吉羅に逢う時は、いつもプレゼントをして貰ったオードトワレをつける。 香穂子にとっては少し背伸びをしているのではないかと思えるローズの香り。 その香りを嗅ぐだけで、甘い旋律が駆け抜ける。 愛し合う時に纏っているのは、その香りだけだから。 官能を呼び起こす匂いだ。 香穂子は今日も控え目に吉羅がくれたトワレを塗ろうとした。 「…あ…」 吉羅に逢う度に身に着けていたから、トワレはいつの間にかなくなってしまっていた。 「なくなっちゃったか…」 香穂子は大学の帰りにでも買いに行こうと思い、友人と逢う時に使っているハニーとバニラのソリッドパフュームを手に取った。 甘いお菓子のような香りは、香穂子のお気に入りだ。 鼻孔をくすぐる香りは、何だか気持ちをスウィートなものにしてくれる。 香穂子はソリッドパフュームを指先につける。オードトワレよりも、より肌に馴染むような気がする。 肌に密着した甘い香りは、世界一の女性になった気分にさせてくれた。 パフュームは、大好きなひとにキスして貰いたい時につけると効果があると聞いた事がある。 香穂子はそれを思い出しながら、吉羅の唇を思い浮かべた。 吉羅になら、何処にもキスを受けたい。 口で言うには憚れる場所にも、いつもキスを受けているから。 甘くてときめくキスを、沢山肌に受けていたい。 吉羅と愛を交わす瞬間の素晴らしさや幸せを思い出すだけで身震いをする。 出来るならば、全身にパフュームを着けたいけれども、それでは余りに余りだろう。 だから本当にキスを受けたい場所に、ソリッドパフュームを擦り込んでいく。 耳の後ろ、首筋、鎖骨、膝の裏、踝、手首…。 甘い香りに誘われて、こちらが幸せな気分になる。 仕上げは甘いハニーの香りがするリップグロスを。 これを擦り込むと、甘いお菓子になった気分になる。 ソリッドパフュームを着けた後、香穂子は春らしいシフォンのワンピースを身に纏う。 吉羅に逢う時は、いつも綺麗でいたい。 それは恋する香穂子の切ない愛の願いだった。 髪をアップにして、項にもハニーの香りを擦り込む。 すると言葉に出来ない程に甘い気分になった。 これでお終い。 香穂子のデートおめかしは完了だ。 後は吉羅との待ち合わせ場所に行くだけだ。 デートは専ら車を使ったものだから、いつもお迎えに来てくれる。 それではいつも吉羅に悪いからと恐縮すると、厳しいがとろとろ優しい香穂子の大人の恋人は妥協とば かりに、待ち合わせ場所を指定してきた。 待ち合わせ場所は、県庁前の三塔がよく見える場所。 ふたりがよく行くレストランの直ぐ近くでもある。 香穂子はそこまでをゆっくりとした速度で歩いていった。 視界には吉羅が目に入る。 うっとりと何度も見惚れてしまうほどに素敵に見える。 本当に綺麗だ。 高級カジュアルなさり気ないファッションは、隙を感じさせない。サングラスもとてもよく似合っていた。 吉羅は香穂子の姿に気付いたのか、サングラスをゆっくり取って見つめてくれる。 そのまなざしに焼かれてしまいそうだと、香穂子は思わずにはいられなかった。 「吉羅さん、お待たせしました」 香穂子が声を掛けると、吉羅はゆっくりと口角を上げる。 香穂子がそばに来ると、手をそっと握り締めてくれた。 「…行こうか」 「はい」 香穂子がにっこりと笑って吉羅に近付くと、不意に表情が硬くなる。 「吉羅さん…?」 「何でもない。さあ、乗りたまえ」 吉羅はいつも以上にクールな表情を崩すことなく呟くと、香穂子の為に助手席のドアを開けてくれた。 車が静かに出るが、吉羅は黙り込んだままだ。 何か不満があるのではないか。怒っているのではないかと思うと、香穂子は不安で堪らなくなった。 