香穂子との約束の時間まではまだまだある。 こうして約束の時間よりもかなり早く来てしまうのは、香穂子が相手だからだ。 今までの相手なら、わざわざ約束の時間のかなり前に待ち合わせ場所にくることはなかった。 香穂子が相手だと、まるで恋を知らない少年のようになった気分になる。 自分と一廻り以上年の離れた少女に夢中になり、恋人にしてしまうなんて、思ってもみないことだった。 今や彼女に夢中過ぎて、どうして良いかが解らないほどだ。 ふと時計を見ようとして、腕時計をしていないことに気付いた。 全く、舞い上がる余りになんてことをしたのだろうかと吉羅は思う。 今までの恋ならあり得ない展開だ。 待ち合わせ場所近くの時計を見ると、まだ時間まで三十分ほどある。 どうやって時間を潰そうかと考えていると、土浦と柚木の姿を見掛けた。ふたりとも何か困ったような笑みを浮かべて話している。 香穂子に関わることなら困るので、吉羅はさり気なくふたりに近付いていった。 「なかなか良い衣装が探せなくて困りました、先輩」 「僕もだよ。土浦くん」 ふたりの会話に耳を傾けながら、時間潰しになるかもしれないと、吉羅はクールな表情でふたりに近付いていった。 「柚木君、土浦君、何か困っているようだが…、手を貸そうかね?」 「…理事長…」 柚木は少しだけ驚いたように微笑む。それを見つめながら、吉羅は相変わらず偽善者的な微笑みだと思わずにはいられなかった。 「困っているようだが、どうしたのかね?」 「土浦も僕も、衣装が決まらなくて困っていたんですよ」 フッと微笑む柚木に、吉羅は再び苦笑いを浮かべた。 「…だったらお互いに衣装を選び合うというのは如何かね?」 吉羅が静かに呟くと、ふたりは顔を見合わせる。 ごめんだと思っているようだが、これは良い時間潰しになると、吉羅は密かに楽しんでいた。 「…だったら、そこに衣装を扱った店がある。ふたりともお互いに衣装を選び合うことで良いヒントが得られるかもしれない」 吉羅が威圧的にふたりを見つめると、柚木は仕方がないとばかりに溜め息を吐いた。 「…解りました…。行こうか、土浦」 柚木は渋々同意をすると、吉羅と土浦と共に店へと向かった。 店では予想通りのかなりおかしい光景が繰り広げられていた。 「…俺にこの赤いシャツですか…?」 柚木が選んだ真っ赤なシャツに、土浦はかなり困惑をしていた。 「ああ。似合うと思うよ…。情熱的な闘牛士みたいに」 フッと微笑む柚木に、土浦は顔を引きつらせている。 そして土浦が選んだものは、フリルの着いた王子様ブラウスだった。 今度は柚木が顔を引きつらせる番だ。 「これが…僕に似合うと思うのかい…?」 何処か黒い部分が見え隠れする表情に、吉羅はおかしくて堪えるのが大変だった。 ふと、薄紅色の可憐なドレスが置いてあり、吉羅はそれに吸い寄せられるように見つめた。 本当に美しくて驚いてしまうほどだ。 香穂子に似合うに違いない。 このドレスを着て貰い、自分の為だけに演奏して欲しいとすら思う。 熱心過ぎるほどにドレスを見つめていると、不意に柚木の声が聞こえた。 「理事長…、先ほどからレディスばかりを見つめていますが…、何かありましたか?」 少し黒い成分を含んだ柚木に、吉羅は咳払いをして誤魔化した。 「…ただ時間潰しに見ていただけだ…」 吉羅はぶっきらぼうに言うと、いつも通りにクールでいられるように努めた。 「君たちはお互いに参考になったのかね?」 吉羅が冷たい声で問い掛けると、ふたりとも首を振った。 「お互い…自分の衣装は自分で選ぼうということになりましたよ」 柚木の言葉に、吉羅は軽く頷いた。 