*甘い風邪薬*


 香穂子と男女として正式に付き合うようになってから、週末はふたりで過ごすことが当たり前になった。
 スケジュールに余裕がある時は、金曜の夕方から月曜の朝までふたりきりで甘くゆったりと過ごすのだ。
 金曜からふたりは愛の時間を持ち、ベッドで抱きあってゆっくりと眠る。
 これが一番の気持ち良い眠りだ。
 香穂子とお互いの温もりを共有しながら眠るのが何よりも心地が良い。
 ふたりの脚を絡ませあって眠ることが幸せで、吉羅は本当に満ち足りた気分になっていた。
 ゆっくりとふたりで眠ってはいたが、吉羅は香穂子の額がいつもに比べてかなり熱いことに気が付いた。
「…香穂子…?」
「…はい…」
 いつもよりも元気のない声で返事をすると、香穂子は吉羅を熱があるような瞳で捕らえた。
 瞳がとろんとしている。
 恐らくは熱があるのだろう。
「香穂子、気分は悪くないのかね!?」
「…あ…。何だか怠くて、喉が痛いです…」
 吉羅は慌てて躰を起こすと、額に手を宛てて香穂子の熱をみた。
「…熱いね…。かなり熱があるかもしれないね…。直ぐに熱を計ろう。待っていなさい」
「…はい…」
 吉羅は直ぐにベッドから出ると、体温計を救急箱から出してくる。
「香穂子、これを腋の下に挟んで直ぐに計りなさい」
「はい」
 吉羅は香穂子の腋の下に体温計を挟み込み、直ぐに熱を計る。
 その間に、熱を下げるためのシートを用意した。
「香穂子…」
 吉羅は心配でしょうがなくて、香穂子の額を何度も撫でた。
 姉を病気で亡くしているために、どんな小さな病気でも反応してしまうのだ。
 特に香穂子が患う病気には、過剰なまでに反応をしてしまうのだ。
 何があっても香穂子を失うようなことはしたくはなかった。
 香穂子を失ってしまえば、恐らくは自分は壊れてしまうだろうと思う。
 それほどまでに愛しくてたまらない存在だった。
 体温計の音が鳴り、吉羅は直ぐに腋の下から抜く。
「38度…。かなり熱いね」
 吉羅は溜め息を吐くと、香穂子の額を優しく撫でた。
「…大丈夫なね? 苦しくはないかね?」
 吉羅が声を掛けると、香穂子は苦しいくせに薄く笑う。
「暁彦さんがいるから大丈夫です。本当に平気なの…」
「全く君は…。余り無理をするんじゃない」
 吉羅は窘めるように言うと、香穂子を咎めるように見つめる。
「…食欲はあるのかね?」
「食欲はあります…。少しなら食べられそうです…」
「…そうか…。良かった…」
 吉羅は静かに言うと、香穂子の額にキスをした。
「朝食を作ろう。茶粥は私の得意な料理だからね」
「有り難う…」
 香穂子は熱でぼんやりとした顔で言うと、心配そうに吉羅を見た。
「…暁彦さんに移していないかが心配です…」
「大丈夫だ。それにもし私に移ってしまっていたら、君に看病をしてもらうから、構わない」
 吉羅が香穂子をあやすように微笑むと、ホッとしたように笑う。
「はい。しっかりと暁彦さんを看病しますから任せて下さいね」
「ああ。頼んだ」
 吉羅は香穂子の笑顔が本当に可愛いくて、頬のまろやかなラインを撫でた。

