久し振りにリリに逢って演奏を聴かせたい。 香穂子は授業が休講になったのをチャンスとばかりに、学院高校へと向かった。 最近は、警備の関係で学院内に入るのが難しくなってはいる。 とはいえ、香穂子は卒業生であるから、いつも比較的簡単に入ることが出来た。 「守衛さん、こんにちは」 「こんにちは日野さん、久し振りだね! どうぞ入って」 「有り難うございます」 コンクールに参加をしたり、アンサンブルコンサートで学院の分割を阻止したりと大活躍であったからか、守衛は香穂子の顔をとてもよく覚えてくれている。 だから“顔パス”なのだ。 学院に来たら先ずはリリに挨拶をしなければならない。 これは香穂子にとっては欠かせないことなのだ。 ファータをずっと見ることが出来る貴重な存在…らしいのだから。 ファータを生まれてからずっと見ることが出来るあのひとには、もったいぶって最後に逢いに行こうと思っている。 拗ねてしまうかもしれないが、週末は一緒にいるのだからそこは許して欲しい。 というよりは、最初に逢いに行ってしまったら、「好き過ぎる」ことがバレてしまうから。 たまにはヤキモチだって妬いて欲しい。 それにリリはやはり最初に逢いに行きたかった。 香穂子に総てをくれた妖精だから。 生き甲斐も愛するひとも、何もかも。 リリがいなければあり得なかった幸せだ。 だからこそ感謝を込めて演奏でお返しをしたい。 自分に出来ることはこれぐらいしかないから。 香穂子はリリの銅像前に立つと、そっと声を掛けた。 「リリ、久し振りだね! ヴァイオリンを弾きに来たよ!」 香穂子が声を掛けるなり、嬉しそうにした妖精が現れる。 「日野香穂子! 久し振りなのだーっ!」 飛び出してきた愛らしい妖精に、香穂子はにっこりと微笑む。 「リリ、ヴァイオリンを弾くね。ラフマニノフののラプソディで良いかな?」 「頼んだ!」 香穂子はヴァイオリンを静かに構えると、ドラマティックに美しいラプソディを演奏始めた。 麗しき曲。 香穂子にとってはとっておきの音楽だ。 リリは本当に嬉しそうに聴いてくれている。 こんなにも喜んでくれるのなら、もっと沢山弾いてあげたいとすら思った。 そうしたいと思う。 毎日は無理かもしれないが、せめて一週間に一度はヴァイオリンを聴かせてあげたいと思った。 ヴァイオリンを弾き終わると、リリは絶賛するように踊ってくれる。 「日野香穂子! 有り難うなのだっ! 本当に我輩は嬉しいぞ」 「喜んでくれて凄く嬉しいよ! もう一曲弾くよ! 今度は楽しい曲が良いな。“エンターテイナー”をヴァイオリンで挑戦してみるよ」 「新しい試みだな! 聴きたいぞ!」 「うん!」 香穂子は再びヴァイオリンを奏でると、“エンターテイナー”を奏でる。 指揮科に進んだ土浦が好んで弾いていた楽曲だ。楽しい曲で香穂子も大好きだ。 主題歌として使っていた痛快な映画は、吉羅の自宅でDVDで見たのだ。 香穂子はリリが音に合わせてダンスをするのに合わせて、自分自身も躰を揺らしながら演奏する。 楽しい時間だった。 「良かったぞ! 日野香穂子!」 「どう致しまして。ね、リリ、少しお喋りをしていっても良いかな? 久し振りだから、色々話をしたいんだ」 「大歓迎なのだ! 今は授業中だから、心置きなく話すのだ」 「誰かに見られたら、変な人に見えちゃうもんね。うん、たっぷりと話していくよ」 香穂子は笑顔で言うと、とりとめのない話を話し始めた。 学院の何処かでとても美しい音色が聞こえる。 澄み渡った温かさを持つ音色は、吉羅が知る限りひとりしか奏でることは出来ない。 「…香穂子…?」 学院の中だと、香穂子が何処でヴァイオリンを奏でていても吉羅には解る。 それぐらいに香穂子の音色には敏感なのだ。 「…来ているのか…」 理事長室は高等部にあるせいか、大学にいる香穂子とは余り接点がなくなっている。 