*Lips*


 リップクリームを塗りながら、香穂子は自分の唇をじっと見つめる。
 吉羅とキスを交わすようになってから、時々、男の人はルージュが唇について食べてしまっても平気なのだろうかと考える。
 大学のパウダールームで化粧直しをしながら、香穂子はじっと唇を見つめていた。
 この唇を、吉羅は気に入ってくれているのだろうかと、ぼんやりと考えたりもする。
「香穂子の唇って美味しそうだよねー。吉羅さんじゃなくても食べたくなっちゃうよ」
 横で同じように化粧を直していた天羽に言われて、香穂子は真っ赤になる。
「そ、そんなことはないよ。綺麗かって言われたら、自信ないし…」
「なーに言ってんのよ! あなたの唇はさ、本当に色っぽいんだよ! リップバームを塗るだけで充分じゃないかって思うもん。透明のグロスを塗られただけで、女の私でもドキドキするんだよ」
 天羽が唇を絶賛するように言うものだから、香穂子は益々恥ずかしくなる。
「吉羅さんさ、香穂子とふたりきりの時は、沢山キスしていそう」
 まるでふたりきりの時間を覗きこまれたような言葉に、香穂子は耳まで赤くして俯いた。
 確かにふたりの時は、折を見て、隙を見て、沢山キスをされる。
 その甘さはといえば、とっておきのスウィーツを食べているようだ。
「図星か。やっぱりね。だってさ、香穂子の唇って本当に食べたくなるぐらいに瑞々しい感じがするんだよ」
 天羽の絶賛に、ほんの少しだけ自信を持ちながら、香穂子は自分の唇をソフトにタッチする。
「吉羅さんはさ、香穂子のルージュやリップクリームを、どれぐらい食べちゃったんだろうね。それが興味深いなあ」
「そ、そんなには食べていないとは思うんだけれど…」
 香穂子が真っ赤になって言うと、天羽は見守るような優しい笑顔を向けてくれた。
「だってね、女の人は一生で、最低でも20本のルージュやリップクリームを食べちゃうって言われているんだよ。だからさ、吉羅さんももう結構食べているんじゃないかって思うんだよ。そこで!」
 天羽は、香穂子をじっと見つめて、にんまりと笑う。
「今日は週末だから、吉羅さんのところで月曜日まで過ごすんでしょう?だったらさ、その準備もかねて、オーガニックなコスメショップで色々な味を試そうよ!」
「そうだね」
 もし沢山ルージュを食べられてしまうのならば、オーガニックでしかも美味しいものを食べて貰いたいと思ってしまう。
「じゃあ早速行こうよ!」
「うん。そうする!」
 天羽と香穂子は、腕を組みながら楽しそうにショッピングモールへと向かった。