 香穂子のために茶粥を作ろうとしたが、やはり今はしっかりと栄養を取らなければならない。
 風邪には睡眠と栄養を取るのが一番だからだ。
 吉羅は方針を変更すると、野菜が入ったおじやを作ることにした。
 吉羅は手早く作って、あつあつを香穂子に食べて貰いたいと思う。
 香穂子には風邪を早く撃退して貰いたかった。
 吉羅はおじやを二人分作り、香穂子の眠る寝室に持っていく。
 今日は思い切り休んで欲しかった。
「香穂子、卵を使った雑炊を作ってきた。しっかりと食べなさい」
「有り難うございます」
 吉羅はベッドのサイドテーブルに雑炊を入れた土鍋を鍋敷きと共に置いた。
「どうぞ。これを食べて温まりなさい…」
「有り難うございます」
 風邪を引いただけで、ここまでかいがいしくしてくれるのが嬉しかった。
「あーんはしなくても良いかね?」
「大丈夫です」
 香穂子は躰を起こすと、卵雑炊を美味しそうに食べてくれる。
 それが嬉しい。
「味は大丈夫かね?」
「はい。手作りのものは美味しいですよ。暁彦さんが作って下さったものは」
 香穂子が本当に美味しそうに食べてくれるものだから、吉羅も同じように食べた。
 なかなか美味しい。
 だがそれはきっと香穂子が一緒にいるからに違いない。
「何だかこんなによくして貰えて、凄く嬉しいです」
 香穂子はニコニコと笑いながら、吉羅が作った雑炊を茶碗一杯食べ切った。
「風邪薬を飲んだら、かなりマシになるだろう。飲みなさい」
「はい」
 吉羅はストックしている薬を香穂子に渡し、それを飲んで貰う。
「これで眠ったらきっと治りますよ」
「だと良いな」
「はい」
 香穂子は薬を飲むと大きく息をして、ベッドに潜り込む。
 直ぐに眠そうに欠伸をすると、そのまま目を閉じる。
 眠る香穂子を見つめながら、吉羅はいつまでもこの寝顔を守っていきたいと思った。

 風邪薬が効いたのか、次に目覚めた時、躰の調子がよくなっていた。
 それでもまだ全快とまではいかなかった。
 香穂子が目覚めると、吉羅は寝室にはいなかった。
 恐らくは仕事をしているのだろう。
 香穂子はベッドから下りると、吉羅を探しにゆっくりと歩く。
 リビングに出ると、吉羅はパソコンに向かって仕事をしていた。
「…暁彦さん」
「…起きたかね。具合はどうかな?」
「かなりマシになりましたよ。後少しで治りそうですよ」
「だが余り無理をしてはいけない。ベッドで眠っていなさい」
「大丈夫ですよ、本当に」
 香穂子が笑顔で言っても、吉羅は厳しいまなざしを向けたままだ。
「ベッドに戻って、もう少しだけ眠っているんだ」
 吉羅は溜め息を吐くと、香穂子を抱き上げてベッドへと運んでくれる。
「きちんと眠りなさい。それが君のためになるんだからね」
「解りました…」
 吉羅は香穂子をベッドに寝かせると、目元にキスをしてくれた。
「何だか寝ているだけはつまらないです」
「躰を治すには必要なことだよ」
「解っています」
 香穂子は溜め息を吐くと、切ない余りに上掛けで口を隠してしまった。
「何かしたいことはないかね?」
「あ、私は…、暁彦さんのヴァイオリンを久しぶりに聞きたいです」
 滅多に聴けない吉羅のヴァイオリンを今日はどうしても聴いてみたかった。
「…暁彦さんのヴァイオリンを聴いてみたいんです。弾いては頂けませんか?」
「香穂子、私はヴァイオリンはもう恥ずかしくてね」
 吉羅は静かに言うと、香穂子の頭を撫でた。
「だが、風邪を引いている君のために、一曲弾いてみようか…」
 吉羅の柔らかな甘い笑みと気遣いが何よりもの薬になる。
「有り難うございます。風邪を引いて得した気分です」
「風邪は余り引いて貰いたくないものだけれどね」
「そうですね」
 香穂子はうっとりとした気分になりながら笑顔になる。
 吉羅はヴァイオリンを持ってきてくれると、ベッドに腰掛けてくれた。
「…では、相応しいシューベルトの子守歌を弾こうか…」
「はい」
 吉羅は静かにヴァイオリンを弾いてくれる。
 綺麗で深みのある音色が響き、香穂子は癒されて気分が良くなるのを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。
 ヴァイオリンのお陰で最高の夢が見られそうだ。

「寝たのか…」
 吉羅は香穂子の寝顔を見つめ幸せな気分になる。
 香穂子の額にキスをすると、ヴァイオリンをテーブルに置き、ベッドに潜り込む。
 香穂子の躰を抱き締めると、そのまま眠りに落ちた。
 



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