吉羅家にある一枚の肖像画がある。 星奏学院創始者である、吉羅暁彦の曾祖父と曾祖母を描いた絵だ。 重厚な筆遣いで描かれた絵は、本当に美しい。 幼い頃、吉羅は何度も見惚れたものだ。 モノクロームの写真も幾つか遺っていて気品があって美しいが、掲げられた肖像画に勝るものはない。 曾祖母はとても美しい赤毛の女性で、当時は珍しい女性のヴァイオリニストであったらしい。 星奏学院に通い、そこの理事長である曾祖母と恋に落ちたのだ。 ふたりは深く愛し合って結ばれて、多くの子どもを遺したと聞いている。 本当に仲の良いふたりであったと、吉羅も聞いたことがあった。 小さな頃からずっと憬れていた女性。 初恋と言っても過言じゃない。 まさか曾祖母とそっくりの女性と巡り逢うことになるなんて、吉羅は思ってもみなかった。 こんなにも綺麗で完璧な女性は他にいないと思っていた。 だが、よく似ている女性は確かに存在した。 こんなにも綺麗な女性は他にいないのではないかと思うぐらいにうつくしいと思っている。 一般的な美しさの基準でいけば絶世の美女ではないかもしれない。 だが、吉羅にとっては確かに美しいひとだった。 その女性と、紆余曲折はあったが、今は付き合っている。 しかも理事長と生徒という、曾祖父と曾祖母のロマンスそのものだった。 吉羅は肖像画を見つめながら、フッと微笑む。 香穂子にこの肖像画を見せたら、どのような反応をするだろうか。 恐らくは、驚くに違いない。 吉羅はフッと微笑むと、香穂子を迎えに家へと向かった。 香穂子は吉羅を待ちながら、幸せに頬を染め上げていた。 こうして大好きでしょうがないひとを待っているというのは、なんて幸せなことなのだろうかと思う。 ワンピースを着て、今日はクラシカルに髪を結い上げる。 吉羅と釣り合うためには、ある程度大人びた雰囲気でなければならないと、香穂子は思っていた。 吉羅と恋人同士となって半年。 本当に嬉しくて楽しくて、幸せな時間を過ごしている。 今日もどのような時間が過ごせるか、楽しみにしていた。 吉羅のフェラーリが見えてくる。吉羅はいつものように香穂子の前でピタリと車を停めてくれた。 吉羅は香穂子にエスコートをするように助手席のドアを開ける。すると香穂子が華やいだ雰囲気で、車に乗り込んできた。 「暁彦さん、有り難うございます」 髪を結い上げた香穂子の横顔を見て、吉羅はドキリとする。 本当に曾祖母そっくりなのだ。 何処から見てもそっくりで、吉羅は驚いてしまった。 思わずじっと見つめていると、香穂子が不思議そうに見つめてくる。 「暁彦さん、どうかしました?」 香穂子がにっこりと笑いかけると、吉羅はその笑顔の眩しさに、思わずにはいられなかった。 「…いいや…。今日のヘアスタイルはとても似合っていると思ってね」 「有り難うございます。嬉しいです」 はにかんで笑うところもなんて美しいのだろうか。 吉羅はつい夢中になって見つめてしまう。 香穂子をじっと見つめていると、このまま自分だけのものにしたいと思う。 吉羅は、肖像画の曾祖母のように美しいスタイルにさせた香穂子が見たくてたまらなくなった。 吉羅は路肩に車を停めると、以前からの知り合いに電話を掛ける。 「今からそちらに行っても構わないでしょうか? はい、クラシカルでスタンダードなタイプのものを用意しておいて下さい。では、今から向かいます」 吉羅は電話を切ると、再びハンドルを握る。 「香穂子、今日は少しスケジュールを変える。構わないね?」 「はい」 香穂子は笑って「お任せします」と言うと、何だか楽しそうにしていた。 吉羅が何処に連れて行ってくれるのかを香穂子は楽しみにしながら、車に揺られる。 