あなたの運転している姿を見るのが好き。 特に駐車場にバックで車を入れる姿が好き。 ドキドキして、堪らないほどに幸せになる。 香穂子がじっと見ていると、吉羅は怪訝そうに見つめてきた。 「どうかしましたか?」 「それはこちらの台詞だけれどね」 吉羅は苦笑いを浮かべながら、香穂子を見つめる。 「君は何を見ているんだ?」 「…あ、あの…、吉羅さんの運転…です…」 香穂子は口ごもりながら言うと、はにかんだ笑みを浮かべる。 「私の運転なんて、見ていてもそんなに楽しいものではないような気がするけれどね」 吉羅の言葉に、香穂子は首を横に振った。 「吉羅さんが運転している姿を見ると、何だか幸せになるんです。楽しいんです」 香穂子は屈託なく笑うと、吉羅を憧れのまなざしで見つめた。 「特に吉羅さんが駐車場に車を入れる姿を見るのが好きなんです」 甘い告白の言葉を滲ませて言っても、勿論吉羅には通じない。 いつもと同じポーカーフェースだ。 素っ気無いと言われてもしょうがない。 「…そんなものなら、君のお父さんだってするだろう?」 「お父さんはいつもラインがずれるんですよ。だから私、いつも格好悪いなあって。吉羅さんはいつもぴったりに車を入れるから良いなあって。ラインがはみ出たら、他のひとにも迷惑ですものね」 香穂子が笑うと、吉羅も僅かに笑う。 僅かに笑う吉羅はとても大人の香りがして素敵だ。 「ラインがはみ出るはみ出ないは、性格だとは思うけれどね」 「そうでしょうか? 技術だと思いますが」 「私がドライブ好きで、いつも車を飛ばしているに過ぎないからだよ」 吉羅はクールに呟くと、助手席のドアを開けた。 「さあお嬢さん、君の大好きなパスタランチが待っているよ」 「はい」 明るく笑うと、香穂子は車から降りた。 こうして食事を共にするのはかなりの回数にのぼる。 一緒に食事をしている回数をカウントすれば、深く愛し合っている恋人同士並だろう。 だが、ふたりは付き合ってはいない。吉羅の言葉をそのまま借りるのであれば。 もうすぐ高校生ではなくなるし、大人の女性への階段を確実に歩いているように思える。 だからこそ、もうそろそろ“恋人”に昇格して欲しいとも思ってはいる。 学生のコンクールでは優勝したし、今年の日本音楽コンクールにも出場する予定だ。 だが、吉羅の欲求するレベルは相変わらず厳しいのだ。 「今日もご馳走さまでした。美味しかったです」 「それは良かった。未来のヴァイオリニストさんに気に入って貰えて、私も嬉しいよ」 吉羅はふとまなざしを蕩かせて、いつもとは違う甘い光をくれる。 いつもは厳しくて冷たくて、本当に泣きたくなることもあるが、この瞬間があるからこそ、いつも笑っていられると香穂子は思う。 最初は冷たくて素っ気無いひとだと思っていたが、今は温かな優しいひとだと感じる。 少しずつではあるが、吉羅の人柄に触れてきた結果だろうと、香穂子は思っていた。 「日野君、ドライブに行かないか? 君の練習時間が削られない程度にね」 「はい。有り難うございます。気分転換に吉羅さんとのドライブは最高ですから」 お世辞だとかそんなものではなく、香穂子は素直な気持ちで言う。 吉羅のドライブは香穂子にとっては、本当にとっておきの時間だった。 吉羅との最高のドライブが始まる。 香穂子はまた景色を見ることなく、吉羅が運転する様子をみていた。 吉羅の運転する様子を見ている香穂子の表情は、純粋に楽しそうに見える。 吉羅は気分が高揚するのを感じながら、ハンドルを持つ。 普通女性を車に乗せると、景色を楽しんだり、退屈そうにしたりする場合が多いのだが、香穂子は違っていた。 こころから楽しそうに吉羅が運転している様子を眺めているのだ。 