いつもならばデートの行き先を告げてくれるというのに、今日は何も言ってはくれない。 それどころか相当機嫌が悪そうだ。 車は首都高に入り、吉羅の自宅がある六本木方面へと向かっている。 吉羅は先ほどから険悪な雰囲気を滲ませて黙っているだけだ。 今日も華やいだ気分でおしゃれをしたのに、何が気に入らなかったのだろうか。 香穂子は不安になる余りに泣きそうになっていた。 「…吉羅さん…、今日はどちらに行くのですか…?」 「君は黙って着いて来なさい」 吉羅は何時も以上に硬い声で呟くと、黙り込んだ。 運転をするためにサングラスを掛けているから、吉羅からは表情を窺い知ることは出来ない。 だがきっと怒っているのだろうと思う。 何も悪いことをした覚えなど、香穂子にはちっぽけもないのに。 吉羅が本当に怒っている理由が分からなくて、香穂子のこころはオロオロするばかりだった。 車は予想通りに六本木で首都高を下りて、吉羅の自宅がある方面に向かう。 「ミッドタウンにでも行くんですか?」 香穂子の質問にも吉羅は黙ったままだ。ただ香穂子の手を取ると強く力を入れて握り締めてきた。 吉羅が何を考えているかを、香穂子は細かいところまでは分からない。 だが強く握り締められた手の熱さと力に、熱情を感じていた。 結局、吉羅は車を自宅があるビルの駐車場に停める。 車が停止した瞬間、香穂子は抱き寄せられて首筋を強く吸い上げられた。 「…んっ…あっ…!」 その激しさに、香穂子は甘い声を上げる。 吉羅の愛撫で肌の温度が急激に上がり、ハニーバニラの香りが車内に放たれた。 むせ返る程の官能が滲んだ甘い香りに、香穂子は溺れてしまいそうになった。 吉羅は唇を強く押しつけたままで、鎖骨へと移動する。鎖骨のデコルテにまで、吉羅が着けた紅い痕が滲んでいた。 「…吉羅さん…っ!」 こんなにも激しい吉羅は新鮮で、香穂子はいつも以上に感じてしまう。 吉羅をギュッと抱き寄せていた。 吉羅は顔を一旦上げると、艶やかな瞳で香穂子を見つめる。濡れた瞳はとても色気があり、香穂子は 呼吸を速めてしまう。 吉羅の瞳には炎が滲んでいるような気がして、とても綺麗だった。 「…香穂子…」 吉羅は名前を呼びながら、項に唇を寄せる。強く吸い上げられて、香穂子は喘ぎながら、吉羅にすがりついた。 吉羅は香穂子を見つめると、唇を開く。 「私の部屋に来るんだ」 「…はい…」 車を降りて、香穂子は吉羅に腰を抱かれながら部屋へと連れていかれる。 吉羅はいつも以上に力強く、香穂子を抱き寄せて離さなかった。 吉羅の部屋に入るなり、いきなり肩に担がれてベッドへと運ばれる。予想外の展開に、香穂子は目を見張る。 こんなことは今まで吉羅はしなかったというのに。 ベッドに運ばれて、吉羅に組み敷かれる。 こんなにも激しく求められることなんて今までなかった。 「…香水を変えたのかね?」 「…あ、あの…、吉羅さんから頂いたものがなくなってしまったので…」 「…そうだったのか…。また、君が似合う香水を送ろう…。この香りも好きだ…。何だか、私を狂わせるね…。こんな甘い香りを放つ君を、他の男に見せるのが嫌だった…。それに…香水を変える行為というのは、心変わりの象徴だとも言われているからね…」 「…そんなことは…ありませんから…。私は暁彦さんだけを大切に思っていますから…」 「香穂子…」 吉羅は安堵したかのように微笑むと、香穂子を柔らかく抱き締めてくれる。 「…甘い菓子のような君を堪能しても構わないか…?」 「はい」 「有り難う」 吉羅は香穂子のソリッドパフュームよりも更に甘い笑みを浮かべると、柔らかく愛し始めた。 |