ふと時間を確認する為に店の時計を見ると、そろそろ香穂子との約束の時間だった。 「…私はひとと待ち合わせをしていて、そろそろ時間だ。良い時間潰しになったよ。有り難う」 吉羅はクールに言うと、香穂子との待ち合わせ場所へと向かった。 残された柚木と土浦はお互いに顔を見合わせる。 「…お互いに理事長に遊ばれたというわけですか…」 「理事長…、いつもより機嫌が良かったし…、それに楽しそうだっただろう? レディスを見ていたことも考えると…、恐らく、待ち合わせ相手は…」 柚木は黒い笑みを浮かべると、土浦を見る。 「…まさか…日野…?」 「天羽さんが、日野さんがかなり年上のセレブっぽいサラリーマン風の男性と付き合っているという噂を、何処かで聴いたらしい…。辻褄が合うだろう?」 「確かに…」 土浦は驚きと同時に顔を引きつらせている。 「…だから理事長を着けて現行犯で押さえて、邪魔をしなければね…?」 柚木の冷たくも意地の悪い笑みに、土浦は頷くしかなかった。 約束の場所に着くと、香穂子が頬を紅に染め上げながら笑顔で駆け寄ってくれた。 「暁彦さん」 香穂子の太陽のような笑みに、吉羅は癒される。フッと甘い笑みを浮かべてしまう。 香穂子はいつもの制服姿とは違って、愛らしいワンピースを着ている。 いつもふたりで逢う時は、ほんのりとお洒落をしてくれていた。それが吉羅にとってはとても嬉しい。 「車を駐車場に停めてある。ドライブでもしようか?」 「はい! 嬉しいです」 「その後、ゆっくりと海でも見ながら久し振りに食事をしよう」 「はい! 楽しみです」 香穂子の笑顔を見ていると、先ほどのドレスを思い出す。 薄紅色のとても美しいドレスだ。 ドレス姿の香穂子は、とても可憐だろう。戻って買いに行ってもと思ったが、今行くと、香穂子争奪戦のライバルと出くわしてしまうので危険だ。 「じゃあ行くか」 「はい」 吉羅はしっかりと香穂子の手を握り締めると、駐車場に向かって歩いていく。 不穏な影を感じてちらりと後ろを振り返ると、そこには土浦と柚木がいた。 やれやれと思いながら、別段隠すつもりは毛頭ないので、吉羅は香穂子を更に引き寄せた。 見せつけておけば、香穂子に変な気を起こすこともなくなるだろう。 香穂子が自分のものだということを、思い知らせておかなければならない。 「…暁彦さん…あの…」 香穂子はいつもよりはにかんでいるが、嬉しく思っているらしく、華やかに微笑んでくれる。 「恥ずかしいのかな?」 「少しだけ…。だけど嬉しいです」 香穂子の言葉が嬉しくて、吉羅は更に華奢で柔らかな躰を抱き寄せた。 駐車場に停めてある愛車まで来て、先に助手席のドアを開けてやる。 「有り難う…」 「どう致しまして」 吉羅は低い声で甘く呟いた後、助手席のドアを閉じる。 その後、吉羅は威嚇をするように後ろを見た。 冷たくも余裕のある笑みを浮かべた後、吉羅は車に乗り込む。 「…香穂子…」 恋人の名前を甘く囁くと、吉羅は背後のふたりには完全には見えない体勢を取りながら、香穂子を頭ごと引き寄せて唇を重ねた。 いつもよりは少しだけソフトなキスだ。 香穂子にキスをした後、吉羅はハンドルを握り、静かに駐車場から車を出した。 吉羅は少しだけほくそ笑んだ。 吉羅の愛車であるフェラーリが行ってしまった後、柚木と土浦は溜め息を吐く。 全く邪魔をしようとしたのに、逆に当てられてしまいふたりとも顔を引きつらせる。 「…昔から…人の恋路を邪魔をする者は馬に蹴られるというけれど、まさにそうだね…」 柚木が自嘲気味に言うと、土浦も頷いた。 予想通りの結果とはいえ、こんなにショックだとは思わなかった。 ふたりはお互いに溜め息を吐くと、駐車場から静かに立ち去った。 |