吉羅が連れて行ってくれるところにハズレはいつもないから、とても楽しみだ。 今日はこちらがドキリとするような視線で何度も見つめられているような気がする。 ドキドキし過ぎて甘い艶が躰の奥から湧き上がってくるのを感じていた。 吉羅の車が向かったのは、銀座から近いひっそりとした何処か気品のある通りだった。 香穂子はこのあたりで食事をするとばかり思っていた。 吉羅に手を引かれて連れて行かれたのは、フォーマルなドレスとタキシードを扱うサロン。 しかもメインはウェディング用だ。 どのウェディングドレスもクラシカルで、本当に美しく気品が溢れている。 普遍的なデザインと美しさが、香穂子を魅了していた。 「香穂子、この方に綺麗にして貰ってきてくれ」 「はい」 こうしてドレスアップさせてくれることはよくあるので、香穂子はてっきりパーティに行くとばかり思っていた。 「では綺麗にしましょうね」 恰幅の良い何処か気品が溢れる女性が着いてくれて、香穂子はとても楽しい気分になった。 通された場所に置かれていたのは、クラシカルなデザインの気品と知性が滲んだウェディングドレス。 「これに着替えてメイクをさせてて貰いますね」 「はい…」 まさかウェディングドレスだとは思わなくて、香穂子は言葉にすることが出来ないぐらいに、感激してしまった。 吉羅がウェディングドレスを用意してくれている。それだけで泣けてくるほどに嬉しかった。 今すぐ、吉羅を抱き締めてキスをしたい。 そう思わずにはいられない。 「さあ、始めましょうか」 「…はい…」 香穂子は先ず軽いクレンジングとライトエステから始められる。 「本番はもっと事前にやりますから」 丁寧なライトエステと花嫁用のメイク。 そしてウェディングドレスの着付けへと続いていった。 吉羅もまたクラシカルなタイプのタキシードを着て、サロンのサンルームで香穂子を待つ。 どれほどまでに美しくなっているかが、楽しみでしょうがなかった。 やがてサンルームの扉が開かれる。 そこには、肖像画の曾祖母のような、いや、それ以上に美しい香穂子が今にも泣きそうなぐらいな笑みを浮かべて立っていた。 「…暁彦さん…」 「香穂子、とても似合っていて、綺麗だ」 「有り難うございます」 肖像画の曾祖母よりも香穂子は息を呑むほどに美しい。 「それではポートレートを撮りましょうか?」 「お願いします」 あの肖像画と同じスタイルで、ふたりは写真に収まった。 写真を二人分現像をして貰い、ふたりはそれを持って吉羅の実家へと向かう。 「君にどうしても見せたいものがあってね」 吉羅はそれだけを伝えて、香穂子を実家へと連れていった。 実家のダイニングルームに香穂子を連れて行く。 あの肖像画を見た瞬間、香穂子は息を呑んだ。 「…今日の私たち…ではないですよね…?」 「ああ。私の曾祖父母だ…」 肖像画は結婚式の時のものだった。 吉羅は肖像画を見つめながら、ポツリと言う。 「…私は小さい頃からこの肖像画を見て、曾祖母のような女性と結婚したいと思っていた。それよりも素敵な女性に巡り合えたからね」 吉羅は香穂子のまろやかな頬に手を置く。 「ずっとこの肖像画の前でプロポーズをするのが夢だったんだよ。香穂子、結婚してくれないか…?」 吉羅が半ば緊張しながらプロポーズをすると、香穂子は泣き笑いを浮かべて、洟を啜りながら頷く。 「…はい。あなたの妻になります」 香穂子が笑顔で言うのを聞き、吉羅は力強く抱き締める。 「有り難う」 愛するひとへのプロポーズは、曾祖父母の肖像画の前と決めていた。 吉羅は幸せでどうにかなりそうだと思いながら、香穂子にキスをした。 |