時には尊敬するようなまなざしで見つめてくるものだから、こちらが照れてしまうぐらいだ。 「日野君、そんなにドライブは楽しいのかね」 「楽しいです!」 香穂子がこころから笑いながら、吉羅が運転している様子を見ている。 「凄く上手ですよ、運転。お兄ちゃんとお父さんに比べても凄く。私も免許を取りたいとは思っているんです」 香穂子は本当にドライブに興味があるのか、じっとハンドル捌きを見ている。 「君は免許を取らなくても良いんじゃないかね」 思わず口に出た。 香穂子が免許を取ってしまえば、共にドライブ出来なくなるかもしれない。 それは嫌だとこころから思う。 香穂子とドライブすることが、吉羅の何よりものストレス発散になっていることを、きっと知らないだろう。 「君がドライブをしたい時に、私が空いているならば、いつでも一緒にいこう」 吉羅は滲む愛しさを堪えて、わざとさり気なく呟いた。 「有り難うございます。なら、お願いします」 香穂子はほんのりと頬を紅に染めあげて、にっこりと笑う。 その笑顔が本当に嬉しそうだったから、吉羅は嬉しくてしょうがなかった。 「…吉羅さんの大切なひとが、哀しまない程度にお願いします」 「そんなひとはいないから、心配しないでくれたまえ」 何を言い出すのかと、吉羅は香穂子をちらりと見つめる。 香穂子は何処かしょっぱい顔をしている。ほんのりと嫉妬してくれるのが嬉しい。 「有り難うございます」 一瞬にしてホッとした笑顔に変わった香穂子を、吉羅は可愛く思った。 「何処に行きたいかね、お嬢さん。このままぐるぐる回っていてもつまらないだろう?」 「ぐるぐる回っているだけでも楽しいです。幸せだなあって思います。ただ最近はガソリンが高いから、申し訳ないんですけれどね」 「そんなことは気にしなくても構わないよ」 吉羅が苦笑いを浮かべると、香穂子もまた笑った。 「本当にこうして車に乗っているだけで、幸せなんです」 香穂子の素直な言葉に、吉羅は微笑まずにはいられない。 吉羅も、こうやってぐるぐると回っているだけで楽しい。 正確に言えば、香穂子が助手席に座っていてくれれば、それで良かった。 「…吉羅さんは、やっぱりこうやってぐるぐるするのは、余り…ですか?」 「いいや。そうは思わないよ。私もただ目的もなくドライブをするのが好きだからね」 「そうですか。良かったです」 香穂子はにっこりと笑うと、ホッとしたようにまた吉羅の運転を見始めた。 「海老名のサービスエリアまで行って、帰ってくるかな」 「それも嬉しいです。充実していますよね!」 「だったら行こうか」 「はい」 吉羅は車の方向を変えると、東名高速に乗った。 何の目的もないドライブが、こんなに充実しているなんて、いまだかつてなかった。 香穂子は「マジカルミステリーツアーみたいで楽しい」と、喜んでくれていた。 海老名のサービスエリアで車を停める。やはり吉羅の車を停める姿を、香穂子は見つめていた。 香穂子はアイスクリームを、吉羅は温かなブラックコーヒーを片手に、サービスエリア中を歩き回る。 本当に楽しくてしょうがない。こんなに幸せなのは久方振りだった。 香穂子が一方的に話すのを聞きながら、吉羅は何時しか笑みを浮かべ続けた。 サービスエリアが茜色に染まる頃、ふたりは車に乗り込む。 楽しい時間はこれで終わりかと思うと、沈んだ気持ちになった。 もう少し一緒にいたい。 香穂子も同じなのか、しゅんとしていた。 「さてと横浜に向かおうか。君さえ良ければ、夕食を共にしないか?」 まだドライブは物足りないから。 吉羅が言うと、香穂子は笑う。 「はい、喜んで!」 ふたりは互いに微笑みあうと、大切な時間を重ねた。 |