしまう。
 恐らくは最初から準備をしてくれていたのだろう。
「…有り難うございます暁彦さん、最高の後夜祭のワルツです…」
「君が桐也と踊り始めた時、私はどうしようもないほどに禍々しい気分になったよ…」
 吉羅はフッと悔しそうな笑みを浮かべると、香穂子を強く抱き寄せて来た。
「君を他の男に渡すわけにはいかないから…」
 吉羅の嫉妬が混じった言葉が、香穂子は嬉しくてしょうがない。
「…あなた以外に男のひとは考えられないから…」
「香穂子…」
 吉羅が眩しそうに見つめた後、甘いキスをくれる。
 それが嬉しくてしょうがなかった。



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