 オーガニックコスメを扱う店で、テスターでいろいろと試してみる。
「…えっとこれはアップルパイの味で、これがハニー、でこれがチョコレート! どれもその香りがして美味しそう!」
「だね。どれも吉羅さんなら喜んで食べてくれそうじゃん。香穂子命だからね」
「もう…」
 友人にからかわれてしまい、香穂子は恥かしい余りに真っ赤になる。
「あのクールで、あからさまに女なんて要らないって感じの吉羅さんがさ、香穂子にだけは独占欲が強くてメロメロだもんねー。こっちが幸せになるぐらいにね」
 天羽は笑顔で言うと、味がするリップクリームを総て手に取る。
「これ全部買ってひとつずつ吉羅さんに味見をさせたら…?」
「なっ…!」
 天羽の大胆不敵な言葉に、香穂子はうろたえる余りに息を呑む。
「そ、それは…その…」
「今日さ、勝負下着で、清楚に見えながら、ジャケットを脱ぐと、さり気なくセクシィなスタイルで来ているんでしょ?」
 全く図星な指摘に、香穂子は俯いて小さく囁くしかない。
「ごもっともです…」
「だったらさ、買っちゃえ! 香穂なら絶対に出来るからさ。それにさ、後で、化粧も少し色っぽく直してあげるから」
 天羽に背中を押されて、甘いドキドキを抱きながら、香穂子は頷く。
「…解った。三つとも買ってみるよ」
「それでたっぷりと吉羅暁彦を誘惑しちゃえ! あ、髪も可愛く直してあげるね」
「うん。有り難う」
 天羽に言われて、少しは自信を抱く。
 吉羅が果たして喜んでくれるかどうかは解らないが、やってみたい気がする。
 いつもはリードされてばかりいるから、自分で主導権を握ってみたいのだ。
 香穂子は、結局、アップルパイ、チョコレート、ハニーの3種類のリップクリームを買い求める。
 そのまま、コスメのテスターが豊富な、女性向けのバラエティショップに向かい、天羽に化粧を直して貰う。
 更にはショッピングモールのパウダールームで、髪を可愛くハーフアップにして貰った。
「これで誘惑出来るよー。肝心の彼氏とは何処で待ち合わせ?」
「そのカフェで6時に」
「…そろそろじゃん! だったら頑張ってね!」
 天羽に背中をポンと叩かれて勇気を注入してもらう。
 後はもう頑張るしかない。
 香穂子は吉羅を待つ為にカフェに入り、アイスティーを注文して待った。
 吉羅がどのような反応をするか、楽しみであり、不安でもある。
 程なくして吉羅がやってくる。
 カフェに入ってきた瞬間に、ここにいる総ての女性を虜にしてしまうような素晴らしさだ。
「香穂子、待たせたね」
「暁彦さん、お仕事ご苦労様です」
 笑顔で労うと、吉羅は直ぐに香穂子の手を取って立ち上がらせる。
「行くか。今夜はうちでゆっくりと過ごそう。出掛けるのは明日でも構わないだろう?」
「はい」
 香穂子が立ち上がると、吉羅は腰を抱いて歩いていく。
 まるで香穂子との仲を見せつけるかのようにだ。
 駐車場に向かい車に乗り込んで、そのまま六本木の自宅へと向かった。

 吉羅の家に着くと、お手製のビーフシチューが準備してあった。
「昨日、圧力鍋を使って適当に似たものだ。温めれば何とかなるだろう」
「そうですね」
 吉羅は手早く夕飯の準備をしてくれる。
 香穂子も手伝ったが、役に立ったとは言い難かった。

 美味しいビーフシチューとローストビーフのサラダ、フランスパン、チーズを使ったオードブルに、香穂子には焼菓子が用意されていた。
 デザートを食べた後、例のアップルパイのリップクリームをこっそりと塗った。
「香穂子、君からとても甘い香りがするね」
「あ、アップルパイの香りがするリップクリームを塗ったからだと思います」
「アップルパイね…」
 吉羅は僅かに眉を上げて、香穂子を見つめている。
「…今日、菜美と一緒にオーガニックコスメのお店に行って、美味しそうだったのでつい買ったんです。アップルパイ、チョコレート、ハニーと3種類」
「ほう…。で、今着けているのがアップルパイか」
「はい」
 吉羅は頷くと、いきなり香穂子を抱き寄せてきた。
「あ、あのっ!?」
 期待していたこととはいえ、ドキドキしてしまう。
 吉羅はそのまま顔を近付けてくると、唇を深い角度で奪ってきた。
 まるで甘い物を味あうようにキスをした後、香穂子の唇を舐めた。
「確かにアップルパイだ。チョコレートとハニーは? 味見をさせてくれないかね」
 キスだけで頭がぼんやりとしているというのに、吉羅は甘い要求をする。
 香穂子がチョコレートのリップクリームを唇につけると、食いつくように吉羅がキスをしてきた。
 頭がくらくらしてしまうぐらいに甘くて官能的なキス。それだけで感じてしまう。
 頭がぼんやりするほどにキスをされた後で、ハニーは吉羅が自ら小指で塗ってくれる。
 これがまた甘くてメロメロになる行為だ。
 吉羅は、更に激しくキスをしてきた。
 キスだけで気絶してしまうのではないかと思う程に、とことんまで感じる。
 甘いハニーのキスの後で、吉羅は唇を外して抱き上げてくる。
「可愛くて甘い誘惑だね、私のお嬢さん? たっぷりと誘惑に乗ってあげるよ」
 吉羅は艶っぽい声で囁くと、素早くベッドへと向かう。
 激しくも情熱的な夜が始まったのは、言うまでもなかった。



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