最近ではいつでも香穂子のヴァイオリンの音色が聴けなくて、寂しくてしょうがなかった。 吉羅は椅子から立ち上がると、窓辺に立ち、香穂子の姿を探す。 直ぐに香穂子の姿を見つけることが出来た。 簡単だ。リリの銅像を見れば良いのだから。 アルジェントリリと一緒に楽しそうに過ごしているのが見える。 久し振りに学院高校に顔を出してくれたというのに、最初に逢いに行くのがリリだなんて。 妖精相手にはしょうがないと思ってはいても、つい嫉妬を抱いてしまう。 だがそんな気持ちを、あからさまに香穂子に見せることは出来ない。 好き過ぎていることを知られてしまったら、男としての沽券に関わるような気がするから。 それに分が悪いのも嫌だった。 ここでリリのところに偶然を装って行ってしまっても、きっとバレてしまうだろう。 どんなに深く香穂子に溺れてしまっているかを。 吉羅は溜め息を吐くと、思わず苦笑してしまう。 愛や恋を小馬鹿にしていた自分が、ここまで女性に入れ上げるなんて、今までは考えられなかった。 だが、香穂子は違った。 吉羅のこころに真っ直ぐ入って来るだけでは飽きたらず、そのこころまでも奪ってしまったのだから。 嫉妬をしているのを愛しい小娘に知られるというのも、吉羅的には癪に触ってしまうので、結局は、この場 所で悶々と待たなければならない。 愛しい者がやってくることを待ち侘びて。 香穂子は楽しくリリと他愛ない話をした。 話題の中心はと言えば、やはり吉羅暁彦と音楽についてだった。 お互いに吉羅を愛している者だからこそ、語ることが出来るのだ。 「あれ? 日野じゃないか! 何だ、学院に遊びに来てたのか!」 金澤の声が懐かしい嬉しさに響き渡り、香穂子は思わず振り向いた。 「金澤先生! お久し振りです!」 香穂子が笑顔で挨拶をすると、金澤は飄々とした笑顔で頷いてくれた。 「どうした? リリに挨拶でもしていたか?」 「はい。ここに来たら、リリには一番に挨拶をしようと思っていたんですよ」 「誰かさんが僻むぞ。あの坊ちゃんは、自分が一番じゃないと気が済まないからなあ」 金澤のからかいと友情が混じった声に、香穂子もくすりと笑いながら頷く。 「そうですね。そろそろ理事長室に行かないと拗ねて大変なことになるかもしれないです。だから、行きますね」 香穂子は頷くと、理事長室のある校舎に向かって歩き始める。 「おう、またな、日野」 「はい! また来ますね」 香穂子は金澤に手を振ると、吉羅がいる理事長室に向かった。 本当に吉羅はたまに子どものように可愛いと思うこともあるが、同時に自分が気に入らないことがあると香穂子をとことんまで激しく愛する“おしおき”をすることがある。この週末は、それがないことを祈るしかない。 理事長室の前に来ると、香穂子は咳払いをしてからノックをした。 だが、返事はない。 もう一度ノックをしたがやはり返事はなかった。 「…吉羅理事長…」 名前を呼びながらドアを開けると、吉羅暁彦は眠っていた。 その姿に香穂子はくすりと笑う。 きっと疲れていたのだろう。 香穂子はほんの少し空いていたソファに腰を掛けて寝顔を覗こうとした。 「きゃっ!?」 いきなり頭を膝に乗せられたかと思うと、吉羅の腕に引き寄せられてキスをされる。 甘さと激しさが同居するキスに息が止まりそうになった。 唇を離された後、吉羅のニヤリと笑う笑みが視界に入る。 「起きていたんですか?」 香穂子が険悪な声で言うと、吉羅はニヤリと良くない微笑みを浮かべる。 「私に一番に逢いに来なかったおしおきだよ」 悪びれることなく言う吉羅に、香穂子は唇を尖らせた。 「もう…」 拗ねたふりをして、香穂子はにっこりと微笑む。 「…少し…眠っても構わないかね? 君を送っていくから…」 「はい」 吉羅はフッとリラックスしたように目を閉じる。 香穂子は、吉羅の髪をそっと撫でると、甘く優しい気持ちで静かにじっとしていた。 |