毎週末、吉羅と過ごすのが当たり前になっている。 ヴァイオリンコンクールで優勝するまでは、香穂子と吉羅は“男女の繋がり”はなかった。 それどころか、“付き合って”もいなかった。 一緒に食事をしたり、気分転換に行ったりと、端から見れば充分に恋人同士の関係のようなことをしていたが、当人たちは“付き合ってはいない”と認識していた。 特に吉羅は、成熟した大人の男であったから、“付き合う”ということは、男女の関係があるという意味になる。 それが、ふたりの関係からは難しいことだった。しかし、香穂子がヴァイオリニストとして活躍を始めると、理事長と生徒という関係を捩じ伏せるだけの立場が出来、ようやく付き合うことになった。 ヴァイオリンコンクールで優勝をした時、吉羅はお祝いにと海が見える最高級レストランに連れていってくれた。 そこでようやく付き合いたいと言ってくれたのだ。 手をそっと握り締めながら、「君を大人の女性として扱いたい。付き合ってはくれないかね?」と、甘い声で呟いてくれた。 “イエス”を言ってから、直ぐに吉羅と男女の関係になり、今に至る。 吉羅とこうして甘い週末をたっぷり過ごすのは、当たり前のようになっていた。 吉羅の温もりに包まれながら、愛し合った後の気怠い躰を為り寄せる。 精神的なチャージをする為に、こうして吉羅に包まれるのは、香穂子にはかかせないことになっている。 「…起きているのかね?」 吉羅が香穂子の躰を抱き寄せ、項を撫でてくる。 「…はい。幸せだなって思って…。明日からはコンサートの準備で暁彦さんには自由に逢えないですから、沢山チャージをしておこうって思って。眠ったらもったいないなあって」 香穂子が甘えるように躰を寄せると、吉羅は額に口づけてくる。 「私も君を沢山チャージさせて貰ったと思っていたが、やはりまだまだ足りないと思ってしまうね。コンサートを控えた君に、余り無理はさせたくないと思っているのに、やはり今日も無理をさせてしまったね。だが、それでも足りないというのだから、私も始末に負えないね」 吉羅は苦笑いを浮かべると、香穂子の躰を更に強く抱き締めてくる。 「君をまた欲しくなった…」 「あっ、あのっ…」 躰の奥底にあった気怠い満足感が欲望へと変わる。 吉羅に組み敷かれて、香穂子は肌を紅に染め上げた。 「…暁彦さんっ!?」 このまま抱き締められて、再び熱い快楽に身を任せていく。 幸せな堕落。 こんな堕落ならいつまでもしていたいと、香穂子はこころの中で思っていた。 朝、吉羅とは、リハーサルスタジオの近くで別れた。 名残惜しくて泣きそうになる。 こんなにも誰かに依存をしてしまうことは、今までなかったから。 ギリギリまで愛し合っていたせいか、まだ躰の奥底に吉羅の温もりや匂いが染み付いている。 香穂子は切なげに溜め息を吐くと、スタジオへと入っていった。 ここからは切り換えなければならない。 ヴァイオリニストとして最高のステージを作る為にも。 香穂子は気持ちを切り替えると、スタジオに入っていった。 香穂子がいなくなったタンデムシートを撫でて、吉羅は苦笑いを浮かべる。 いまだかつて、こんなに誰かに依存をしたことはなかった。 日野香穂子は麗しき麻薬だと思わずにはいられない。 依存性が高い。 ギリギリまで愛し合っていたというのに、香穂子をもう抱き締めなくなる。 香穂子をずっとそばに置いておければ良いのにと、思わずにはいられない。 束縛したいのに、出来ない。 ヴァイオリニストとして活躍する香穂子を見るのは、何よりも楽しみなのに、同時に独り占めをしたくもなる。 これ程矛盾した感情はない。 