*KISS*


 吉羅暁彦は、最高部類のセレブリティに入るせいか、いつも美しい女性が途切れることなく傍らにいる。

 初めて出逢った高校生の頃からずっとだ。

 香穂子がいる場所なんて、吉羅の傍らには全くない。

 吉羅が、大人の男性だからか、ずっと憧れの存在ではあるが、香穂子の想いが届くことはない。

 いつも子供扱いなのだ。

 香穂子が大人の年齢になったとしても、それは全く変わらないだろう。

 その証拠に香穂子は間も無く成人になるというのに、ヴァイオリニストとしてしか、吉羅からのお誘いは全くないのだ。

 吉羅は、ヴァイオリニストとしての香穂子にしか興味がなかった。

 それが良いことなのか、悪いことなのか、香穂子には解らない。

 ただ、吉羅にとってはそう大したことはないがことのようだった。

 

 今夜は高級ホテルの最上階にある宴会場で、経済界の大々的なパーティーが開催されていた。

 香穂子は吉羅に頼まれて、パーティーに花を添えるヴァイオリニストとして、参加する。

 日当も出るから、香穂子にとっては、勉強にもアルバイトにもなる一石二鳥なパーティーだ。

 経済界の重鎮の前で演奏をすることになるから、その緊張はかなりのものだ。

 香穂子は足が震えるのを覚えながらも、吉羅に恥をかかせないように頑張ろうと決意していた。

 吉羅は香穂子にとっては、最高のパトロンであるから、期待を裏切るわけにはいかない。

 そこに恋情はもちろんなかった。

 香穂子が仄かに抱いていたとしても、吉羅からは恋情の欠片も感じられない。

 香穂子にとっては、少しだけ胸が痛かった。

 香穂子が宛がわれた控え室で準備を終えて、会場に向かおうとすると、吉羅の姿が見えた。相変わらずクールでシャープにスーツを着こなしている。その姿は、最高級のモデルや俳優にしか見えない。

 本当に隙がない。

 香穂子はついうっとりと見てしまわずにはいられない。

 だが、その傍らには、宝石のようにゴージャスで美しい女性がいる。

 吉羅が選んでいることもあり、知性とプライドも高そうだ。

 端から見れば本当にピッタリな女性だ。

 ふたりの中に割って入る隙間などないぐらいに完璧だ。

 しかも笑顔も気品が高そうだ。

 見つめているだけで、ついうっとりっしてしまいそうだ。

 完璧だ。

 香穂子は、自分が吉羅の横についたところを想像し、全く駄目だと溜め息を吐いた。

 似合わない。

 隙がありすぎる。

 誰も、お似合いだとは思わないだろうと、香穂子は思った。

 香穂子は吉羅に背を向けると、自分がやるべきことに集中しようと思う。

 折角、このように立派で華やいだ場所に、ヴァイオリニストとして呼んで貰えたのだから。

 成長にきっかけになるかもしれないから、こんなにも良いことは他にはない。

 香穂子は気持ちを切り替えると、ヴァイオリンへと集中していった。

 

 いよいよ、香穂子の演奏時間が始まる。

 見せ場は最初だけだ。

 後は、談笑に気にならないようにヴァイオリンを奏でるたけなのだ。

 それだけだ。

 見せ場である最初をロマンティックに盛り上げてゆく。

 香穂子は、ヴァイオリンだけに集中する。

 吉羅がじっと見つめていたのは解ってはいたが、その視線はなるべく見ないようにした。

 吉羅を気にしてしまうと、ヴァイオリンに集中出来ないことが解っていたから。

 香穂子は自分だけの音楽の世界へと入り込みながら、ヴァイオリンに集中していた。

 

 見せ場が終わると、パーティー参加者から温かな拍手が貰えて、香穂子はとても嬉しかった。

 この後も、しっかりとヴァイオリンを頑張らなければと想いながら、更なる演奏に集中する。

 差し障りのないBGMに過ぎないのだが、それでも香穂子にとっては、やりがいのある演奏だった。

 やはり、香穂子のような大学生だと、このようなパーティーで演奏する機会ですら少ないのだから。

 これは吉羅がこのような機会を与えてくれたからに過ぎない。

 香穂子は感謝をしながら、吉羅が恥をかかないような音を奏でるように心がけていった。

 次の曲を演奏する準備をしていると、出席者の何人かから声をかけて貰えた。

 香穂子の演奏を気に入って貰えたとの言葉を貰えて、とても嬉しい。

 特に「温かな音楽で癒された」と言って貰えたのが多くて、本当に嬉しかった。

 益々頑張らなければならないと、思わずにはいられなかった。

 

 香穂子はヴァイオリン演奏に集中しているせいか、周りは何も気にならなかった。

 出席者の心を少しでも癒して、満たすことが出来れば良い。

 ほんとうにその想いだけで、香穂子はヴァイオリンを演奏し続ける。

 楽しいからか、かなり充実している。

 このような機会を与えて貰えたことを本当に感謝していた。

 だが、その機会を与えてくれた吉羅はといえば、全く声をかけには来なかった。

 綺麗なひとを連れて、精力的に話をしている。

 当然と言えば当然だ。

 期待していたわけでもない。

 それなのに、香穂子は胸がキュンと切なく音をたてて痛むのを感じた。

 せめて少しでも自分のことを気にしてくれたら、それだけで幸せだというのに。

 香穂子はちらりと吉羅を見ながら、軽く唇を噛んだ。

 本当はそんなことを気にする資格なんてないというのに。

 香穂子は泣きそうになった。

 

 パーティーの間、吉羅から声をかけられることはないままに終わってしまった。

 香穂子は自分の仕事が終わると、直ぐに会場を後にして、素早く帰る支度をした。

 フロントに直通のエレベーターを待つ。

 待っているのは香穂子だけで、のんびりと一人でいられると思った。

 しかし、香穂子がエレベーターに乗り込むタイミングで、吉羅がひとりだけで乗り込んできた。

 これには香穂子は驚く。

 吉羅はてっきり綺麗な女性と一緒とばかり思っていた。

 だが、ひとりだ。

 直通エレベーターでふたりきり。

 つい香穂子はドキドキしてしまう。

「日野くん、今日の演奏は悪くなかった。ご苦労だったね」

「ありがとうございます」

 吉羅に声をかけられてドキリとしたが、同時にとても嬉しかった。

 吉羅に誉められるのは何よりも幸せなことだからだ。

「まずまず成長しているようだね」

「そう言って頂けると嬉しいです」

 香穂子が笑顔で顔を上げると、吉羅と目があった。

 艶やかな吉羅と目があってしまい、香穂子は胸が甘くかき乱されているような気分になる。

「あ、あの、お連れの方は、ロビーでお待ちなんですか?」

 甘い気持ちを何とかしたくて、香穂子はわざと明るく言う。

「……連れなんていないよ」

 吉羅は低い声で落ち着いて呟くと、香穂子をいきなり抱き寄せる。

 そのまま唇を塞がれる。

 誰も来ないのは解ってはいる。

 だが、この荒々しいキスの意味が、香穂子には解らない。

 もうすぐ一階に到着する。

 キスを止めなければならない。

 なのに吉羅は止めなかった。

 一瞬、エレベーターが到着したのが分かった。

 しかし、吉羅は直ぐに最上階のボタンを押して、再びエレベーターを上昇させる。

 誰も乗ってこない、ふたりきりのコンパートメント。

 香穂子はいつの間にか吉羅を抱き締めて、キスを受け入れる。

 もう一度ロビーに下りるまでは、夢のような時間だと思った。

 



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