*手を繋ぎたい*


 吉羅と手を繋いで歩くことが、香穂子にとっては夢で だ。

 吉羅の大きな手に包まれて、歩けたら、なんて幸せなことなのだろうかと、香穂子は思う。

 だが、実際には夢のまた夢であることは、分かっている。

 香穂子は手を繋いで歩いている恋人たちを見るたびに、切なく甘い複雑な感情を抱いてしまうのだ。

 もし、ああして吉羅と二人で歩くことが出来たらと、思わずにはいられない。

 日曜日、香穂子は午前中をヴァイオリンの練習で費やしたあと、昼食の買い出しも兼ねて、みなとみらいに来ていた。

 欲しいブランドのブティックが入っているからだ。

 ファストファッションも、香穂子にも手が届く可愛くコンサバラインも入っているところも嬉しいところだ。

 午後からの活力も込めて、香穂子はブランドを色々と見る。

 憧れの大人の女性のブランドもあるけれども、価格的にも、デザイン的にも、まだまだ香穂子には届かない。

 お昼ご飯を仕入れるのも忘れて、香穂子はウィンドウショッピングに夢中になっていた。

 つい、大人の女性に似合いそうなブランドばかりに目が行く。

 最近、ギャルテイストのショートパンツなどは、穿くのを止めた。

 大好きな大人の男性とは、到底、釣り合う服装ではないからだ。

 香穂子は吉羅と並んだ時に、一緒に歩いた時に、そして手を繋いだ時。

 ドキドキ妄想しながら、その時に似合う服ばかりを考えてしまうのだ。

 シンプルな紺のノーブルなデザインのワンピースを見つけた。

 シンプルなパンプスと組み合わせると、とても素敵になるのではないかと、香穂子は思う。

「……このワンピースなら、スーツと似合うかな……」

 吉羅と並んだ時に、少しは大人に見えるのではないかと思わずにはいられない。

「どうしたのかね、曰野くん」

 艶やかな声が聞こえて、香穂子は思わず振り返った。

 吉羅がクールな表情で、ゆきをずっと見つめている。

 いくら冷たい表情で見つめられても、ドキドキしてしまうのは、やはり吉羅のことがそれだけ好きだということだ。

 香穂子と、見ていたショウウィンドウを交互に見た後、吉羅は威圧的に腕を組んだ。

「練習はどうしたのかね、曰野くん」

「午前中分は終わりました。お昼ご飯を調達しに来ていたんです。休憩も兼ねて」

 香穂子は、吉羅の厳しい眼差しをこちらに向けてくるのを切なく感じながら、見つめた。

 やはり、パーツとしてしか考えてくれてはいないのだろう。

「……そうか。昼食は?」

「まだです」

「では。私に付き合ってくれるかね?」

「はい」

 理由は何であれ、吉羅に誘われるというのは、香穂子にとっては嬉しいことだった。

 吉羅は香穂子の返事を聞くと、クールに歩き出してしまう。

 香穂子はその後ろをよたよたと歩く。

 いつも並んで歩くことはないのだ。

 吉羅は、いつも香穂子よりも何歩も先を歩くのだ。

 だからこそ、それに着いてゆくのに必死なのだ。

 この距離がふたりの関係性を示していると、思わずにはいられなかった。

 吉羅は、ショッピングモールに隣接したホテルのレストランへと向かう。

 高級レストランとして知られている場所だ。

 香穂子にとっては敷居の高い場所でもある。

 ショッピングモールの中に入っている、スーパーでお弁当を買おうと思っていた香穂子には、かなりのハードルの高さではある。

 レストランに向かうエレベーターの中で、吉羅は素早くどこかに電話をしていた。

 レストランに到着した後、吉羅は然り気無くエスコートしてくれる。

 外資系企業に長くいたからか、吉羅のマナーはとても堂に入っていた。

 レストランで、ランチコースを注文し、食事を楽しむ。

 シチュエーションとしてはとてもロマンティックではあるが、ふたりの関係性は、生徒と理事長の枠から出なかった。

 話題も、殆どがヴァイオリンのことに費やされる。香穂子もヴァイオリンの話題が大好きなので、話は弾んだ。

「午後からも練習を頑張りたまえ」

「有り難うございます」

 練習の活力にはなった。

 予定よりはかなり長いランチタイムになってしまったが。

「曰野くんは、午後は何処で練習をするのかね?」

「臨海公園で頑張ろうかと思っています」

「そうか。もう少しだけ、私に付き合ってくれるかね?」

 意外な言葉に、香穂子のときめきは高まってゆく。

「はい」

 香穂子が笑顔で返事をすると、吉羅はフッと笑ってくれた。

 久々に見る吉羅の笑顔に、香穂子はドキドキせずにはいられなかった。

 ショッピングモールに入ると、日曜日らしく混んでいる。

 香穂子が、吉羅の後に着いてゆくと、先程のブティックの前に来た。

「少し、待っていてくれたまえ」

 吉羅はしらっと言うと、ブティックの中に入っていってしまった。

 直ぐに出てきたが、その手には、紙袋が持たれていた。

 誰かにプレゼントするのだろうか。

 そう考えると苦しい。

「ご褒美だ」

 吉羅はぶっきらぼうに言うと、香穂子に紙袋を押し付けてきた。

「あ……。有り難うございます……」

 まさかこんな展開になるなんて、香穂子は思っては居なかった。

「頑張ってくれたまえ」

「はい、頑張ります!」

 ロマンティック過ぎて、香穂子はぼんやりとしながら、背筋を糺す。

 香穂子は余りにも嬉しくてぼんやりし過ぎて、歩き出そうとして、何もないところでつい躓きそうになった。

「……あっ……!」

 吉羅の腕が素早く伸びて、香穂子を受け止めてくれる。

「曰野くん、気を付けたまえ」

「はいっ」

 吉羅の厳しい声に、浮かれていた香穂子の気持ちが、ピリリと引き締まる。

「君は、平らなところでも転べるレベルみたいだね」

 吉羅は厳しい声で言いながらも、香穂子の手をいきなりギュッと握り締めてきた。

 ずっと夢見ていた、吉羅と手を繋いげることが、今、出来ている。

「このまま暫く、歩かないかね? 練習は何時でも出来るだろうから」

「はい、理事長」

 ふたりは、お互いに温かな眼差しを向けあい、幸せをたっぷりと感じる。

 吉羅の手は、想像した以上に大きくて、温かくて、きれいだった。

 手を繋ぐだけで、想像以上に温かな想いを感じる。

 ずっと憧れていたことが叶い、香穂子は柔らかな日射しのような幸福を感じていた。



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