香穂子がヴァイオリニストとしてある程度成長するまで、吉羅はずっと見守ってきた。 本当はもう少し有名になってから自分のものにしようと思っていたが、無理だった。 もう我慢の限界だったのだ。 抑圧していた香穂子への欲望が、止めどなく押し寄せてきて、今に至っている。 誰かに執着するということは、今までなかったのに、香穂子だけは別格だった。 特に幸せな時間を過ごした後で、こうして夫々の成すべきことに向かう瞬間は、かなり胸が痛くなる。 きっと香穂子は気付いてはいないだろう。 ここまで依存をしていりことを。 吉羅は自分の情熱の激しさに自嘲気味に笑うと、学院に向かった。 ふたりがバラバラに仕事に入ってしまうと、いつも吉羅からの連絡は途絶えてしまう。 香穂子が報告のメールを送ったとしても、理事長としての素っ気無いものばかりだ。 だから時々切なくなる。 この恋に溺れているのは、自分だけのような気分になってしまうから。 リハーサルの休憩時間、メールをチェックしても吉羅からのものは一つもない。 星奏学院理事長として多忙なのは解ってはいる。 だがそれでも、連絡が欲しい。甘い言葉が入っていなくても構わないから、吉羅からのメールが欲しかった。 そして声を聞きたかった。 ふたりが逢えない時間は、電話で話す事はまずない。 会えなくてもせめて吉羅の声が聞きたくて、香穂子は切ない気分で携帯電話を指先で弾いた。 香穂子からのメールが届くと、こころが和む。 激務の理事長職だが、香穂子が活力となって、何とか頑張ることが出来る。 今日も吉羅はを素っ気無い言葉でメールを返信する。 本当は、声を聴いて直接話したいのは山々だが、そうしてしまえば、香穂子のところに行って、思い切り抱き締めてしまいたくなるから。 抱きたくなってしまうから。 吉羅には自分を抑える自信はなかった。 不意に携帯電話が鳴り響き、吉羅は出る。 「…はい、吉羅です」 「香穂子です」 香穂子の愛らしい声をデジタル音声で聴きながら、吉羅は激情が湧き上がってくるのを感じる。 「何だね?」 いつものように何でもないように言うのが大変だ。 「お忙しかったら直ぐに切ります。ただ、暁彦さんの声を掛ける聞きたかっただけなんです…」 香穂子がはにかみと切なさを滲ませた声で呟いた後で、電話を切ろうとする。 こんな声を聞かされたから、理性の糸が切れる。 会いたい。 逢って、抱き締めて、キスをして、愛し合いたくなる。 吉羅は理性の細い糸を必死になって手繰り寄せた。だが無駄だ。 「…お逢いしたいって言っても…難しいですね…。あ、電話、切りますね。すみませんでした」 香穂子は、迷惑がられたと思い込んだのだろう。慌てて電話を切ってしまった。 吉羅は携帯電話を見つめながら、目を閉じる。 何処までも依存したい。 だからこそ取る行動はひとつだ。 スタジオでのリハーサルが終わり、香穂子は携帯電話を覗きこむ。 相変わらず吉羅からのメールはない。 がっかりと肩を落としたところで、低い素っ気無い声が下りてきた。 「香穂子」 名前を呼ばれて顔を上げると、そこには会いたくてたまらなかったひとがいる。 嬉しくて泣きそうになっていると、吉羅はフッと甘く微笑んで抱き締めてきてくれた。 強く激しい抱擁に、香穂子は息が出来なくなる。 「…声を聴いたら、君を抱き締めたくなる。抱きたくなる…。だから、電話をしなかった…」 「暁彦さん…」 「これから時間はあるかな? 君を独占したい…」 吉羅の艶やかな声とまなざしに、香穂子は微笑みながら頷く。 「私も独占したいです。暁彦さん依存症だから」 「私も君の依存症だよ」 そのまま手をしっかりと繋いで、ふたりは甘い依存症の治療をしにいった。 |